仏様のような
とある事情で、現在は実家の父や母は遠く離れた所に住んでおりまして、なかなかお墓掃除に行くことができません。
で、一番近くに住んでいる私に墓の守を託した両親なのですが、長浜に配達があっても、そのついでに友達の所に寄ったり、または友達の家に寄ったり、寄ったり(︶.̮︶✽)
なかなか、近くを通りながらもお墓の様子を見に行く事ができずにいました。
親不孝な娘でごめんなさい<(_ _)>
そんな時、父が
「長浜のお墓、見てきたらすごいことになってたで」と。
「見に行ってきてくれやあたんや~すみません。また草むしりに行ってきます」
昨日は、また暑い日でした。
雪国のくせに、なんやねん この気温(-_-;
で、この暑さの中、日焼け対策のため、長袖を来て帽子をかぶり、首には保冷剤入りのタオルをひっかけて、かなり怪しい格好でお墓にまいりました。
「そんな厚着で行くんか~」と父は言いましたが
少しでも汗かいてサウナ行く代わりになればという姑息な考えも少しあり~の
おぉ~!これはひどい。
5月には両親がお墓参りに帰ってきていたのに。
お隣のお墓が、お世話される方がないのか、いつも草ボーボー。
その種も飛んでくるみたいです。
そしてそのまたお隣が「こよもん」ちゃんちのお墓。
○○先生おひさしぶりぶりです~v(≧∇≦)v
ざっと大きな草は抜きました。
ざっとです、ざっと。
あっ!写真載せちゃった。
その後、父が除草剤を撒いてくれました。
実は、父が、私が都合のいい時に一緒に行こうといってくれたのです。
でも、このことをうちの実家の父や母が知ったら、すごく気にするので、
「わしが一緒に行ったことは、絶対に言ったらあかんぞ、あんたが一人でしたことにしときや」と父。
「うん、わかったー。」
久しぶりの父とのお出かけがお墓掃除でしたが、車の中で冷たいお茶を飲みながら、色んな話をしながら楽しく帰ってきました。
こんなに優しい父と暮らせて本当に幸せだな~と思います。
私の実家のお墓のことまで、気にかけてもらって父には足を向けて寝られません。
腹を向けて寝ます(*v.v)。
実家の両親は、私のこのブログを見ているので、父がお墓掃除に行ってくれたことはバレてしまいますが、くれぐれもお礼の電話はしないように。
私が言った事がバレてしまいます。
木之本の方に向けて、拝んでおいてください。(^^)
私もそんな木之本の父や母を大切にしたいと思います。
いざ 出陣!
さて、いよいよ今日から阪急百貨店の催事が始まります。
昨日はその準備と(まだ準備?)をしておりました。
すると父が「ちょっと時間ないか」と。
「黒田家発祥の地を見にいこ」と誘ってくれました。
今年86歳になった父の運転で すぐ近くの黒田へ車でGOGO!
黒田官兵衛といえば 2014年のNHK大河ドラマ
この木之本の地も賑わいをみせるのでしょうか。
黒田官兵衛 秀吉の軍師として、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、九州攻め、小田原攻めなど幾多の戦いで天下統一に貢献するも、その後その後は優れた軍才を疎まれ、関ヶ原の戦いでは東軍について、九州で挙兵した大友軍と戦って勝利したという人物。
黒田氏の祖は近江国伊香郡黒田村の荘園領主で黒田判官と呼ばれたといいます。
邸宅跡には、黒田判官を祀る御廟(ごびょう)や先祖の地を顕す碑が建っています。
邸宅跡
なんちゃらかんちゃら書いてあります。
勉強不足で読めません。(^_^;)
梅の古木がありました。
たくさんの蕾をつけていました。
青空にかわいい蕾の赤色が映えます。
つかの間のじいちゃんとのおデートでした(笑)
今日から一週間 大阪でお酒を売りに行ってきます。
たくさんの方にお越し頂けるように また喜んでいただけるように頑張って来ます。
それでは 行ってきま~す(^o^)/
おデート
「ちょっと米原まで乗せてってくれんか?」と父。
実はおじいちゃん、この1月22日で満86歳を迎えます。
まだまだ現役で配達もこなしてくれているおじいちゃん。
免許の更新をすませました。
1月の31日までは乗れますよの判子を押してもらって。
免許の更新をすませたその足で 平和堂に行ったそうです。
その後、入れたはずのポケットをいくら探しても 免許書がない。
どこかへ落とした?
