あれから4年。

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 筍さんや君が代さんも書いておられますが、東日本大震災から今日で4年が経ちました。本日は慰霊祭が各地で行われていましたね。涙腺が弱くなったこともあるのですが、本当に涙なくしてはテレビを見られない日でした。


 4年前に何かゆれていて、気分が悪くなったのかと勘違いしたのを覚えています。君が代さんも書いておられますが、そう思った人は少なくありません。



 阪神大震災は25秒くらい続きましたが、東日本は2分くらい揺れが続いたでしょうか?アーケードに吊ってあった装飾が揺れていたのを覚えています。


 そのあと、しばらくして事務員に「なんか地震があったな。」と言うと「テレビでやっていました、津波がひどい状態です。」と言っていました。その時は「あの三陸海岸は津波が昔からある場所。」と軽く考えていましたがテレビを見てびっくり。想像以上にひどい津波でした。自然の脅威の前には人間の力の無力さを感じましたし、本当に無力な自分を感じました。


 その後、私達が当たり前だと感じていた、家族の団らん、心豊かな生活は当たり前ではなく、有難いことなんだということを教えてくれました。その後、今のこんな状態になり、私は本当に当たり前のことなど何一つ存在しない、ありがたいこと、感謝の気持ちの大切さを感じています。



 阪神大震災の時に青年会議所の一部で神戸へ炊き出しのボランティアに行ったことを覚えています。尼崎で一旦降りて災害救援の車と言うことで再度高速に乗ると、反対の上り車線は落ちていて、ありません。そして神戸の街を見て、「本当にあったんや。」とぼうぜんとしたことを覚えています。東日本の現場に入っておりませんが、悲惨なことだと思います。


 まだ神戸は都会で比較的交通も便利で経済的にもありますから復興は早かったですが、東日本の三陸などは震災前でも交通は不便で行くのにも何時間もかかる所でしたから、更に大変だと思います。



 私達に何かできることは、ほとんどありませんが、少しでも日本国民みんなが団結していけば立ち直っていけると思います。


 私はあまり好きではないのですが、石原慎太郎氏が都知事時代に原発事故の復旧に尽くしてくれた東電の社員に「ありがとう。あなたたちのおかげでこの日本は救われました。」と涙ながら語り、後が続かなかったことがありました。


 そのくらいの気持ちが、政治家や経団連の皆様には必要なのではないですかね。もちろん私たち国民も。



 震災のとき、世界から称賛を浴びた被災地のみなさんの行動に表れるように素晴らしい日本人です。それに誇りを持って頑張っていきたいものです。



 

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長浜の大手門通りの米嘉席のところで「正しい材料、正しい方法、正しい姿勢」をモットーにパン作りに励むパン屋です。

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