ほとんど病気ランチ
しばらくお休みしておりました。英語で書いた文が出てきまして、本当に弱りました。幸いにして、PCに非常に詳しい人が来てくれまして、何とか助かりました。(あ~、ホンマに良かった・笑)
さて、先日、メイさんが編集しておられる、み~なが届きました。北国街道についての特集で、非常に面白いものでした。
そのみ~なで、いつも読ませていただいているのが「湖北は可笑しな言葉かり」というM君が書いているものです。今回は、私どもの本家である、かどやの2階にあった喫茶のカドのことでした。
カドは私が小学校の頃、当時解体新築されました現在の店舗(平成8年に改装していますが)の2階で新しく喫茶を行いました。ちょうどそのころ私の父が友人と始めたのが現在解体中の当社ビルでの事業でした。当時小学生の私ですが、けっこう、はっきりと覚えています。
カドはフルーツパーラーをしようとした和風喫茶(訳が分からんですね・笑)でしたが、最初は苦戦したようです。
その後、私が中学、高校に行く頃、いつの間にか「男性のみの入場はお断り」という喫茶店になりました。「女性が入っていれば無茶はしない。笑」という伯母の考えもあったようですね。
私は知らなかったのですが、ジャンボ焼きそばというのが有名だったようです。その後、商店街がさびれていくにつれ、お客さんは減りました。そうして、昭和の終わりとともにカドは姿を消します。
そのカドが晩年の頃、実は「ほとんど病気ランチ」というのが出ました。これは当時の人気番組、久米宏さんが司会をしていた「ぴったしカンカン」という番組で、ある飲食店が作っていたのをテレビで見た伯母が再現したものでした。
当時、はやった、「ほとんど病気」という言葉がついたものです。
ランチの内容は焼き飯とソース焼きそばを混ぜたものにカレーをかけたものでした。ほんまに、ほとんど病気の内容(笑)ですが、結構おいしかったですよ。家でも簡単にできる内容だったと思います。このカレーや焼きそばなどが残った場合の処理にもってこいかな(笑)。
商店街というのは、結構遊び心があってもいいのではないかと思います。こういう楽しい発想をしていきたいですね。
それよりも、今日の十日戎のご奉仕で食事に行こうと思ったら油甚さんとFさんに「飯食いに行くんかい、どうもないかい。」て言われてもた。考えたら、私、ほとんど病気の体かも知れん。