本当にどうなるの?この地震
明日から曳山祭りが始まります。裸参りは祭りの一部ですが、八幡宮の春の祭礼に合わせては明日早朝の御幣迎えから始まり、本来は神輿渡御なんですが本年は取りやめ。その後、籤取りがあり狂言の奉納順が決まります。
本当は今日は裸参りの最終日で迎えしゃぎりがあり、にぎやかになるんですが、それがないのは残念です。起こし太鼓はどうなるのかな?
さて、昨日で震災からちょうど1ヶ月。今日からプロ野球も開幕しました。しかし、地震の爪あとはすさまじいものでまだ行方不明者がたくさんおられます。それに余震がすごいですね。NHKなどは地震があればすぐデータ画面が出るのですが、消してもすぐに地震速報が出てきます。何でも400回以上余震があるそうですね。
余震とはいえ、普通の大きな地震並みの余震がここ2,3日出ています。今回の震災の後すぐに長野で大きな地震がありました。今は福島や静岡で地震が起こっています。地震速報がでて「これから地震があるぞ。」というのはわかるようになりました。あるていど、心構えが出来ますがもしテレビやラジオを見ていないと気がつくにはちょっと短すぎます。
今日のテレビを見ていて驚いたのですが、今回のような大きな地震だと余震は6ヶ月ぐらい続くとか。
何でも今回の地震で忘れられた感がありますがニュージーランドで滋賀県のHさんが亡くなられたクライストチャーチの地震。あれも約2ヶ月前に起こったマグニチュード7~8の地震のなんと余震だそうです。
まだまだ油断できません。不安ばかりで何もしないのはいけませんがしっかりと備えをしておきたいものです。
やっぱり裸参り
昨夜、ブログをアップした後、「ヨイサ、ヨイサ。」の声が聞こえてきました。やっぱり裸参りやるんかなと思っていましたら、妻が宿直室から降りてきまして「見てくる。」といって出て行きました。
なんでもこれは羽織参りを行うK山が当店の前の米嘉席で曲がるころに声を上げたそうです。粛々と行うのが通常の羽織参りですが、これもいいのではと思います。
そんなことで大手門通りに出てみました。近所の人達と談笑していますと裸参りを行う山が来ました。やっぱりいいですね。今年は震災の影響で今日で1ヶ月ですから総当番は羽織参りを推奨されました。しかし、裸参りをするか羽織参りにするかは各山組の判断に任せるとなっています。
いろいろな判断があろうかと思いますが、やはり裸参りのほうが見ているものも元気が出ます。ある山組は今日だけ裸参りをするというところもあるようです。こういうこともいいのではと思います。
昨日、minoriさんが裸参りと曳山祭りの関係について聞いてこられました。例のごとく詳しい説明は油甚さんにしていただいたほうがいいと思いますが、裸参りはいつの時代(江戸時代も明治時代も、今も)も一番籤を引き当てたいのと子供役者が健康で祭りが成功することを祈って行われるものです。
一番籤は最近では「一番いい籤」ということになっているようです。八幡宮で奉納狂言した後、途中2箇所で狂言を行い、最後にお旅所で行います。そのとき1番山は明るいうちに終わります。それに比べて3番山のころは日が暮れて曳山の舞台に灯が入り、照明などで、より役者が美しく照らし出されるので3番がいいと言われる方もおられます。
また昨年のように全山出場となると全山がそろって待っている中に入るという栄誉から昨年は4番を引きたいと思う山が多かったようです。
役者の健康と祭りの成功を願う姿勢は、どこの山もいつの時代も同じでありますし、顔も知らない過去の人々と時間と空間を共有することが出来る貴重な場であります。
裸参りを裸祭りや、けんか祭りと勘違いしている不届き者が多かった昨今、裸参りの意義を見直す貴重な年になったのかもしれません。
ただ私が思うことは「裸参りが絶対にいい。裸参りが出来ることは本当に幸せなんだ。」ということ。やはり元気になるには裸参りと「ヨイサヨイサ」の掛け声だと思います。
今日から裸参り、明日県議選
4月に入り、所謂年度が変わりました。新学年、新入社員などフレッシュマンと言う言葉が似合う時季であります。
ところが今年は私の感性が鈍いせいもあるのでしょうが、何か年度変わりを感じることが出来ません。こんなことは昭和63年の長浜楽市の開店以来であります。
