10年目の今日
大河ドラマの中で1つ悲しい思い出があります。あまり家族ネタは書かないほうがいいのですが今日は特別に記したいと思います。
2001年1月14日(日)。21世紀に入ったばかりで松の内が終わるころ。私と妻はNHKの大河ドラマ「北条時宗」を見ていました。終了してからNHKのニュースを何気なく聞いていると耳を疑うような言葉が流れてきました。
「モンゴルで取材中だったNHK中国総局のK記者とMカメラマンの乗ったヘリコプターが墜落した。」というニュースでした。その後、23時には2人の死亡が確認されたニュースが流れました。Mカメラマンは私の妹の夫、つまり義弟であります。
M君は1999年に長男が誕生するとほぼ同時に北京のNHK中国総局に転勤となりました。その後、21世紀を家族一緒に北京で迎え、妹たちは冬休みの終了と共に帰国したばかりでした。
その頃のモンゴルは2年連続の雪害で国連から救援活動がなされていました。M君とK記者は、その救援活動の同行取材で乗り込んでいたのでした。ちょうどその頃モンゴル人力士の旭鷲山の従姉がボランティアで旭鷲山の指示で同じヘリに乗っていました。残念ながら3人とも死亡しました。助かったのはパイロットと1部の乗客だけでした。悲しみをこらえてモンゴル人力士はその年の初場所を全員が勝ちこしたのを覚えています。
妹は気丈に振舞いM君の両親や、まだ1歳半の長男(私の甥っ子)と共にモンゴルへ行きました。その後、モンゴルからは国の英雄として、それを記す記念の何かを贈られたのではなかったかと思います。
その後の葬儀やNHK主催の慰霊祭でM君の取材レポートの映像が流されましたが彼が本当にいい顔をしていたのを忘れることが出来ません。男の顔は40までは親の責任、40からは本人の責任といいますが、これを当時40前の私は非常に強くこのことを感じていたのを覚えています。(その割には情けない顔をしていてすみません)
当時1歳半だった甥っ子は来年小学校の最高学年6年生になります。この正月も来ていましたが本当に賢い子で将来が楽しみです。
幼稚園ぐらいの時に父親が早く亡くなったことがわかったんでしょうね。祖母である母に「僕のおとうさん死んじゃったんだね。」と言いました。母が「そうだね、でもおとうさんは天国から見守っていてくれてるよ。」と言ったら「お父さんには見えても僕には見えないんだね悔しい。」と言ったそうです。
それでも少し生意気ですが健やかに元気に育っている甥っ子。妹は私を嫌っている(笑)のであまり何も言ってきませんが、何かあったら、いつでも受け止めてやりたいと思っています。
義弟から両親への最後の年賀状(私には、いかんせん来ていませんので・笑)には「極寒の北京で家族のあたたかさを感じております。本年もどうぞよろしくお願い致します。」だったと思います。
早いもんで10年。自分も会社もどれだけ成長したかなと考えると本当に恥ずかしい。しっかりしないと申し訳ないと思う、今日この頃です。