プロレス見学
本日は知り合いに誘われまして全日本プロレスの興行を米原の文化産業交流会館に見に行ってきました。切符にはカメラでの撮影は禁止ということでしたのでカメラを持参しませんでした。何でも動画はダメですが普通に写真はOK。ただし自分の座席からということでした。だから写真なしです、ごめんなさい(笑)。
さて、プロレスも最近はテレビ放送がないために選手の名前はほとんど知りません。今回も武藤敬二は怪我をしているためか試合はできませんので知っている選手は曙だけでした。ただ、武藤はサインのためには出てきました。大きい選手はいますが、私と変わらないぐらいの体格の選手も多くいましたね。ただ、体のつくりは当たり前ですが全然違います(笑)。本当に鍛え上げられた美しい肉体ですね。私も昔はこんなんだったなあ(あそこまでは無理ですが)と久し振りに懐かしんでいました(笑)。
よくプロレスを単なる見世物、八百長だなどという人がいますが、そんな軽く見てはいけません。あらゆる角度から人間の限界まで鍛えあがられた体でぶつかり合う、素晴らしいものです。格闘技の選手は試合前に本当に震えるそうですが、わかります。命を懸けたものですからね。
今回はリングサイドの最前列で見ました。座席とリング下とは鉄の柵で完全に隔てていましたが、それでもレスラーがぶつかってくるのは本当に迫力がありました。
いやあ、格闘技って本当に素晴らしいものですね。
誕生日と震災の日
昨日は私の誕生日でした。母親というものはいつまでも、こんなに歳をとっても息子が気になるのか「どこかで食事しよう。」と朝から言っておりました(笑)。
ということで、歳をとると焼肉などは行かず和食がいいかな。そしたら、母の妹にあたる叔母が何か注文した時に良かったということで、北新町の某お寿司屋さんでコースを頼んで行きました。
私も酒は控えているんですが、久し振りに生ビールを3杯飲みました(あほか、どうなっても知らんぞ!という目線のバタコ・笑)。華やかさはありませんが美味しい値打ちの食事でした。幸か不幸か他のお客様はおられませんでした。
この日はフェイスブックで多くの人たちからの温かいお祝メッセージが届いていました。
そしたらテレビからニュースで阪神大震災の慰霊祭のニュース。あれから18年。早いですね。
私はその日は某葬儀屋のKさんと一緒に韓国に行く予定でした。前日に名古屋で泊まりましたので、同じように誕生日の祝いをしてもらって小牧空港近くのホテルに泊まっていました。朝早く、「あれ、地震だな。」と思っていたら長く30秒近く揺れました。テレビをつけたら「名古屋震度3、彦根震度5」の表示に冷や汗。すぐに電話(当時はまだ携帯を持っていません。)したら、3回くらいの呼び出しの後に母が出てほっとしたことを覚えています。
テレビではずーっと地震関連のニュース。テレビでは「地震の被害は確認されていません。」が繰り返され、そんなに深刻さを感じていませんでした。当時の村山内閣で政府の初期動作の遅れが後に非難されていますが、情報の遅れが、深刻さを感じなかったのかなと思います。飛行機に乗るときテレビで「今、***の高速の落下が確認されました。」と聞いても、そんなに思いませんでした。ソウル(当時は金浦空港)到着後、タクシーの中で地震のニュース。そして、ホテルの部屋でテレビを見て深刻な状況を初めて知りました。
それから約1か月後、青年会議所で炊き出しに神戸の水木小学校の避難所に行きました。「本当にこれが長浜と同じ日本か?」と思いましたね。
翌年に神戸にある某製粉会社でパンの講習会がありました。芦屋駅から会場までバスで行きました。道路はほぼ復興していましたがそれでも車はガタガタ揺れました。道路が地面の隆起などで見えない感じで凸凹だったからです。
平成8年の秋、パン業界の集まりが神戸のメリケンパークオリエンタルホテルで開かれましたが、その時の挨拶で「皆さんどうですか、この神戸の町は。」と第1声を発して復興を喜ばれた代表幹事の神戸のパン屋さんの姿を忘れることができません。
その後、神戸へ行くと、三宮など大資本が入っているところは復興も早かったのですが、被害の大きかった長田区などは、長い間バラックなどの建物が多かったですね。
一昨年、長田区でお話を聞きましたが、最高の防災は「隣近所のつながりが密であること。」だそうです。正月の自治会の新年会がよく行われていますけど、お互いに懇親を深めていきたいものです。