日本よ
昨日(1日)の産経新聞「日本よ」(石原慎太郎)は「国家的喪失」と題して記されていました。抜粋して記します。
“私の20代の1960年、安保改訂に反対して安保の何たるかもよく分からない手合いが、群れをなし、語呂の良い「アンポ、ハンタイ」を唱えて、実は反米、反権力という行為のセンチメントのエクスタシーに酔って興奮していた。
一応知識人の代表を自負する文士の組織の日本文芸協会の理事会でも、当時の理事長、丹羽文雄が、「議事も終わったがまだ時間も余っているので、ついでに安保反対の決議でもしておきますか」と持ちかけ、理事でいた尾崎士郎と林房雄の二人から、「ぼくらは安保賛成だが、君はなぜ反対なのかね」と問われて答えられず赤面して会は終わりとなった。
・・・。原発廃止を唱えてうきうきして集まっている輩も、放射能への恐れというセンチメントに駆られているだけで、この国の近い将来の経済の在り方、そしてそれを支えるべきエネルギー体制への具体案など一向に備えてはいない。
・・・。韓国では、原子物理を専攻する学生の数は急増しているが、この日本では過去から背負った核トラウマと今回の災害による原発被害とあいまって原子力を専門に学ぼうとする学生の数は皆無に近く、またそれを教える先輩学者の数も激減している。
韓国の大企業サムスンの繁栄も実は東芝が財政的理由で放棄した半導体の画期的プロジェクトをそのスタッフごと彼らが法外な給料で抱えて横取りしたことに発している。
人間にとって新しい技術体系である原子力も、今までこの国の国民のトラウマから発したいたずらなセンチメントによって捨て去られようとしている。
かつて反権威の象徴的存在であった吉本隆明氏は原発反対のヒステリーを批判して、「新しい技術を失敗を重ねて正当化しての進歩が近代精神の芯をなすもので、人間の進歩もそこにあった。それを無下に否定してかかるのは、人間が猿に戻ることだ」といっていたが、センチメントに駆られて猿に戻ろうとしているこの国から、周りの、より人間たらんとする国々は容易に収奪しつづけ、日本は国家的喪失をつづけるのだろうか。”
私は、原発問題も沖縄基地問題も現実と将来をしっかりと見据えて議論すべきだと考えています。今回の「日本人よ」に興味のある方は是非全文を読んでいただきたいと思います。