オリンピックと国民性
オリンピックは世界の国々のスポーツの祭典。それぞれの国で取り組む姿勢などには違いがあって面白いですね。
今大会で躍進著しいアジア。とはいっても中国と韓国だけですが、そのうちの韓国は本当は次回のオリンピックに立候補していただけあって相当強化してきています。
韓国はどれも少数精鋭で鍛えるそうで柔道でも日本がたくさんの大学があるのに対して大韓柔道大学というまるでトラの穴のような学校があり、そこで厳しく鍛えます。
昨年WBCで日本と5回も戦って世界一を争った野球は高校でも野球部があるのは30校くらいだそうで日本のように5000校もあるのとはぜんぜん違います。
スピードスケートの選手は100人ほどだそうですがエリート教育でジュニア時代から代表に帯同させたりするそうです。スピードの短距離種目はカーブでのコーナリングが重要なので足の短いアジアには有利だそうで日本のすべりは世界の見本になったそうですが韓国は日本人よりも背が高く欧米とアジアのいいとこ取りができているとのこと。そういった選手を早くから探して鍛えているのですね。
最後に日韓の違いは日本選手が「オリンピックを楽しみたい。」とよく話しているのに対し韓国では間違ってもそのようなことは言わないということです。
今大会でも金メダルを取ると兵役免除などの得点がある韓国。日本がスポーツを娯楽で行うのに対して生活というか人生で行う韓国。このあたりが違うのでしょうね。
でも私は「スポーツは本来は遊びである。ただ遊びは、いい加減ではなく真剣にやらないと面白くない。」このくらいにしておきたいと思います。
アジアの躍進
昨日、スピードスケートの男子500Mで長島、加藤が銀と銅メダルを取りました。2個のメダルはアルベール五輪以来のことでうれしいことです。金メダルは韓国の選手。4位も韓国の選手でした。すごいですね。
それでもひとつ気になったのがテレビの表示でした。
金メダルはWINNER(つまり勝利者)、銀メダル・銅メダルは2nd place,3rd placeと書いていてやはり1番にならないと勝利者ではないんだと改めて知りました。
韓国はショートトラックが強いのですが、そのコーナーリングの技術をうまく取り入れて強くなっているようです。今日の女子500Mでも韓国の選手が優勝。男女アベックでの同じ国の優勝は500Mでは初めてだそうです。
フィギャーのペアでも中国が優勝。歴代のメダル獲得数でも中国や韓国はすでに日本を上回っていると思います。
今から約20年位前だと思いますが、夏と同じように冬季アジア大会が開催されることになりました。当時は日本以外で世界とまともに戦える国はありません(日本もまともに戦えるのはごく一部の種目のみでしたが)。日本の力がずば抜けていたのでアジア大会の特別ルールができました。
それは、「メダルは一つの国で2個まで」つまり、3人の選手が出ていて1位から3位までを独占しても金と銀だけで銅メダルは4位が繰り上げてもらえるということです。そしたら各国2人までの代表にしたらいいのにと思いますが、そうしたら選手が少なすぎて大会にならなかったのです。
そんな感じで日本が金・銀をとり、中国や韓国の選手が繰り上げ銅メダルだったのが3回目のハルビン大会から変わってきました。
今では日本が繰り上げ銅メダルの恩恵にあずかることがあるようです。
韓国は平昌(ビョンジャン)が冬季五輪に立候補して次回開催地のソチに敗れましたがまた立候補するようです。これくらい強いと十分資格があるような気がします。
長い間、ご苦労様でした
変なタイトルですが、昨日のことから、ふと思ったものです。
ひとつはオリンピックの女子モーグルの上村愛子選手。残念でしたね。あの長野オリンピックで里谷が金を取ったときは7位入賞。里谷の金を自分のことのようにうれし泣き。そして自分の滑り終えたときのあのすがすがしく初々しい顔。忘れることができません。
次のソルトレイク五輪ではアメリカのタイムズ紙に銀メダルと予想されながら6位入賞。変わって里谷が銅でした。トリノ五輪は5位入賞。今回も一つあがって4位入賞。こんなことを思ってはいけませんが残り4人になったとき「残りの選手、皆転んで。」と思った人も多かったのではないでしょうか?
