けっこう親戚関係はあるものです
油甚さんの記事によりますと鳩山邦夫氏が「・・・の***が+++で、その@@@の???が坂本龍馬。」と述べたそうですね。皆があきれているようです。
ただ、思った以上に世間は狭いようです。 何年か前にトリビアという番組で殆どの日本人が知らないアフリカの国のそれもかなり地方のある人に写真を見せて「この人を知っているか?」と聞きます。当然知りません。そこで「だれだれがわかるのではないかな?」という風に順番にたどっていくと何と10人目くらいで写真の人物にたどり着いたようです。
振り返って見ますと、このコブログの中でも私から遠い親戚になる人が何人かいます(笑)。また私が結婚した時、妻の関係で、まち中の商店街の中にけっこう濃い親戚が3件も増えました。
5年前に父が亡くなった時、このブログのメンバーがSホールの会員でありました。それでそのメンバーのお父さんがものすごく父と懇意にしていた事もあり「あんたんとこと、うちとは親戚に当たるのでこれ使って。」と会員証をもって来てくださいました。有難くお借りし、それを担当者に見せると担当者は「申し訳ないけど・・・。」親戚関係が薄すぎるということでしょうか?ちなみに今ではそういう人が多いためか会員証の限定範囲が募集広告でも示してあります(笑)。
今日の油甚さんの記事へのコメントで「私も油甚さんと親戚かも?」という人がおられましたが、そういうことが近所でも実際にありえるのです(笑)。
「私は誰々と親戚です。」と述べられた場合、誰々が喜ぶか否か?
「ぱんやさんは私と遠い親戚です。」と喜んでいってもらえるかな?おそらく殆どの人は「なるべく隠しておきたい。」と思っているのだろうな~?(笑)
大手町の風呂屋さん
長らくお休みしていました。その間にも色々と励ましていただく方もおられまして嬉しく思っております。
さて、来週はもうお彼岸、春分の日。曳山祭りまであと1ヶ月となりました。もうすぐ稽古が始まります。いよいよ春がやって来ましたね。
今年は新長浜市の誕生を祝ってお旅所に全山勢揃いです。ここ数年は勢揃いが多くて前回の合併の時にもお旅所に勢揃いでしたし、3年前には八幡宮の別表神社昇格をお祝いして88年振りの八幡宮に勢揃いでした。本当にあれは素晴らしかったですね。亡くなった親父に見せてやりたかった光景でした。
昨日は山が出る事で大手町の中老寄りが開かれました。
会議の後、懇親の食事をしながら話題に出てきたのは現在の当社の駐車場に40年近く前にあったお風呂屋さん(銭湯)でした。私もかすかに、お風呂やさんがあった事は覚えています。親父が新しい事業でそこを買ったのですが、小学生だった私は「お父ちゃん風呂やするんか?」と聞いたら「いや、駐車場にしようと思うてるんや。」と言ったのを覚えております。今では貴重な駐車場。親父はたいしたもんだと思います。
煙突だけ残してゴミ焼却炉にしていました。それも阪神大震災で近所の人が怖がるので(実際は独立して立っているので問題はないとO設計事務所は言っていましたが)取り壊しました。どちらにしても現在では使えません。
役者経験のある人はそこで風呂に入れてもらったことをおぼえている人もいました。しかしお風呂屋さんの名前を覚えている人はさすがに誰もいませんでした。
大人になってから裸参りのあとに銭湯にいった事があり、そのときは知善院さんの横にあった長生湯によく行ったものです。
家庭で風呂が普及してから銭湯は段々へって行きましたが、彦根の極楽湯や大垣のコロナのようにスーパー銭湯が出来て多くの人がいっていますね。
それに対して普通の銭湯はだんだん減ってきまして滋賀県内でも大津かどこかで銭湯が消えてしまった都市もあるようです。
長浜は片町のよじむ湯や旧8号線沿いの琵琶湖湯やいなり湯などがあり、幸い多くの方が家に風呂があっても、たまには銭湯がいいと行かれているようですね。
最近の銭湯は電気風呂やサウナを併設してそのため一つ一つの湯船が小さくなっているのが残念ですが、それでも家庭の風呂よりは大きく、温まります。また不思議な事に湯上りはポカポカして湯冷めしないですね。
風呂上りに仁王立ちしてビンの牛乳やコーヒー牛乳をぐっと飲み干すのもいいものです。学生時代は下宿していたのでよく銭湯へ行きましたが、今はワンルームマンションが多いのでどうしておられるのかな?
とにかく銭湯は残って欲しいものです。そう言う私たちがなかなか行かないのが消えて行く原因なんですけどね。