十日戎と大河ドラマ初回
今日から十日戎。ご奉仕に行ってきました。とはいってもかなり遅く夕方15時半過ぎからでした。行く途中、商店街を歩いていると、たくさんの人出。天候も回復したおかげか、参拝に来ていただいた方にも何よりです。
途中で、MじやのTさんにお会いしまして豊橋(みのりばし)のところの信号を待っているときに観光客の方とTさんがお話しされていました。「今日から(大河ドラマ)始まりますね。観光客も増えるんではないですか?」と言われTさんは「本当に我々もしっかり受け入れなくては申し訳ないです。」とお答えしておられました。
本当にそうですね。自分たちにしかないものを発揮し、自分たちに出来ることを精一杯やって行きたいものです。
さて、豊国神社に着きまして吉兆販売所に詰めていますと意外にも早めにお帰りになられます。そのため少し早く終了しました。やはり皆さん、ドラマを見たいのかな?巫女さんたちも「今日は早く帰りたい。」と言っていました(笑)。
1回目で浅井家が滅びてしまうのは残念ですが、浅井長政は本当に素晴らしい人物に描いていますね。お市の方に「この近江の民と琵琶湖と(何だったかな?)を好きになって欲しい。」と言われたときには私もグサっと来ました。すみません、最近、覚えが悪くなりまして(笑)。
今回を含め50回の大河ドラマの中で戦国時代はかなり多いと思いますが、従来とは違う、今までにない人物に視点があり、また我々も以外と知らない人物であるお江楽しみであります。
飲み過ぎた新年総会
昨日、当社が所属しております大手町自治会の新年総会が開かれました。
当自治会は総会が毎年1月7日と決まっています。また自治会館を持っておりませんので、場所も町内にある、みそのさんで行ないます。
会計担当の方は大変です。12月31日でしめて僅か1週間で資料を作り監査の承認を得なければなりません。正月がない状態であります。今年の監査は昨年まで自治会長だったKさん。Kさんは全てにキチットした方ですので会計資料を2日間家に持ち帰って調べられました。ようやるは。
場所も自治会館がないのでちょっと残念なのですが、懇親会の後始末をしなくてすみますので、みそのさんには申し訳ないのですが、ある意味有難いことなのかもしれません。
当自治会は65歳以上が過半数の所謂、限界集落なのですが見ていてとてもそうは思えません。若々しく非常に皆さん元気です。じつは、息子さんたちが実家はそのままで両親とは別の地域に住んでいることから、新年会に参加するのは私達の世代と言うこともあります。
昨日は例年になく盛り上がりまして、中締めをしたあとも、おしゃべりが続き、そのあとの2次会と称して当町内のイタリア料理店ジリオへ。ジリオの奥様はその日は総会の運営の当番でしたが帰ったらすぐお店。ごめんなさいね。
2次会も盛り上がって、結局は午前様。ほんまによう飲んで、また肝臓悪くなるわ。
トイレの神様
昨年の紅白の目玉として出ていたトイレの神様。歌の長さが9分58秒ですか?殆ど10分の長さです。実際私が当社から市民病院まで配達の時、ラジオから流れてきました。ちょうど会社を出る時に歌が始まったのですが到着した時は、まだ終わっていませんでした(笑)。
私は恥ずかしながら、紅白の出場歌手が発表されるまでこの歌を知りませんでした。いい歌ですね。歌を聴いていて涙が出てきます。
昨日、これのドラマがありました。岩下志麻がおばあちゃんの役。きたのきいが植村花菜の役です。見られた方も多いのではないでしょうか。
ちょっとおばあちゃん役が綺麗過ぎる。実際、岩下志麻さんは昭和16年1月3日が誕生日でちょうど70歳。ちなみに植村花菜は1月4日が誕生日(岩下さんと日が逆かもしれません)だそうです。70歳とは思えませんね。
そういえば今日のニュースで野田聖子さんが、50歳で出産されたそうです。そうなるとお子さんが成人式の時には70歳。それでも岩下さんみたいだったら充分、他の新成人の母親と一緒でも問題ないかな。それにしても野田さんは頭が下がります。
