大雪のバースディ
自分の事はあまり書かないほうがいいのですが(そう思ったら書くなといわれますね・笑)、本日1月16日は私の第4?回目の誕生日でございます。私のように1月生まれだと数え年と満年齢が、ほぼいつも1年しか違いません。これは意外と便利(?)です。
そして、この年になると早生まれは4月や5月生まれの同級生たちと比べると1年でも若く感じられていいですね。日本では4月2日から翌年4月1日までが同級生ですが、同級生たちが「もうすぐ五十路だ。」なんて言っているのに私は、そんなにも思えませんからね。
また1月も松の内が明ける頃になると、「正月と誕生日が一緒で損。」ということもありません。考えたら、いい日に生まれたものです。おかげで青年会議所の同年会では自動的に会長です。偉そうにしていられます(笑)。
また私は誕生日と結婚記念日は不思議と会合が入りまして家にいないことが多いのですが、今年はめずらしくおります。日曜日と重なったからかな?
さて今年は大雪の誕生日となりました。昨年も雪が降りましたが、ここまでの量ではなかったですね。私は昨夜、24時半に寝たと思いますが、その頃は風は冷たいですが、まだ雪は降っていませんでした。それが本日4時半ごろ起きましたらビックリすごい量ですね。駐車場に車が入れないくらい(駐車場から出られない)状態でした。
当商店街の人は用意がいいようで、数名の方がアーケード内に移動しておかれました(警察に教えといたら、駐車違反をたくさん摘発できたかな?・笑)。
先日、うさぎ年は雪に関する事象が多いとテレビで聞いた事を書きました。前回のうさぎ年も私が青年会議所時代でしたが、雪で当時の委員長が建設関係の仕事をしており除雪に追われたため委員会開催を中止したことがありました。
昭和38年も38豪雪。1歳の誕生日が大雪の中をてくてく歩いているのを母が写真に残しておいてくれています。
雪のうさぎ年の誕生日。今までに何回か誕生日を迎えているのですが、結構雪の日の事は覚えているような気がします。スキーによく行っていたという事もあるんですけどね。
今日は家でのんびりと過ごしたいと思います。
10年目の今日
大河ドラマの中で1つ悲しい思い出があります。あまり家族ネタは書かないほうがいいのですが今日は特別に記したいと思います。
2001年1月14日(日)。21世紀に入ったばかりで松の内が終わるころ。私と妻はNHKの大河ドラマ「北条時宗」を見ていました。終了してからNHKのニュースを何気なく聞いていると耳を疑うような言葉が流れてきました。
「モンゴルで取材中だったNHK中国総局のK記者とMカメラマンの乗ったヘリコプターが墜落した。」というニュースでした。その後、23時には2人の死亡が確認されたニュースが流れました。Mカメラマンは私の妹の夫、つまり義弟であります。
M君は1999年に長男が誕生するとほぼ同時に北京のNHK中国総局に転勤となりました。その後、21世紀を家族一緒に北京で迎え、妹たちは冬休みの終了と共に帰国したばかりでした。
その頃のモンゴルは2年連続の雪害で国連から救援活動がなされていました。M君とK記者は、その救援活動の同行取材で乗り込んでいたのでした。ちょうどその頃モンゴル人力士の旭鷲山の従姉がボランティアで旭鷲山の指示で同じヘリに乗っていました。残念ながら3人とも死亡しました。助かったのはパイロットと1部の乗客だけでした。悲しみをこらえてモンゴル人力士はその年の初場所を全員が勝ちこしたのを覚えています。
妹は気丈に振舞いM君の両親や、まだ1歳半の長男(私の甥っ子)と共にモンゴルへ行きました。その後、モンゴルからは国の英雄として、それを記す記念の何かを贈られたのではなかったかと思います。
その後の葬儀やNHK主催の慰霊祭でM君の取材レポートの映像が流されましたが彼が本当にいい顔をしていたのを忘れることが出来ません。男の顔は40までは親の責任、40からは本人の責任といいますが、これを当時40前の私は非常に強くこのことを感じていたのを覚えています。(その割には情けない顔をしていてすみません)
当時1歳半だった甥っ子は来年小学校の最高学年6年生になります。この正月も来ていましたが本当に賢い子で将来が楽しみです。
幼稚園ぐらいの時に父親が早く亡くなったことがわかったんでしょうね。祖母である母に「僕のおとうさん死んじゃったんだね。」と言いました。母が「そうだね、でもおとうさんは天国から見守っていてくれてるよ。」と言ったら「お父さんには見えても僕には見えないんだね悔しい。」と言ったそうです。
それでも少し生意気ですが健やかに元気に育っている甥っ子。妹は私を嫌っている(笑)のであまり何も言ってきませんが、何かあったら、いつでも受け止めてやりたいと思っています。
義弟から両親への最後の年賀状(私には、いかんせん来ていませんので・笑)には「極寒の北京で家族のあたたかさを感じております。本年もどうぞよろしくお願い致します。」だったと思います。
早いもんで10年。自分も会社もどれだけ成長したかなと考えると本当に恥ずかしい。しっかりしないと申し訳ないと思う、今日この頃です。
名前の読み方
今日も油甚さんのブログからの私の記事です。世の中、地名や人名でも人により色々な読み方がありますね。
一番身近なのが、我が国「日本」。「にほん」と「にっぽん」。正式なのは「にっぽん」です。日本1大きな大学の日本大学は「にほんだいがく」のようです。大学が出来たときはやはり国からクレームがついたそうですね。
米原は合併前の米原町は「まいはらちょう」で駅名は「まいばら」でした。坂田郡4町が合併(最初は3町で近江町が後に編入)したときに日本でも有数の駅名をとって米原市は「まいばらし」としたようです。
人名などはわざと名前を本名ではなく有職読みにすることがあります。以前、私にそっくりさんといわれた市長さんは健さんという名前、本当は「たけし」さんでしたが、選挙の時は「けん」と読ませておられました。前市長さんも選挙の時は「しんや」と読ませておられましたが本当は「のぶや」さんでした。総理大臣でも故岸信介さんは「きしのぶすけ」を「きししんすけ」と読んだり、大正時代の政治家・原敬(はらたかし)を「はらけい」というような感じです。油甚さんの本名も普通には読めませんので有職読みで、それでもかっこいいですけどね。
さて、先日の十日戎、ある意味、私はショックでした。神前に献灯をさせていただくとご祈祷をしていただく事が出来ます。当社の名前でしていただいたのですが、祈祷をしていただく禰宜さんに豊公園のように、どこで切るのが正しいのかということを訊かれました。
当社は「パンの街かどや」と言う店名(社名)です。敢えて切るとした場合は、当社は、かどやが親元ですので「パンの街 かどや」です。ところが「パンの街かど や」つまり「パンの街かど屋」だと思っておられる人がけっこう多いのです。「星降る街かど」と思われるのかな?
