中村さん死去
テーマ:ブログ
2013/10/04 19:52
昨日(3日)中村昌枝(旧姓河西)さんが死去したとの報道がありました。
昭和39年10月、東京オリンピックで大松監督率いる当時の日紡貝塚は厳しい練習の中、木の葉落としといわれるサーブや回転レシーブを考案し、見事に日本に金メダルをもたらしました。
当時私は大学4年生でした。当時高価なテレビを東京オリンピックのために無理を言って買ってもらったように思います。日本対ロシアの決勝戦の視聴率は60%を超えていたと聞きます。
5年近く前、3月末に川崎市(橘高校中心に)で行っている東西交流杯に顔を出してくださったことを鮮明に覚えています。あの時ゆっくりとお話ができていればと残念に思います。
東京オリンピックで銅メダルを獲得した男子バレーは女子に負けじと努力を重ね、メキシコで銀、ミュンヘンで金メダルを獲得することになりました。しかし、それ以降は下り坂の一途を辿っています。結果は今日の状況です。
今日男子バレー界に求められることは、底辺(中学生)の拡大と大松さんや松平さんのようなカリスマ的指導者ではないかと考えていま
昭和39年10月、東京オリンピックで大松監督率いる当時の日紡貝塚は厳しい練習の中、木の葉落としといわれるサーブや回転レシーブを考案し、見事に日本に金メダルをもたらしました。
当時私は大学4年生でした。当時高価なテレビを東京オリンピックのために無理を言って買ってもらったように思います。日本対ロシアの決勝戦の視聴率は60%を超えていたと聞きます。
5年近く前、3月末に川崎市(橘高校中心に)で行っている東西交流杯に顔を出してくださったことを鮮明に覚えています。あの時ゆっくりとお話ができていればと残念に思います。
東京オリンピックで銅メダルを獲得した男子バレーは女子に負けじと努力を重ね、メキシコで銀、ミュンヘンで金メダルを獲得することになりました。しかし、それ以降は下り坂の一途を辿っています。結果は今日の状況です。
今日男子バレー界に求められることは、底辺(中学生)の拡大と大松さんや松平さんのようなカリスマ的指導者ではないかと考えていま