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長浜からミスユニバース

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 本日、ミスユニバース2015の日本大会が行われたそうですが、それになんとこの長浜市から2名が出ておられたとか。1名は滋賀代表の田中さん。何でも滋賀大会でグランプリになったそうで。滋賀夕刊によりますとその滋賀大会で準グランプリだった本野さんが岐阜代表として出られたそうな。



 インターネットで見るとお二人ともさすがにスタイル抜群で美しいですね。


 残念ながらお二人とも決勝には残れなかったそうですね。それでも、この長浜市から2名が出られたということはうれしいことではありませんか


 もう一つ残念なのは、テレビ中継やネット中継がなかったこと。結果を見るしかないのは残念でした。


 ミスユニバースの司会と言えば以前は宝田明さんでした。長浜楽市にずいぶん前ですがイベントで来られたことがあります。背も高く、やはりかっこいい、ダンディな方でしたね。


 今日は高橋克則さんと押切もえさんだったらしいですね。


 この美しくまぶしい時代は、はるかに過ぎてしまった、ぎりぎりアラフィフの私です(笑)。

あれから4年。

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 筍さんや君が代さんも書いておられますが、東日本大震災から今日で4年が経ちました。本日は慰霊祭が各地で行われていましたね。涙腺が弱くなったこともあるのですが、本当に涙なくしてはテレビを見られない日でした。


 4年前に何かゆれていて、気分が悪くなったのかと勘違いしたのを覚えています。君が代さんも書いておられますが、そう思った人は少なくありません。



 阪神大震災は25秒くらい続きましたが、東日本は2分くらい揺れが続いたでしょうか?アーケードに吊ってあった装飾が揺れていたのを覚えています。


 そのあと、しばらくして事務員に「なんか地震があったな。」と言うと「テレビでやっていました、津波がひどい状態です。」と言っていました。その時は「あの三陸海岸は津波が昔からある場所。」と軽く考えていましたがテレビを見てびっくり。想像以上にひどい津波でした。自然の脅威の前には人間の力の無力さを感じましたし、本当に無力な自分を感じました。


 その後、私達が当たり前だと感じていた、家族の団らん、心豊かな生活は当たり前ではなく、有難いことなんだということを教えてくれました。その後、今のこんな状態になり、私は本当に当たり前のことなど何一つ存在しない、ありがたいこと、感謝の気持ちの大切さを感じています。



 阪神大震災の時に青年会議所の一部で神戸へ炊き出しのボランティアに行ったことを覚えています。尼崎で一旦降りて災害救援の車と言うことで再度高速に乗ると、反対の上り車線は落ちていて、ありません。そして神戸の街を見て、「本当にあったんや。」とぼうぜんとしたことを覚えています。東日本の現場に入っておりませんが、悲惨なことだと思います。


 まだ神戸は都会で比較的交通も便利で経済的にもありますから復興は早かったですが、東日本の三陸などは震災前でも交通は不便で行くのにも何時間もかかる所でしたから、更に大変だと思います。



 私達に何かできることは、ほとんどありませんが、少しでも日本国民みんなが団結していけば立ち直っていけると思います。


 私はあまり好きではないのですが、石原慎太郎氏が都知事時代に原発事故の復旧に尽くしてくれた東電の社員に「ありがとう。あなたたちのおかげでこの日本は救われました。」と涙ながら語り、後が続かなかったことがありました。


 そのくらいの気持ちが、政治家や経団連の皆様には必要なのではないですかね。もちろん私たち国民も。



 震災のとき、世界から称賛を浴びた被災地のみなさんの行動に表れるように素晴らしい日本人です。それに誇りを持って頑張っていきたいものです。



 

東京大空襲の日

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 NHKテレビの高視聴率の連続テレビ小説のマッサン。今日は戦争に行った熊トラの息子が戦死したという通報がありました。本当に戦争と言うものは悲しいものです。


 今日は東京大空襲があった日です。太平洋戦争の8月6日の広島、9日の長崎の原爆投下の日。太平洋戦争開戦の12月8日。終戦の8月15日は有名ですが、この日のことを知っている人は少ないようですね。私も知りませんでした。まして他の大都市の大阪や名古屋の空襲の日はわかりません。ただ、この日は明日の東日本大震災の日と並んで私達が忘れてはならぬ日であるということです。



 戦争でよく、日本が中国や韓国にしたことと言うことで、中韓からはいつも色々と言われます。確かに日本がやったことは反省すべきことです。2度の世界大戦は英仏などの古くからの国とドイツ、日本のように遅れて出てきた国の植民地の奪い合いと言う表現でも過言ではないと思います。


 この日本が南京などで大虐殺をしたというのですが、これの真偽は不明な点が多いです。しかしアメリカがいくら戦争とはいえ日本の各地で空襲を行い、雨のように焼夷弾を降らせて日本の各地を焼け野原にしてたくさんの民間人が犠牲になったことは、世界に類を見ない虐殺行為ではないかと思います。