実際に山崎パンがホームページ上で「パンの街かど」というコーナーを持っております。登録商標しといたら儲かったのに惜しいな(笑)。
当社も影が薄くなったと言うわけですね。「今宵はここまでにいたしとうございます。」(さてこれはある大河ドラマのエンディングです。何でしょう?)
タイガーマスク
油甚さんの記事にもございましたが全国で温かい心をふりまく伊達直人。こういういい話しの連鎖反応はいいですね。油甚さんがお書きになっているようにマスコミがこうして取り上げるから、いかにも増えたかのような気がします。
私は朝が早いので朝のニュースを見てから仕事に入ります。朝のニュースは昨日のニュースが絞られているからいいのですが必要のないと思われる「**県@@市で事故があり2名が死亡しました。」ハッキリ言ってどうでもいいニュースですね。「事故には気をつけよう。」と気を引き締めさせるには効果かもしれませんが。
不思議なことに、こういった同じニュースを他のチャンネルでも見ることがあります。おそらく、ニュースを通信社から購入しているからこうなるのかな?
さて、タイガーマスク。懐かしいですね。巨人の星と並んで梶原一騎原作のマンガです。漫画雑誌とテレビは少し内容が変わります。私は雑誌ではあまり見ず、テレビでした。
最初は「反則はタイガーマスクの誇り。」なんて言っていたのが、ちびっ子ハウスの子達のために善玉レスラーに変化します。ただ最後の最後に虎の穴の総帥でしたか、非常に強い者の反則攻撃で覆面がはげ、正体がばれた時、すごい反則を使って相手を半殺しになるまでたたきのめして、そのまま外国へ行くということで終わった気がします。
その後、私が高校から大学生の頃だったかな?アントニオ猪木らより軽いジュニアヘビーの選手としてタイガーマスクがデビューします。入場のテーマソングはもちろんタイガーマスクの歌。リングのコーナーポストのところのロープに乗って(これはかなり難しいことなのです)登場。すごい軽い身のこなしで惚れ惚れしました。
ジュニアヘビーの選手でも力は強く、腕相撲で当時の新日本プロレスの選手で勝てる者はいなかったようです。(少年サンデープロレススーパースター列伝から)
正体は佐山サトルでした。その後、何かモメゴトがあって引退。その後、別の者が覆面を被って出たのかな?一時の夢が現実になるようなときでした。
どちらにしても子供たちに夢を与える。何か役に立ちたいという温かい心。これが大切なんでしょうね。今日のニュースで「伊達直人、真似です。」と言う添え書きを置いたプレゼントがあったらしいのですが、こういう真似はいいと思います。
タイガーマスクの試合をもう一度見て見たいな・・・。
大河ドラマ放送後
9日の大河ドラマのお江。次の日10日の十日戎の席では話題になっていました。ねむりはかせさんの記事にもありましたが四居家で市長以下数名で見られた(まるで甲子園やオリンピックに地元選手が出るみたいですね)そうですね。
翌日当店に見えられた観光のお客様も小谷城跡へ行かれたそうですが、お客様の話しによると博覧会開幕前なのに多勢の人だったそうです。
また今日タクシーに乗る用事があったのですが、運転手さんと話していると2年前の天地人で小栗旬が石田三成の役をやりましたが、歴女と呼ばれる人達のグループを2~3組、石田町へお客さんとして乗っていただいたそうです。
「(当然)小栗旬はいませんよ。」と言ったら、「それでもいいから行きたい。」とのこと。石田三成も素晴らしい人物のイメージになるのは嬉しいですよね。
そういえば私が中学の頃でしょうか、新撰組の映画か何かで沖田総司が美男俳優が演じたため、そういうイメージで墓参りをする人が絶えなかったというのを思い出しました。
先ほどのタクシーの運転手さんの話しによると河毛駅から小谷城へ歩いて行って上で弁当を食べて河毛駅に戻る年輩の方がけっこうおられるそうです。
今回のドラマはけっこう幅広い人物の相関図があります。また小谷城は落城して終わりましたが、そのあとも柴田勝家がらみのシズガタケの合戦(すみません変換できませんでした)など何回か番組のあとの歴史紹介でこれからも出ると思いますので、1年間また楽しく勉強して行きましょう。