高校野球と終戦の日
八幡商業、残念でしたね。49年振りの因縁の試合であった栃木代表の作新学院といい試合をしたのですが、3-6で残念ながら負けてしまいました。これで栃木県との対戦は2勝2敗1引き分けとなりました。
因縁の試合というのは両校は昭和37年の選抜で対戦。延長18回を戦い0-0で引き分け再試合となり、翌日は八商が0-2で敗れました。勝った作新はその後、初の春夏連覇を達成します。
八幡商業はこの試合ようやく得点を入れたのですが終始向こうのペースだったようです。実は起き損ねて墓参りが遅れ試合はラジオで聞いていました。解説者は「この上ない素晴らしい試合。」と絶賛していました。
32年前の今日は亡くなった作詞家の阿久悠さんが最高試合といった星陵(石川)-簑島(和歌山)があった日なのです。49年前(私は生まれたばかりなのですが)のことと重なり、何かいい試合が出そうなとテレビで試合前に言っていましたね。
さて話は変わりますが昨日は終戦記念日でした。甲子園は正午になると必ず黙とうをささげます。本当に野球ができる幸せをこの時、皆がかみしめるのではないでしょうか。
全国戦没者慰霊式に出席する遺族のほとんどが70歳を超えました。「親も戦争を知らない世代」が社会の中枢を担うようになってまいりました。ある意味大切な時期だと思います。
私の両親は戦争を知っています。戦場には行っていませんが空襲を受けたり米原の干拓地(今のエクシブあたり)で干拓作業をしたり、甲津原に植林をしたりと、よく父から聞かされたものでした。私より5年くらい若いと親が戦前生まれでも赤ん坊の時で記憶にないという方が多くなりますので親から実体験を聞かせてもらえるのは私たちの世代が最後ということになります。
中学時代にSirMurai先生が親から戦争の話を聞いてくるようにと言われ、社会の時間にみんなが発表し合ったことがあります。
私は父が機銃放射を浴びたことを言いました。父はもちろん他の同級生たちもよく大丈夫だったなと思います。その他の発表の中には、ある生徒のお父さんが長崎原爆投下の2時間前に長崎を離れたというのもありました。それにしてもこういう体験の発表会ができたのも私の世代が最後のほうだと思います。
私たちの世代の責任は重大だと思います。戦争のない世の中を作るためにマスコミの情報操作に惑わされない心がけを作っていきたいものです。