25年目の夏
今日は日航ジャンボ機が墜落して25年目の日です。昨年の映画「沈まぬ太陽」でも出てきましたが本当に悲しい悲惨な事故でありました。あれから早くも25年なんですね。
当時奇跡的に助かったうちの一人、川上慶子さん(字が間違っているかもしれません)。当社に当時勤めていたパートさんの娘さんが同じ中学1年生(当時)で同じケイコさんと言う名前でした。その子も結婚して子供もそこそこの年齢になっています。川上慶子さんはどうしているんでしょうね。
今甲子園大会真っ盛りですが、応援に駆けつけるためにこの飛行機に乗っていた球児のお父さんがいました。その方も坂本九さんら多くの命と共に犠牲となられました。悲しみをこらえて必死にプレイしていた球児(前橋工業の選手だった気がします)を思い出します。
さて、この年の甲子園大会は滋賀県からフレッシュな代表校が出ていました。前年の長浜高校に続いて開校3年目の甲西が出場、なんとベスト4まで進みました。
初戦で強豪の県立岐阜商業に勝ち、次の久留米商業(福岡)と延長11回表に先制されたものの逆転サヨナラ勝ち。準々決勝では後にメジャーで活躍する佐々木や阪神で活躍する葛西のいる東北(宮城)にサヨナラ勝ち。ミラクル甲西と呼ばれました。なおこの3戦は滋賀県が苦手とする岐阜、福岡、宮城に初めて勝利したものでした。
残念ながら準決勝では桑田・清原のいるPL学園に2-15の大敗でした。甲西が練習試合を申し込んで断られたのに甲子園で初めての対戦が実現したゲームでした。このときの甲西はやはり疲れきっていました。エース金岡の球が上ずっていたのを覚えています。
この年の春の近畿大会は彦根球場であり、大阪代表PLの試合は常に満員になったそうです。滋賀県は開催県で3校出ましたが全て初戦敗退、そのうちの一つが甲西でした。
清原がホームランを2本も打って「甲子園は清原のためにあるのか。」のABC朝日放送の植草アナウンサーの名言が生まれた試合でしたね。
先日テレビ番組で金岡氏と清原の25年振りの対決があったそうで見たかったですね。結果はどうなったんですか?
甲子園大会は盛り上がってくるのはお盆の時期。8月15日の終戦の日には正午に試合を中断して黙祷をささげます。今年は終戦65年目です。
8月12日と15日はいつまでも私達国民が忘れてはいけないし、これからの日本のために色々と振り返らねばならない日であると思います。