松平康隆さん逝去
昨日のニュースで昨年の大晦日にミュンヘン五輪の全日本男子バレーボールの監督だった松平康隆さんが亡くなっておられたということを知りました。
ミュンヘン五輪は私が小学校5年生の時。記憶にある五輪では冬は札幌、夏はミュンヘンが一番最初です。長浜小学校には各教室にテレビがありまして札幌五輪の開会式はみんなでテレビを見ました。
ミュンヘン五輪は男子バレーの「ミュンヘンへの道」というアニメで大会前から何か盛り上がったものがありました。大抵見ておりまして、日本の大砲、大古が9M坂立ちできなければ外されるところを頑張り9M坂立ち歩きしたこと。後に全日本の監督もして五輪では準決勝のブルガリア戦で奇跡の大逆転をもたらした南が、苦しんだこと。滋賀県出身の深尾選手が松平監督は戦力外に考えていたのが池田コーチ(後の中野全日本監督)があきらめずに応援していて五輪メンバーになった話などが印象的です。
名セッター猫田が骨折して焦っていたのを気持ちを立て直すとこなんかもありました。
この番組は松平氏の戦略だったんですね。
なんか、あのころの日本は人口ボーナスの人口構成で高度経済成長の中でしたので前向きであり、そこそこに頑張っていた気がします。そのいい時代の象徴が日本のバレーでした。ミュンヘンでは男子は金、女子はソ連に惜敗して銀。女子は次のモントリオールで圧勝の金メダルでした。
その後、日本が開発したCクイックや時間差攻撃などは日本からバレー指導に行ったブラジルなどの新興国に身に付けられ、日本は歯が立たなくなりました。日本のバレーボールの状況と経済など国の状況は本当によく似ていますね。
ミュンヘンの全日本の選手はけっこう早逝で名セッター猫田、後の全日本の監督の中村祐造、南など当時引っ張っていた選手がすでに亡くなっています。
松平さんは、あるところから聞くところによると色々と問題もあったようですが、日本のバレーボールにとって大きな功績を残されたことは間違いありません。ご冥福をお祈りします。