坂の上の雲
19日は長浜パンサーズの忘年会で「坂の上の雲」を見ることが出来ませんでした。そこで昨日(24日)ビデオで見ました。
終盤、伊藤博文が日本国が存亡の崖っぷちに立っている状況を踏まえて金子堅太郎にアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに日露戦争の調停を依頼するよう命を下す場面がありました。
セオドア・ルーズベルト大統領と金子堅太郎はハーバード大学(法学部)時代の同窓生です。その大統領に面会して調停を依頼するために小さな舟で太平洋を渡ります。その船中で記した詩が写真のものです。
詩は七言絶句で彼の胸中が鮮明に表現されています。内容は
“政治を助ける大きなはかりごとは 今このときにある
奮い立って 遙かに遠い前からの友好の国に向かっている
遙かに遠い海の旅のことの成り行きは決して明るくない
我が国の存立と滅亡は この小さな舟にかかっている
日露開戦にさいし 命を奉じ 米国に赴く 太平洋上の所感 渓水堅”
(故;清水正宏氏の解読による)
やがて再会の後、調停依頼を引き受けた大統領はポーツマス条約の斡旋をし平和交渉に尽力します。後に、この功績が認められ1906年ノーベル平和賞を受賞します。
明治政府の努力と国民の犠牲がなければ、おそらく朝鮮半島はもとより日本国もロシアの植民地となっていたことでしょう。今日、こうしたことをどれほどの国民が知っていることでしょう?
この軸は数年前に東京上野の古物商から手にいてたものです。折ある毎に床に掛けて金子堅太郎の思いやあの時代を想像しています。歴史上、彼も決して忘れてはならない人物です。
セオドア・ルーズベルトは「品性が個人の人生や国家の盛衰においても最も決定的要因である」と語っています。現閣僚にも心に照らしていただきたい言葉です。
コメント
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さざれ石2010/12/26 11:13日本は、明治の外交力を何時から失ってしまったんでしょう。
日本がロシアの属国になり、ソ連に組み込まれていたらアジア諸国の独立は遅れて科学時術の進歩ももっと遅れていたに違いありません。
武器を使わない戦争である外交において心で動かすことも必要条件だとすれば日本人の品性は大事にしたいものですが、米国は国益で動く国でもあります。
当時の米国も満州の権益を狙っており、ロシアの南下政策に危機感を持っていました。
その後、なぜ米国の対日感情が悪化に転じ、ABCD包囲網、日米開戦に至ったのかを考えることも重要です。
現代の価値観で当時を評価するような人は丸川議員風に言えば愚か者です。
日本万歳! -
2010/12/28 16:59さざれ石さん、有り難うございます。
明治時代は有能な人材を海外の大学に送り出し、そこから情報を得、人間関係も作っていました。
太平洋戦争は日本の息の根を止めることを目的としたハル・ノートの最後通牒により日本は日米開戦に至らざるを得なかったと思います。これは米国が参戦するための条件作りであったとも考えられています。そしてABCD包囲網です。
当時の外交は明治政府とは違い、日本政府の独りよがりではなかったかと思います。
外交は国益が最優先されるものです。今日、明治時代に習うことは品性を磨き人材を育成することです。
今日の民主党政権の内政・外交を見ていると、全てが幼稚で、危なくて日本の近未来が憂慮されてなりません。