方便と適当、言葉の感覚
鳩山さん、本当にことばが軽いですね。立場が前首相(元首相ではないですよ)であることを忘れないで欲しいですね。
さて、今回の本当の問題はもっと大切なところにあるのですが鳩山さんが使った「方便」ということば。解説はいつものように油甚さんの方が適切にしていただけますのでそちらにお任せしたいと思います(笑)。
方便はもともと仏教用語でお釈迦様が弟子達に教えるのに最初からまともに言うと難しいので仮の教えをした事から始まるんですかね。池上彰さんの明快な説明とは少し違いますが世の中には良くある事のように思います。「嘘も方便」というように違うことを述べていてもいい事を導き出すために言うような意味合いがあるのですが最近では、どうも悪い意味で使われるようです。
同じように本当の意味と違って悪い意味で使われるようになったのが「適当(てきとう)」でしょうか。
「これどうしたらいい?」「適当にやっといて。」これは本当はいい意味なのですが今では「そんなに難しく考えんとやっといてくれ。」くらいであまり真剣にやらんでもいいような感じで使われています。
高田純次さんが「日本一テキトーな男」なんて出ていますね。小泉元首相も「適切に判断します。」とは言っても「適当に判断します。」とは言いませんでしたね。
実は昨年、長浜市の体育推進委員が各自治会の役員から選出され会合がありました。そのときに体育推進委員設置要綱の第3条に「市長は自治会の長から推薦された者で適当と認める者を推進員として委嘱する。」とありました。それに対してクレームをつけられた方がおられました。その場では「適切」が良いといわれましたが差し替え文では「適任」として送られてきました。
そのときにクレームをつけた方は「てきとう」(笑)に決められたような感じが気に入らなかったのでいわれたんだと思います。市役所からは「適当という言葉の使用が侮辱した誤った言葉ではなく本当は使用しても差し支えはないのですが事情を鑑みて適切の言葉に差し替えた。」旨の文章も入っていました。
今ある意味便利な言葉の「適当」。政治家の方も言葉の使い方、言葉の感覚を磨いていただきたいものですし、我々もそうしていきたいものです。
*「言葉の感覚」といえば中学時代の国語に出てきた気がします。例えば事故で「死者が10人に達しました。」という言い方。これは死者が10人は行くだろうと期待していた事になるので駄目な使い方であり「死者が10人になりました。」とか「10人に及びました。」というのが良いというのがあった気がします。しかし、つい使ってしまいますけどね。