伊吹山について
おおのさんが霊峰・伊吹について書いておかれました。私たちにとって滋賀県最高峰(1377M)の伊吹山は切っても切れない関係にあります。メイさんや喜多桜美さんの「み~な」に一度、特集が組まれたことがあります。
実際に滋賀県も岐阜県も学校の校歌に出てくることが多い山です。
私の母校の校歌を見てみると
長浜小学校では1番で
東の空に伊吹山。姿静かにおおらかに~。と最初に出てきます。2番で「西には光る琵琶のうみ」です。
長浜西中では1番に
正しき誠、雲をはろうて、わが望み宿す~伊吹。日は登る明けきー西中。若人の心は高しです。
2番で姉川、3番で琵琶湖が出てきます。ちなみに西中の前庭の池の名前は「やはらぎの池」、3番のやはらぎの誠から来ています。
虎姫高校は1番で
日東第一琵琶湖の水の、万頃碧(ばんけいみどり)を湛(たた)ゆる辺(ほとり)
湖北に冠たる伊吹の山の、千載巌(せんざいいわお)の動がぬ麓
私の家から見る伊吹山はきれいですが、少し正面的です。一番きれいだと思うのは虎姫高校の前やびわ町のスポーツの森~水鳥ステーションのあたり。側面とのバランスがいいんですね。写真を撮ってこなアカンな(笑)。
高校の時、数学の先生だった故・沢籐昭先生。ベクトルを教えるのに虎姫高校の校章と伊吹山の頂上、虎高、竹生島のラインを使って教えられました。
「虎高は伊吹山頂と竹生島を結ぶ線上にあるんやで。」とおっしゃっていました。家に帰ってから地図で確かめたら本当にそうでした。
肝心の授業よりこういうことを覚えているのは私のいけないとこですな(笑)。
伊吹山はスキーや登山。登山は小学校6年の饗場先生が趣味でしたので中学時代に教え子を連れて行ってくださったことがあります。あの、リフト乗り場の前の伊吹神社の水は冷たくておいしかったですね。伊吹山は登山初心者用なので比較的楽に登れます。
スキーは南向きの斜面なので雪質が悪いのですが、大きなゲレンデでした。頂上までヘリで登って滑り降りることも以前はできましたが雪が少なくなってからスキー場自体もなくなり残念です。
薬草やそばなども多いですね。また伊吹は京都の辛味大根の様にカブの形をした大きな大根が取れます。
歴史も自然も湖北が誇る素晴らしい伊吹山。大切にしたいですね。
誕生日と震災
今日1月17日は阪神大震災から17年目の日。あの日のことは鮮明に覚えています。ちょうどある先輩と韓国へ旅行する日でした。実は昨日の16日は私の誕生日。朝一番の飛行機だったので名古屋に前泊しました。名古屋駅近くの中華料理店(美味しいんです)で誕生日を祝ってもらいました。
ホテルで普段は寝つきのいい私が、なぜかなかなか寝られませんでした。6階に寝ていたと思うのですが5時46分、地震が起こりました。「あ~地震か。」と思いましたが、揺れがなかなか収まりません。おさまってから「東海地方だし、近辺で地震が起きたのだろうと思ってテレビをつけました。そしたら名古屋震度3、彦根震度5。「これはいかん!」当時は携帯電話を持っていなかったのでホテルの部屋から家に電話をしました。
電話はかかりました、5回ほどコールして母が出ました。かかって一安心で母の声を聞いて安心しました。「すごい揺れだったけど、大丈夫。」とのこと。後に会社で聞くと一人出勤していた社員は怖かったとのこと、しかしもう一人バイクで出勤中の社員は気が付かなかったということでした。
何でもその時私が「震度の分布図から見ると震源は淡路島やと思うけど。」と言ったらしく(私はそんな気がしますが覚えていません)妹が「兄貴はナマズか。」と言っていました。
それで韓国へ行きました。当時の金浦空港からタクシーに乗せられてソウルに向かう途中、ラジオから「コウベ、ニシノミヤ、ヂシン・・・・。」と聞こえてきまして「Kさん、今日の地震のことニュースで言ってますね。」と同行したKさんに話しかけますとガイドさんが「韓国の言葉わかるんですか?」と聞いてきました。あとでテレビを見てかなり悲惨なことになっているのを見てびっくり。
そうこうして、帰国。途中の飛行機の中で「Kさん、帰ると神戸に行かんならんのちゃうか?それより名古屋から帰れるかな?」と話していました。Kさんは実は葬儀関係の方。大きな事故や災害のときは葬儀屋さんが犠牲者を運んだりするのに奉仕するそうです。実はその前年に名古屋空港に墜落した中華航空の事故でも出動されていました。実際に帰郷後、すぐに神戸に走られまして、翌日「Tちゃん、予想以上にすごい。大変だ。」と電話してこられました。
名古屋からの帰路はなぜか某八百屋さんが迎えに来てくれていて(笑)無事に帰ることができました。
青年会議所では出席奨励金というものがあり、前年の15回全部の例会に出ると15000円返ってくるのですが、Kさんは封筒ごと義捐金の箱に入れられました(生きたお金の使い方をされる人です)。
この年は非常に、ひどい年でオウムによる地下鉄サリン事件も起こりました。オウム関係の忌まわしい言葉がはやった年でしたので流行語大賞にふさわしい言葉が少なく「がんばろう神戸」が大賞でした。
実は私、その4年前の平成3年にも15名ほどで韓国に行きまして、それは後にも先にもないほどの楽しい爆笑旅行でした。しかし帰国する1月17日の早朝にイラクとアメリカの中東戦争が始まりました。空港では念入りにX線検査され。一部の写真がおかしなことになってしまいました。
そんなことから「お前が誕生日に韓国へ行くとろくなことがないのう(笑)。」と某八百屋さんに言われてしまいました。
あれから早、17年。昨日で私もとうとう、ついに五十路マンになってしまいました。昨日は妻と母の3人で食事に行きました。
誕生日と震災の日が近いので、なぜか強烈な思い出があります。
昨年、うだつ会の研修旅行で神戸長田の人から「マニュアルよりも何も、まずご近所のつながりが大切。これが何にも勝る防災対策です。」と聞きました。
平成8年の秋、私どもの業界の例会が神戸のメリケンパークオリエンタルホテルで開かれました。会の代表で神戸のTさんがあいさつの冒頭で「皆さんどうですか?この神戸の街は!」と言われたのが印象的でした。まだ復興途上でしたが思わず出てきた言葉だったんでしょうね。
とにかく当たり前の生活が当たり前にできる幸せに感謝し、縁や絆を大切にしてやっていきたいと改めて感じさせる五十路のスタートです。
閑古鳥鳴く商店街?