トイレ掃除は「いいことがおこる。」とよく経営セミナーなどでも言われます。自分磨きとして西田天香さんやイエローハットの鍵山社長が有名ですね。
ドラマを見ていて、このおばあちゃんのように孫や子供が人生の節目や壁で悩むときにああいった開眼するような言葉をかけることが私が出来るかな?と思いました。
私は干支は寅ですが同級生は殆どが丑年、50歳になる年齢です。40歳を不惑といいますが50歳は天命を知る、つまり知命となります。ドラマを見て自覚せねばならんなと思いました。(思うだけなら誰でも出来ますね・・・)。
うさぎ年に関する事
滋賀夕刊によりますと長浜商工会議所の賀詞交換会が本日、北ビワコホテルグラッチェで開かれたそうです。髙橋会頭はやはり素晴らしい挨拶をされますね。
干支のうさぎにちなんで「大きな耳で情報を集め、行動を迅速に起すことが企業経営に大切。」と話され「うさぎは三つの穴を持っている。危機に対してどの穴に逃げ込むのか、企業も三つ位の策が必要ではないか。」と事業の多角化や不況対策で、更なる飛躍を呼びかけた。と記されておりました。
さて、新聞やテレビによりますと、うさぎ年に関するジンクスはいくつかあるみたいです。よく言われているのは「うさぎ年は跳ねる。」と言われて株価が上昇傾向にあるようです。丑年は殆ど変わらないし寅年は少し丑年より多いのですが、上昇率は大きくありません。それに対してうさぎ年は他の干支と比べてもずば抜けて大きいそうです。
特に昭和62年はまさにバブルに入ろうとするときですからね。私が知っているだけでも昭和50年はオイルショックが落ち着いて何とかなり始めたとき、平成11年は平成不況と金融ビックバンから落ち着き始めた年ですね。昭和38年はすみません、まだ1歳くらいで、覚えていません。
気象に関しては台風はうさぎ年は少ないらしいです。昨年は本当に少なかったのですが今年もそんな水害がないといいですね。ただ、昭和38年の38豪雪のように雪の害が少し見られるようで今年も山陰で大変な被害が出ていますね。そう言えば、私は1月生まれなのですが、1歳の誕生日を迎えたときが、ちょうど38豪雪でして大雪の家の前の道をてくてく歩いている私の写真を母がアルバムに残しておいてくれています。
スポーツに関しましてはプロ野球。寅年は巨人は優勝できないというジンクスがありますが、うさぎ年は過去5回で巨人は3回(昭和26、38、62年)優勝しています(昭和50年は広島、平成11年は中日)。但し日本一は昭和38年以来ありません。
ちなみに昭和50年は広島初優勝で長嶋巨人最下位。昭和62年は王監督、監督として初優勝(日本一は西武、清原が涙を流したときです)。平成11年は王監督がダイエーの監督として初優勝、初の日本一(相手は中日)。
あと大相撲で昭和50年春場所、大関・貴ノ花初優勝がありました。
政治は何があったかな?ロッキードや周恩来逝去は翌年の一月でした。
ともかく、跳ねる年にしたいですね。決して油断して昼寝することなく。
賀詞交換会
今日から仕事始め。ニュースでは各地のその風景が映し出されていました。その中で毎年見られる賀詞交換会。私なんぞは、そういったすごい人達と会うのは恐れ多いので行く事はありませんが、ニュースの場面で「今年はどういった年になりますか?」という質問に対して、やはり参考になる答えを色々と言われていますね。
それだけではなく、交換会の席上、酒を飲んではおられますが仕事始めから、もうエンジン全開で行っておられる姿を見て、やはり人物が違うと思ってしまいます。
政治家なども新年会をやっていますが、それにしても民主党にしても自民党にしても、もう少し理念がしっかりした行動が出来ないのかと思ってしまいます。それに比べてやはり経済界はすごいですね。
先ほどのインタビューでのお答えでは「中小企業にとっては自社に何が出来るのかということを今一度再確認し、実行して行く事が大切だと思うし、そういった事が問われる年になると思う。」ということを言われていました。
簡単そうに思えますが、意外と難しい事です。今頃そんな事を考えていては既に遅れている事になるのですが、思い立ったが吉日。やって行きたいですね。