それでもすばらしい母子の愛情。もらい泣きしてしまいそうでした。昨年でしたかW杯で年間総合優勝など、すばらしい感動と勇気を与えてくれた上村選手にありがとうといいたいですね。
もう一つは昨日行われた長浜市長選挙。予想以上の大差で藤井さんが新市長に選ばれました。藤井さんは昨年末に立候補を決意されましたが国会議員を勤められた実績と知名度、若さがものをいったようです。
川島さんも素晴らしい方だと思いますが、やはり年齢というものがネックになったようです。いろいろな問題などを思われる方もあろうかと思いますが市長でなかったときも含めて約20年この長浜市に携わられ本当にお疲れ様でしたと言いたいですね。
さて、これから上村選手は次のソチ五輪まで頑張るのかどうかわかりませんが、今はゆっくり休んで欲しいと思います。夫の皆川健太郎。前回、本当に本当にごくわずかの差で4位。何とかアルペンで猪谷以来のメダルを取って欲しいものです。
明日から冬のオリンピック
市長選は何か静かですね。よく考えたら長浜市は合併で今までより何倍も大きくなりました。それなのに選挙カーは各候補に1台しか許されていません。広範囲を周るのですから当然今までより選挙特有の「***でございます。」を聞くことができる確率は下がります。本当はこれでじっくりと各候補の公約などを見るほうがいいのかもしれません。
さて、選挙の前日である明日から冬のバンクーバーオリンピックが始まります。バンクーバーは雪不足でよそから雪を運んで会場設営しているとか。それに対してアメリカのワシントンは135センチの積雪。ニューヨークも70センチ。なんとも皮肉なものです。
さて、冬のオリンピックといえば長野大会。あれから早12年もたったのですね。にもかかわらず、日本選手団はジャンプなどはそのときの選手団に頼らなければならないのが現状です。
92年のアルベールビル(フランス)大会を最後にオリンピックは夏と冬を2年おきに開催することになりました。つまり冬はワールドカップやアジア競技大会と同年開催となったわけです。この年は冬と夏にビックイベントを楽しめるんですね。
冬の大会も最近は中国や韓国が強くなりました。特にショートトラックなど新しい種目は韓国が強いですね。今までの獲得メダル総数も日本より韓国や中国のほうが多いかもしれません。
日本は長野大会は大活躍で10個のメダルでしたが、次のソルトレイクは清水の銀、里谷の銅の2個。続くトリノは荒川の金1個でした。
私が知っているオリンピックは72年の札幌が最初。70M級(現在はノーマルヒル)ジャンプの笠谷、金野、青地で金銀銅を独占したのを思い出します。その後は長野五輪の次の年の世界選手権で同じことがありましたが世界の日本いじめのルール改悪で日の丸飛行隊は弱くなります。
続く、76年インスブルック(オーストリア)大会はメダルどころか入賞者ゼロ。
80年レイクプラシッド(アメリカ)大会は八木が70M級ジャンプで銀を分け合い、秋元が4位でした。
84年サラエボ(ユーゴスラビア・当時)は社会主義国初の冬の大会。ちなみに札幌はそのときの誘致でサラエボに敗北しております。スピードスケートで期待された黒岩に変わり北沢が500Mスピードスケートで銀メダル。
88年カルガリー(カナダ)大会は黒岩が雪辱の銅メダル。ちなみにオープン種目ながらショートトラックで女子500Mで獅子井が金メダルでした。伊藤みどりが女子フィギャーで6位入賞ながらメダリストが出るエキシビションに特別出演しました。
92年のアルベールビル(フランス)大会は日本がメダルを量産。札幌以来の金メダルをノルディックスキー複合でとりました。伊藤みどりが銀メダルでした。
94年リレハンメル(ノルウエー)大会は複合団体が連覇。しかし、ジャンプ団体は原田が最後に痛恨の失敗ジャンプで銀メダル。ちなみに原田は前年の世界選手権でノーマルヒルの個人で金を取っていました。
98年長野大会は感動の嵐でしたね。金はジャンプラージヒルで船木、団体で日本チーム、スピードスケート男子500Mの清水、ショートトラック男子500Mの西谷、フリースタイルスキー女子モーグルで里谷。特にジャンプの団体とラージヒルの原田は感動でした。ラージヒルの原田のジャンプはすごかった。NHKの工藤三郎アナウンサーの「立て!立て!立ってくれ!・・・立った・・・・・。」の名実況は忘れられません。
今年はどんな名実況が生まれるのか楽しみであります。
建国記念の日の思い出
明日2月11日は「建国記念の日」。戦前は紀元節と言いまして、神武天皇が即位された日なんですかね?いろいろとあって記念日とは言わず記念の日となっているようです。世界の国を見てみますとアメリカは独立宣言の7月4日、インドはイギリスから解放された8月15日など、独立した日が多いようです。
そんな記念の日ですが毎年全国各地でお祝いする人たちと逆に反対する人たちの集会が開かれています。
私が大学1回生の年。アルバイトではないのですが、柔道部のある伝から天皇を崇拝する団体の建国記念の日の行進に行かされた事があります。
当日は近鉄奈良駅に集合。そこから車に分乗して橿原神宮へ参ります。橿原神宮では行進に加わり、本殿前に参拝しました。代表の方が「憲法9条改定、天皇崇拝だったかな?etc」を読み上げたのち2礼2拍手をして参拝を終えます。
橿原神宮では憲法改定や再軍備などを老人から子供までが、それぞれ主張していました。食事をした後、橿原神宮から近鉄奈良駅まで街宣車などで行進します。
「紀元は2600年、ああ,皇国の・・・・・。」の音楽を鳴らしながら街宣車の上で旗を振ったりしていました。私は幸い、後ろの伴走車に乗っていましたので寝ていられましたが、旗を振っていたものは寒い中大変だったと思います。ちなみに皇紀2600年は昭和15年。つまり本年は皇紀2670年ということになります。なお、安田生命保険が2000年問題を先送り(40年延ばす)するために皇紀を利用したといわれています。また、インドネシアの独立宣言文の日付は皇紀の下2桁を使っているそうです。
近鉄奈良駅に到着後、5000円の車代と弁当、お神酒をいただき解散しました。
30年近く前のことですが、強烈な思い出であります。