田上山のこと

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昨日(25日)産経新聞「藤原宮跡に大規模運河」の見だしが目に入りました。書き出しは以下のようです。

国内初の本格的都城で、持統天皇が開いた藤原京(694~710年)の宮殿南門跡南側で、宮殿造営のために建築資材を運んだ運河跡2本が見つかり、奈良文化財研究所が24日発表した。・・・・・

記事にも記されていましたが、この建設資材は大津の田上山から曳きだされ、瀬田川・木津川から運河を通り運ばれたものです。当時の田上山には良質のヒノキが沢山あり、他にも平城京・東大寺等の造営に用いられました。

結果、今日の田上山は表土が流出し荒々しい山肌が痛々しいほどに露出し、再生は難しいようです。

世界四大文明の地も今はほとんど砂漠化しています。
4年前西安の兵馬俑坑へ行きました。兵馬俑は一体180センチ前後で100キロ前後あるようです。あの何万体かの陶塑は焼かれているのですが、遠くに見える山々を注目してみていると樹木が無く丸裸でした。

今も昔もエネルギーの基本は火力です。古代はそれをほとんど樹木に求めていたのです。結果は砂漠化です。

「愚者は体験に学び賢者は歴史に学ぶ」と言います。

過ちを繰り返さないように戒めたいものですが、今日心配なところが幾つか地球上にはあります。

コメント

  1. 2008/09/26 16:27
    歴史は繰り返す。とも言います。

    でも、悲惨な歴史は繰り返してはいけません。
  2. 2008/09/27 07:35
    当時は樹齢千年の桧が沢山ありました。それらは、大規模建築の建築資材として使われ、桧が無くなり、その代替材として、欅が用いられるようになったのです。今日、学ぶべきは伊勢神宮の遷宮だと思います。1300年間遷宮を支えてきた背景に、桧材の植林がありました。わが社が大工育成をさせていただいているのも、遷宮から学んでいます。農林行政がしっかりとなり、日本の林業がしっかり成り立っていくことを願いつつ、消費者の皆さんの林業の重要性を理解していただく努力が必要になってきています。今、里山は悲鳴をあげています。国産材・地域材を使った家をつくらせていただいて、できることは取り組んで参ります。
    感謝
  3. 2008/09/27 12:55
    悪しき歴史は繰り返さない努力が必要です。それが人間の知恵だと思います。
    1市6町が合併することになれば極めて大きな里山・山林を抱えます。これ等は淀川水系の水源でもあるのです。
    その時は、政府・県と共にこれらを生かす術を考えなくてはならないでしょう。

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脇阪宏一
真宗大谷派
西蓮寺住職
38年の教職生活を基に、市議会議員2期務めさせていただきました。
現在住職の傍ら健全な青少年の育成を願って、"明るく・楽しく・元気よく"をモットーに、スポーツ少年団バレーボールチーム「長浜パンサーズ」の指導をスタッフと共にしています。
練習会場は長浜小学校体育館で週2回(土・日午前中)です。
現在長浜市内51名の男女児童が参加しています。
参加希望者は何時でも受け付けます。


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