長浜の古い町並み
昨日、たまたま店にいましたところ、観光客のご家族に「長浜の古い町並みはどのあたりですか?」と聞かれました。
現在、おかげさまで長浜は全国的にも有名になりましたが、秀吉などの歴史的なことから歴史感あふれる古い町並みが存在すると思っている人が多いようです。
しかし長浜は全国にいくつかある小京都と呼ばれる範疇には入りません。また、秀吉から城下町と思われる方も多いようですが、地理学的には長浜は大通寺の門前町に入るようです。実際に城下町というのは彦根のようなまちを指すんでしょうね。
さて、私も弱ってしまいました(いつも、この質問には弱るのですが)。近江八幡や五個荘の商人屋敷のようなものがあるわけではありませんし、実際屋敷というのはあまりありません。長浜の豪商と呼ばれた人の屋敷はほとんどないですしね。
また長浜は秀吉さんで有名ですが、江戸時代には徳川家や井伊家の「豊臣色追放」の方針から秀吉関係はほとんどありません。
長浜の面白いところは秀吉に代表される戦国時代と長浜ステーション、黒壁に代表される明治大正浪漫。そしてそれらを貫いてきた町衆精神なんでしょうね。
さて、お客様には例のまちづくり役場発行の地図をお持ちだったので、それを中心に各所を示し、街並みらしいのは舟板塀から慶雲館、長浜鉄道記念館の場所を示し、慶雲館が明治天皇の行幸をお迎えするために作られたものであること、長浜ステーションは現存する最古の駅舎であることを言いました。あとは武者隠れ道なども紹介しました。
いつもこういう質問を聞いて、答えを用意せなと思って忘れてしまうのですが、金沢や高山のように歴史的な道が意外とない長浜。これを新たに作る必要はありませんが、まちづくりについて考えさせられる日でした。
妻が言うには「木之本なんか、そういういい町並みじゃないかな。」やはり湖北が一丸となって新しいまちづくりをしなければならんなと思います。