商店街の歴史
このたび大手門通り商店街では近隣の方やお客様を中心にアンケートをとっております。予想されたような問題点などが浮き彫りにされました。
また、当商店街の魅力や良さも自分たちでは気がついていない回答をいただき本当に、ありがたく、生かしていかなければと感じております。
さて、先日、まちづくり役場をお借りして理事会を行い、アンケートの集計とこれからの取り組みについて話しておりましたら、若い理事(とはいえもう30歳を超えているのですが)のY君から「商店街の歴史について知らない。」という意見が出てきました。
それで、2001年に滋賀夕刊に連載された「没落商店街」という以前にあったファッションデパート・パウワースの設立からなくなるまでの事に関わった人たちについて実話を元に名前などを一部変えて書かれた新聞小説のコピーをまわし読みしました。
小説はパウで時計店を営まれていたKさんが書かれたものです。中ではパウはピオ、平和堂は宝屋、また長浜の豪商・浅見家は浅田家とされています。小説の中では長浜の人たちが必死になって学び、試み、残念ながら挫折してしまったことが書かれています。しかし、この中心になってやった人達の精神はしっかりと受け継がれ、長浜の今日があるのではないかなと思っています。
中心になった人達のほとんどはもう亡くなられ、その息子にあたる人もそこそこいい年になってきています。
そうなると当商店街のY君のように子供のころ少し知っているというだけで、パウの存在などを殆ど覚えていない世代ばかりになります。
事実Y君から「このピオって何ですか?」という質問が出て、やはり我々のように幼いころに平和堂やパウができて知っているものと殆ど知らないY君ではこれだけ感じ方も違うのだなと思いました。
私も会社の歴史や流れなどをなぜ学ぶ必要があるのかわかりませんでした。温故知新ということばがありますが「昔はよかった。」と懐かしんだりするのは意味はないと思います。
しかし「過去を知らなければ今日は生きて行くことが出来ても、未来は創造できない。」ということばがあります。若い理事から貴重な意見を聞かせてもらい、今一度勉強して見ようと思います。