お盆あけ休み
本日はお盆明けで当社はいくつかの仕事はありますが、店は休ませて頂いております。早朝いつものように早く起きて仕事場に降りてゴミなどを処分してうだうだしておりましたら甲子園の第1試合、成田(千葉)-北大津(滋賀)の試合が始まりました。
1回に山田元気君のタイムリー3ベースでしたか、先制。3回にもまた山田君が左中間深いところに2ランホームラン。そして、岡本投手はヒットをたくさん打たれるも要所をしめ、なんと成田は4併殺打。岡本君の好フィールディングで送りバントを何度も失敗。6回まで成田は3塁が踏めませんでした。これだけ聞くと北大津が完勝しそうでした。ただ、ヒットはあまり打てていませんでしたし、相手はよく打っていました。
そうして7回、甲子園には魔物がすんでいました。5点を取られ大逆転。8回裏に同点に追いつきましたが9回に1点加えられ、敗れました。少し考えられない負け方でしたが、いい試合をしてくれました。北大津に大きな拍手を贈りたいと思います。
これで遅れてしまいましたが、今日はお墓参り。H玄で花を買って湖北町の義母と松の岩公園の父の墓へ。私の年齢になると仕方のない事なのですがこの1年で親父の兄弟の伯父と1番下の叔父、そして先日親父を尊敬していて親父が仲人をしたAさんの3人が亡くなった事を親父の墓前で伝えました。
今年は梅雨明け後もすっきりした日がなかなか来なかったこと。盆が14,15日が土日になったことで何か盆が過ぎた気がしませんし、もう夏休みが終わりなのかと言うことが信じられない、なんか変な気持ちです。
夏の疲れを残さないようにケアーして行きましょう。
滋賀県の高校野球2
北大津高校、明日は千葉の成田高校と3回戦。北大津は1回戦から全て1日4試合の日の第1試合ですね。朝4時半起床が続いているらしいですが、朝の内の試合なら暑さもそんなにひどくない(とはいえ暑いですが)ので、体力面では心配要らないかと思います。
さて、今日も私の記憶ネタですみません(笑)。今日のNHKのローカルで北大津の先日の試合を放送していました。本当に強くなりました滋賀県も。私が子供の頃は本当に他の県とは野球が違っていた気がします。とにかく打てませんでした。
私と同い年の比叡山が勝ったときも大阪などと比べたら、特に滋賀大会決勝と大阪大会準々決勝(ほぼ同じ日にあります)をテレビで比べて見ると明らかにスピードや力強さが違っていました。しかし今ではかなり差が縮まったかなと思います。
さて、千葉県との試合ですが、私が知っていたり記憶にある中では対千葉県は選抜を含め1勝2敗ですかね。1勝は平成6年だったかな長浜高校が予選の決勝で敗れた年だったと思います。近江が志学館に勝っています。敗れたのは私が生まれる前かいつかは知りませんが記念大会で滋賀県からも出られたときに甲賀(現・水口)が銚子商業に、昨年の春、21世紀枠で出た彦根東が習志野に、この2試合だと思います。
ちなみに滋賀県が一度も勝った事がないのは東京と大阪、広島など。特に大阪には2桁失点で負けてばかり。先の比叡山が0-10で浪商、八幡商業が元木のいた上宮に1-15だったかな。
東京には春に伊香が桜美林に。夏は瀬田工業が荒木大輔のいた早稲田実、近江が決勝で日大三、翌年光泉が帝京、近江が早稲田実にもう1回負けていると思うんですけどね。などなど、まだあります。
広島には本当に勝てませんね。勝てそうなときもあったんですけどね。
ベスト8は比叡山が2回、ベスト4は瀬田工業と甲西が1回づつ、決勝は近江が1回。優勝はもちろんありません。
ちなみに選抜は八幡商業がベスト8が3回です。北大津は3年ほど前に東北・横浜に勝ったのですが残念ながらベスト16で終わりました。
とにかく明日の試合。みんなで応援しましょう。出来たら最後まで残って欲しいですね。
滋賀県の高校野球
遅くから申し訳ないのですが、北大津やりましたね。群馬代表に久しぶりに勝ちました。油甚さんが詳しく群馬代表との記録を載せておられました。その中で、「これらはぱんやさんの記憶の中にあるのだろうか?」と書いておかれましたが、もちろん入っております(笑)。
とくに前回の勝利とその前年の春夏連続屈辱敗戦はよく覚えております。私が高校3年の時、滋賀県は夏の大会未勝利でした。当時、過去9戦して総得点は4点。2点以上取った試合がないと言うことでした。
高2の夏の60回記念大会から1県1校(東京、北海道は2校)になりました。それまでも記念大会は1県1校でしたので伊香高校などはそのときに出場しています。京滋大会で勝ったのは八日市、守山、比叡山、膳所のみ。しかし、京都市内の平安に勝ったのは守山だけあとは全部、丹後地区の学校でした(西舞鶴、宮津)。ちなみに丹後地区は後に福知山商業などが出るまで日の目を見ませんでした。
ちょうどその頃は春も勝利から遠ざかっていた時期ですので滋賀県勢の弱さは際立っていました。何でもないヒットを守備がもたもたして長打にしたり、緊張してエラーが続出しておりました。
長浜北高校が秋田の能代に大敗した試合もエラーが7つありますからね。