偉大なる先輩(北朝鮮みたいやな)くんさんが、昨日当店の前のこめかさんに来られたそうですね。その際に「商店街に人が歩いていないがな。」と書いておかれました。
江が終わってからは確かに人通りが少ないですね。もともと12月と1月は観光シーズンから外れていますので来街者は少ないのですが今年度は11月に駆け込みもあったのでしょうか、それと落差が激しいのか少なくなった気がします。
本当に閑古鳥が鳴いていますね。閑古鳥は実際にいる鳥ではなく、まあ、この説明は油甚さんに任せましょう(笑)。
水曜日から今冬最大の寒波で大雪などと言われていましたから観光客も控えたのかもしれません。団体旅行などはかなり前から予定を組んでおられますが小旅行なら当日組まれる方もおられます。2年前に合併してから「長浜市***積雪40センチ」などと出ると、途端にキャンセルなどあるようです。
それでもすぐに終わるのが3学期(今ではそう言わないのですね)。曳山祭りもすぐきます。いい芽を出すために頑張りましょう。
日本人力士と郷土力士
先日、くんさんから「大相撲の国技館に掲げてある優勝額から日本人力士が消えた。そのことについて書くように。」という、ありがたいコメントをいただきました。幼稚園以外は小学校から大学まですべて先輩のくんさんからの有難~い振りに答えないわけにはいきませんので、まただらだらと書かせていただきます(笑)。
大相撲は年6場所。奇数月に本場所は開催されます。そのうちの1月に初場所(東京)、3月に春場所(大阪)、5月に夏場所(東京)、7月に名古屋場所、9月に秋場所(東京)、11月に九州場所(福岡)、つまり、東京場所と地方場所を交互に行うわけです。そして、東京場所の初日に前の東京と地方場所で優勝した力士の優勝額が掲げられます。連覇したら当然2枚とも同じ力士です。
ただし、国技館の中でも掲げられるスペースは32枚です。つまり5年と2場所終えれば一番古いのを外すわけです。日本人力士が最後に優勝したのは2006年(平成18年)の初場所(1月)の大関・栃東(現・玉ノ井親方)です。それ以降はほとんどがモンゴル出身の朝青龍と白鵬、その他に少しだけモンゴル出身の日馬富士とブルガリア出身の琴欧洲だけです。日本人力士は優勝争いもほとんどなく数場所前に豊ノ島が一応優勝決定戦に行っただけです。
「ついにこの時が来た。」本当はもう少し早かったのですが昨年春場所が中止と夏場所が技量審査場所で優勝額贈呈がなかったので、この初場所になったわけです。
日本人横綱どころか大関もなかった最近、ようやく2人の日本人大関も出てきました。しかし優勝しないと横綱にはなれません。何とか頑張って欲しいものです。
それと久し振りに出た滋賀県出身の幕の内力士の鳰の湖(におのうみ)。琵琶湖の古い異名ですが、なんか迫力ない名前ですね。しかし日本1の琵琶湖を四股名にしております。頑張って欲しいですね。
以前は蔵間、三杉里、蒼樹山といた滋賀県。約20年ぶりの幕内力士です。体は小さいですがなかなかうまい力士です。応援していきたいですね。
とにかく日本人力士、郷土力士を応援しましょう。(狭い島国根性ですな~・笑)
自治会の新年総会
毎年1月7日は当社のある大手町自治会の新年総会が開かれます。大手町は60件弱の小さな自治会です。自治会館がないのでいつも、町内にある料理屋のみそ乃さんで開かれます。
今年は3年に1回の曳山祭りの出番の年です。それだけにある意味、緊張感と強い意志を感じる総会となりました。
市街地には曳山祭りの山組が13(狂言を演じるのは12)あります。それらの山組はほとんどは複数の自治会で構成されていますが、壽山山組は大手町自治会単独です。これは自治会の負担が非常に大きいということはありますが、自治会と山組が連動するということでは非常にありがたいことです。
本当に仲のいい町内で総会もゆっくりと話が続き、2次会も10名近くで行きました。
このように自治会の結束が固いということはいいことです。昨年、私どもの店が所属しているうだつ会で神戸の長田へ震災の体験談を聞きに参りました。その時先方がおっしゃっていたことは、「いろんなマニュアルとかも大切だが一番大事なのは住民のコミュニケーションがしっかりとれていることです。」ということでした。
絆が昨年言われましたが、これを大切にしていく自治会でこれからもあり続けたいと思います。