キリシタン燈籠
うちの庭には少し変わった燈籠があります。
普段草むしりをしていても普通に見過ごしていたものですが、父の妹にあたる叔母さんが同志社の大学生だった頃、その当時カトリック教会に英会話の勉強に行っていて、キリシタン燈籠の研究家であった長浜カトリック教会のジャンハリス神父からその話を聞き、うちにもあるということで、長浜市大手町カトリック教会のオニール神父(日本キリスト教史を研究している学者)に見せたところ、「キリシタン燈籠」(マリヤ燈籠)であると断定されたとその当時1963年ごろのサンケイ新聞に載っています。
その燈籠がこちら。
キリシタン燈籠は高さが1メートルで下部に17cmのマリヤ像が刻みこまれています。
真宗の盛んなこの地方ではめったに発見されず、一説には江戸時代初期の作といわれ、同地小谷城主だった浅井長政のむすめの一人がキリスト教信者であったと伝えられていることから、当時の作とわかれば結びつきが考えられる貴重な資料になると新聞には書かれています。
湖北地方では、米原町の青岸寺、長浜市の因乗寺、浅井町の孤蓬庵などにあるそうで伊香郡でみつかったのは、初めてだそうです。
キリシタン燈籠の特徴は、竿石の上部分に袖(そで)が必ずあって、それはクルス(十字架の形)をしています。
竿石のの中央部、下の部分に観音像があります。
普通の燈籠のように台石の上に立っているのではなく土の上に立っているのが特徴のようです。
キリシタン燈籠とはなんぞや?
迫害にあったキリシタンたちをなぐさめ、はげましたものはサンタ・マリア(イエスキリストの母君、聖母マリア様)。キリシタンたちを迫害の死から救うためには、仏教に変装する必要があったようで、彼らは密かに信仰を固守しながらも、表面上の仏教徒となり、そしてマリア像を観音像にしたり、また、十字架(クルス)を隠すなど色々工夫したようです。ますます弾圧が厳しくなると、その場所を燈籠の竿石(さおいし)の中に入れ茶の湯の会合と偽って集合して官憲の目を逃れていたようです。
キリシタン遺品として、また茶の湯の芸術品としての燈籠は高く評価されるのだとか。
なぜうちの庭にキリシタン燈籠があるのか、またいつごろからあるのかは誰も知りません。