高2の春は比叡山に期待したのですが前橋に完全試合をくらい、夏は県大会ベスト8も難しいと言われた膳所が優勝(ちなみに決勝は彦根東と進学校対決でした)。しかし甲子園に行ったら本当の実力が出て桐生に0-18、1安打(それも内野安打、エラーの記録でもおかしくない)で2塁も踏めなかった試合でした(つまり春夏合わせて1回しか1塁に立てなかったと言うこと)。
ちなみにその年の群馬は選抜は前橋と桐生の両方が選出されていました。また共に進学校です。
高3の夏に比叡山が北高に勝って甲子園へ。その年の比叡山は「甲子園で勝利するのが目的」ということで胴上げなしでした。
そして甲子園へ1回戦北北海道代表の釧路工業。最初0-2でどうも難しいなと思っていたら5回か6回に5点を入れて逆転。面白いように点が入り初勝利。2回戦で三重の相可に勝ち3回戦で宿敵・群馬代表の前橋工業と当たりました。
比叡山は気迫に満ちた試合で勝利でベスト8へ。嬉しかったですね。
残念ながら準々決勝は香川と牛島のいる大阪の浪商に0-10の大敗でした。この試合何でも比叡山の選手が試合前日の夜、ス振りをしていると浪商の選手が通りかかり「お前ら明日、勝つつもりでいてるんけ(笑)、やめとけやめとけ、わしらこれからゲームセンターへ行くは。」と言われたそうです。香川や牛島なら、わかりますな。
この頃の滋賀県は翌年、瀬田工業がベスト4、その次は近江が1回戦勝利、その次に比叡山がベスト8と力をつけてきました。1年あけて、長浜が湖北勢唯一の勝利。
しかし、まだくじ運次第のところがあったようです。
ちなみに、北大津の監督は滋賀勢初勝利の比叡山のメンバーの一人です。
65年目の終戦記念日
本日は終戦記念日。戦没者慰霊式にも体験者の参列者は少なくなりつつあります。本日の毎日新聞のコラム(余禄)を見ると明治維新から戦前に松岡洋右が「連盟よさらば。」の言葉を残した国際連盟脱退までの期間がちょうど65年だそうです。まさしく、日本が世界から孤立する方向へ向かってしまった、この歴史の教訓から私達は間違った方向に進まないように取り組んでいく必要があるのだと思います。
私事ですが、父が5年前の8月8日。ちょうど戦後60年の頃に亡くなりました。父が終戦を迎えたのは旧制虎姫中学(現・虎姫高校)4年生の時。父は学校へ勉強に行くのではなく、植林(今の米原市甲津原付近)や干拓(今のエクシブ周辺の入江内湖)に行くのが殆どだったそうで、もちろん英語は敵国語で禁止。だから、あまり英語はわかりませんでした。
卒業後は家業(今の本家K)に入り、江戸時代から続く商売の中でパンを始めたのでした。当時は統制経済で粉や卵が手に入りません。それで、製粉を始め、鶏も飼っていたそうです。よく懐かしげに話してくれました。
父の誕生日は9月2日ですが、昭和20年のその日は戦艦ミズーリの上で重光外相が降伏文書に調印した日でした。おそらく、「よしやるぞ!」と燃えていたんだと思います。その結果、兄弟で唯一、大学へは行かずに家業を継いでいました。
その後、実家から独立し、当社は現在にいたっております。
よく、人が亡くなる日は何かその人らしい日であるようなきがします。曳山祭りや十日戎の頃に亡くなると「まつりが好きな人やったでな~。」なんていいます。
父は長い歴史の家業の中で起業家であった気がします。それも、戦後の混乱期の中で立ち上がってきた。それで60年目の終戦記念日の頃に亡くなるというのはある意味綺麗な死に方でした。
毎年、終戦の日の前1週間は父の姿に重ねて、日本を再建して来た人に負けないように今年1年を振り返っている気がします。
そうすると成長のない自分にもっと発破をかけないといけないなと思います。
戦後の自虐的歴史観について
今年は日韓併合からちょうど100年になります。菅首相が韓国に対しての謝罪のような事を述べた事に対して15日の終戦の日は韓国では光復節になりますので、菅発言を踏まえてのイミョンバク大統領のその日の演説が注目されます。
さて、日本の歴代の総理大臣が中国や韓国への謝罪をするかせんかでいつも問題になっております。どうすれば中国や韓国は納得するのでしょうか?
日本は敗戦国だから仕方ないと言うことなのかもしれませんが、ソ連が終戦直後、ふらふらになっている日本に対して宣戦布告して美味しいところどりをして千島などを占領。戦後、日本人捕虜をシベリアへ連れて行き、たくさんの人が亡くなった事、それに対して何も言わない日本人の方が不思議なのかもしれません。日本は大人なのか?
原爆に対してもアメリカでは「戦争を早期終結させ、アメリカ人の命が失われるのを防ぐ事が出来た。」と言う理論が大勢を占めているようで今年の広島の慰霊祭にアメリカ政府からの参列に異議を申し立てる人がいるようです。
私は「2度の世界大戦は大国同士の植民地や利権の奪い合い。」であり、ベルサイユ条約や東京裁判は「戦勝国が敗戦国に対してのおしおき」にすぎないと思っております。
私達は戦後の教育で「日本が悪い。」という間違った考えは改める必要があるとは思いますが、戦後の世界の国々で終戦記念日の日付とその名称が違うように、国々によって考え方が違うということを今一度認め合い、平和国家日本のそして世界の確立を目指すべきなのでしょうね。平和ボケのどこが悪いのか、わたくしはわかりません。
*ちなみにアメリカとロシアは終戦記念日は9月2日、つまり戦艦ミズーリ艦上で重光外相が降伏文書に調印した日です。名称も「対日戦勝記念日」です。