 ドイツのナチスのユダヤ人虐殺、ソ連のスターリンの粛清はたくさんの人が亡くなっています。カンボジアのポルポトが行った虐殺はすごい数の人々を殺しています。

 しかしこの空襲は隠れた虐殺ではないかと思います。その他にもソ連の終戦間際に行った対日参戦によりシベリアに抑留された人は多くの犠牲を出しました。またソ連の侵攻によってたくさんの人が殺されました。このことは、その国を恨むのではなく忘れてはいけないこと、知っておかねばならぬことだと思います。


 よく「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われます。まさしく、太平洋戦争の東京裁判はそのことを示したものです。


 私は、日本だけが悪いのではないし正しいのでもないと言いたいです。広島の原爆の慰霊碑に刻まれている「安らかにお眠りください。あやまちは繰り返しませんから。」とありますが、戦争は2度と起こしてはならない。正義の戦争などはありえない。そして国を率いるリーダーは国民を2度とこのような苦しみと悲しみに陥れてはならないと思うのです。

卒業式で歌う歌

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 高校の卒業式は終わり、明日は県立高校の入試、そのあとは中学校の卒業式となります。毎年書いているような気がしますが、卒業式で歌われる歌は最近は色々あるようです。


 昨日テレビを見ておりましたら、いくつかの曲がランキング形式で発表されており、1位は森山直太朗さんの桜でしたか。「ぼ~く~らは、きっと待っている・・・。」なるほどいいですね。ユーミンの卒業写真などもあるようですが、やはり卒業式となるとこれくらいの歌の方がいいと思います。



 私は小学校は「あおげば尊し」、中学校は「巣立ちの歌」、高校は「あおげば尊し」でした。小学校中学校は卒業式までの1週間は毎日練習だったと思いますので、非常に美しい、凛とした卒業式であったのを覚えております。


 それに比べ高校は、国公立大学の2次試験を目の前にして、それどころではない生徒も多く、卒業式前日に数少ない登校日を利用した練習で式を迎えますので、返事は小さいかしないやつもいました。だらけた卒業式ですから、歌はみんなが知っているあおげば尊ししかありませんわね。




 卒業式も練習するから新鮮味がなくなるのかなと思いましたが、やはり練習するからいいものができるんですね。中学校では入試のあと1週間は練習ばかり、授業などありません。そして卒業式。翌日には合格発表でした。



 本日、ある席で、卒業式の歌の話題になりまして、これで世代がわかる(笑)なんて言っておられました。



 多いのは、3年B組金八先生の「贈る言葉」。確かにいい曲です。私は以前にも言いましたが、金八先生の歌では「人として」が好きです。どちらも学校の卒業の歌にはいいですね。



 さて、社会人でも卒業と言うものはあります。青年会議所や商工会議所青年部などは40歳、45歳で組織を離れなければなりません。それで、その年の年末には卒業例会が行われますが、そのあとの卒業生を送る夕べで、みんなで歌う歌の選択があります。


 並べてみると、「サライ」、「大空と大地の中で」、「青春の影」、「心の旅」、などがありました。多いのはチューリップと松山千春の歌が多いですね。



 とにかく、卒業生の思い出に残るいい卒業式でありますことをお祈りいたします。

進む解体工事

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 幼いころからの思い出が残る市役所の旧庁舎の解体も本館部分の解体は進んできました。解体が始まった当初は、そんなに音はしませんでしたが、家におりますと時折、ゆれる感じが。「地震かな?」と思いましたら解体工事の振動でした。


 それで、先日、当社のビルを工事してくれたZ工務店の社員に会う機会があり、「結構ゆれるんですね。何か解体中に壁などが落ちるんですか?」と聞きましたら、そうではなく什器などが入るときにやはりかなり強い力が加わるので、そういうことがあるようです。だから「ぱんやさんとこのときも、私(Z工務店の社員・当社の近所に家があります)の実家の母も、ゆれたと言っていましたは。お隣の方は大変だったと思います。」と言っていました。

 私も本当にご近所の方たちにはお世話になったと感謝しております




 解体はかなり進みました。最初は私の家とは逆の南側(駅前通り側)から解体していきますので、そんなに音はしなかったのですが、とうとう北側の壁も壊し始めましたので、音などもするようになってきました。それでも思っていたよりも静かな解体工事です。これからはわかりませんが。



 解体後の市役所の在り方を巡り滋賀夕刊では色々な方の投書が寄せられています。あれだけの土地があるのだからショッピングモールも兼ねたビジネスゾーンを作り上げるべきだとか、いろいろありますが、その地域に住む私としては、八幡神社とのバランスを考えたゾーンを形成して頂きたく思います。あまり大きなビルを作るのではなく、何かいい空間を作っていただきたいと思います。


 色々ともう計画はできているかと思いますが、今からでも遅くはないですし、これからの地域、長浜市にとって最高のものを考えていきたいものです。
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長浜の大手門通りの米嘉席のところで「正しい材料、正しい方法、正しい姿勢」をモットーにパン作りに励むパン屋です。

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