どこを探しても出てこない。
多少のお金もいれていたのだとか。
警察に行って事情を話すと、直接免許センターへ行ってくださいとのこと。
すぐに交付しますと。
それはありがたい。
ちょうど長浜方面には集金と配達がありましたので、父を乗せて久しぶりのドライブ。
湖岸道路から行ったのですが、空気が澄みきっていて とっても綺麗な伊吹山が見えました。
父と二人で「ここから見る伊吹山が一番綺麗やな~」と白くなった伊吹山を見ながらの快適ドライブ。
無事に免許センター到着
父を待つことしばし。
帰りに配達と集金をすませて、帰途に。
この間、色んなお話をしました。
「へたな運転の車の助手席に乗ると右足に力が入って痛くなったもんや」と父。
ん?今日は?
まあ、ええとしよ。
左手はずっと助手席の手すりを掴んでましたけど(笑)
平和堂に寄っていいかな?と父に聞きまして
二人で平和堂へ。
今度は落とすものかと胸ポケットをしっかり押さえる父でした。
「これがないと 足がなくなって不便でかなわん」と父。
免許更新はうれしいけれど、どうか安全運転でお願いいたします、お父さん。
お年寄りが落としよりました。
あっ、不謹慎?すみません。(^_^;)
なんかこうやってもらってくると家から出てくるような気がする。。。。免許証
一瞬
昨日も一日暑い日でしたね。
とっても暑い中、父と二人でお墓掃除に行って来ました。
二人とも汗だくだく。
夕方になっても、一向に涼しくならない。
夕飯の支度をしていると外がやけに明るい。
空が燃えていました。
異様な明るさ。
一瞬のできごとでした。
21時ごろお湿り程度の雨がパラパラ。
なかなか涼しくなりませんね~。
雨森芳洲庵
以前から芳洲庵の前は通ることはありましたが、中に入って見学することはありませんでした。
しかも方向音痴の私は、何回行ってもすんなりたどり着けず、父に道案内を頼んでついて来て貰うことに。
そうそう、この大きな水車が目印。
雨森芳洲庵
東アジア交流ハウスとなっております。
この建物は、芳洲の出身地に芳洲の生涯をたどり、思想や業績を顕彰するとともに、東アジアとの交流と友好をめざす拠点として建てられたとあります。
雨森芳洲は江戸時代中期の儒学者で、朝鮮との外交に活躍された方ということはみなさんご存知のとおりです。
立派なケヤキがお出迎え。
このケヤキ、高月町10選に入る巨大ケヤキだそうです。
入り口は趣のあるたたずまい。
玄関に入りますと雨森芳洲さんの自画像がお出迎え。
国際交流の基本は『互いに欺かず、争わず、真実を以って交わる』と誠信の交わりを説いた国際人・雨森芳洲と書かれています。
雨森芳洲庵の中は、朝鮮通信使に関する資料の展示室と、雨森芳洲の坐像が床の間に飾られた和室があり、日本最初の朝鮮語学習書とされる「交隣須知(こうりんすち)」などの芳洲の著書や資料が豊富に展示してあります。
盧泰愚大統領が来日され、昭和天皇との晩餐会で、雨森芳洲のことを話され、一段と注目されるようになったのだとか。
父がこの詩がいいので写真を撮ってくれと言います。
自分の歳と重ね合わせたのでしょうか。
司馬遼太郎氏も訪れていらっしゃいます。
和室の芳洲の坐像の横の壁には、司馬遼太郎氏の笑顔の写真もありました。
ここで私たちに、館員の人がおいしい熱いお茶を振舞ってくださいました。
司馬遼太郎氏は『街道を行く 第13巻 壱岐・対馬の道』の中で雨森芳洲のことを詳しく述べていらっしゃいます。
この初版が出たのは1975年(昭和50年)だから、高月町のこの芳洲庵ができる9年前に書かれているそうです。
その当時のお料理が再現されています。
それに見入る父。
高月の町は川沿いに綺麗に花が植えられ鯉も泳いでいます。
町の皆さんが綺麗な川の流れる街づくりに取り組んでおられることがよくわかります。
小さな水車もかわいいですね。
木之本からほんの10分。
私の場合道を迷うので15分。
今度は一人で来てみよう。
迷って20分かかったりして。。。