ちょうどこの年は3月31日にオープン。しかし3月30日まで突貫工事でした。当社の店にはオープン前日まで電気が通じませんでした。少し待ってくれと言われたので待ちましたが約束の時間になっても電気が通じません。私は「工事の人は明日になったら寝られるけど私らは明日からやらなアカンのや、(仮眠しているのを)起こしてください!」と言って電気を通じさせたのを覚えています。そんなことで年度変わりを感じることが出来ず、変な気分でした。
今年も震災で国全体がなんか年度変わりを感じる事が出来ないですね。マルセンちゃんさんが書いておられるように入学式。私の甥も高校や小学校に入学して保証人やお祝いの御礼の電話をもらったりして少しは感じることがあるのですが、なんか変な感じです。
そんな中で今日からまつりは裸参り。しかし今年は絶対裸参りをすると思っていたK山も羽織参りだそうで静かですね。
そして県議選。明日が投票日です。私達の選挙区も8年前は45平方キロの小さな選挙区が琵琶湖より一回り大きな選挙区に変わりました。ということは担う地域も大きく、湖北における意味が大きくなりました。
市会議員もそうですが、大きくなった以上は県だけでなく国とのつながりが非常に大切だと思います。今までの選挙と違い将来性も見込んで投票することが大切な気がします。
天皇陛下の目線
先日、私たちの仕事の関係で滋賀会館へ行ってまいりました。毎年行くのですが県の外郭の財団法人が私たちの仕事の関係で事務説明会を開催されます。それの説明をいわゆる古株の事務局員さんがされます。
その方も食の安全ということに使命感を持っておられることもあるのですが、いわゆる上から目線で私たちに義務ばかりを押し付けるので評判があまりよろしくありません。
終わってから隣にいたKさんに「相変わらずの上から目線のお話でしたね。」と言うとKさんは「ほんまやな、歳をとって余計にひどくなったかな、天皇陛下でも国民の目線でお話しておられるのにな。」といわれて本当にそうだなと思いました。
阪神大震災や今回の震災はもちろん、中越や北海道南西沖地震のときでも、避難所に被災者を励ましに来られています。それも負担をかけてはいけないからと極力、警備も最小限にするよう希望されます。避難所でも、ただ、歩いて立ったまま声をかけるのではなく、皇后様などは特に被災者の目線まで腰をおろされ時には手を握ったり、目を見ながら声をかけられます。その姿に国民は勇気と元気をもらうことが出来ます。
天皇制にいろいろと意見があろうかと思いますが、皇室というものがあることによって外交面やこういう被災者がいて苦しんでおられる人が多いときでも、救われることが多いですね。
日本の国が素晴らしい国民性があるのもこういうことに、因があるのかもしれません。
鳴り物なしの応援
春はセンバツから、選抜高校野球が終わりました。震災で遅れましたが12日よりプロ野球が開幕します。開幕までプロ野球はチャリティゲームなどをしていますね。
今年の例年と違う風景は震災被災者に配慮して鳴り物の応援を取りやめたことです。特に高校野球の応援と言えばブラスバンドの演奏が当たり前でしたが今年はありませんでした。そのためでもないでしょうが淡白な感じの試合が多かったようです。これは試合をスピードアップするためにせかした?ようなこともあったからのようです。
それにしても鳴り物がない野球と言うのは球音を楽しむことができてある意味いい気がします。プロ野球もいつから高校野球のようにコンバットマーチが入るようになったのでしょうか。私が高校のころ、広島カープの応援からのような気がします。実際甲子園球場の7回のジェット風船。あれも元祖は広島らしいですね。
私が若い頃、25年前にアメリカへ一人旅でメジャーの試合、ヤンキース対インディアンスの試合をヤンキースタジアムに見に行ったときでした。
メジャーの試合は鳴り物がありません。声援、手拍子、口笛などです。時々、球場からファンファーレがなり、観客みんなでそれに合わせて声援を送ります。投手と打者の対決の時は静かにします。阪神のようにツーストライクをとると「う~~、や~。」などという下品な(笑)応援はしません。実はそのとき、日本ではまだなじみがなかったウエーブを見て、球場一帯となって楽しい応援でした。
以前、長嶋監督が「球音を楽しむ日」を提案した事がありますが、鳴り物ではなく、選手の勝負を固唾を呑んで見るという楽しみがいいのではないか。と思います。
今年は球音を楽しむ野球の年にしたいものですね。