滋賀県の高校野球
遅くから申し訳ないのですが、北大津やりましたね。群馬代表に久しぶりに勝ちました。油甚さんが詳しく群馬代表との記録を載せておられました。その中で、「これらはぱんやさんの記憶の中にあるのだろうか?」と書いておかれましたが、もちろん入っております(笑)。
とくに前回の勝利とその前年の春夏連続屈辱敗戦はよく覚えております。私が高校3年の時、滋賀県は夏の大会未勝利でした。当時、過去9戦して総得点は4点。2点以上取った試合がないと言うことでした。
高2の夏の60回記念大会から1県1校(東京、北海道は2校)になりました。それまでも記念大会は1県1校でしたので伊香高校などはそのときに出場しています。京滋大会で勝ったのは八日市、守山、比叡山、膳所のみ。しかし、京都市内の平安に勝ったのは守山だけあとは全部、丹後地区の学校でした(西舞鶴、宮津)。ちなみに丹後地区は後に福知山商業などが出るまで日の目を見ませんでした。
ちょうどその頃は春も勝利から遠ざかっていた時期ですので滋賀県勢の弱さは際立っていました。何でもないヒットを守備がもたもたして長打にしたり、緊張してエラーが続出しておりました。
長浜北高校が秋田の能代に大敗した試合もエラーが7つありますからね。
高2の春は比叡山に期待したのですが前橋に完全試合をくらい、夏は県大会ベスト8も難しいと言われた膳所が優勝(ちなみに決勝は彦根東と進学校対決でした)。しかし甲子園に行ったら本当の実力が出て桐生に0-18、1安打(それも内野安打、エラーの記録でもおかしくない)で2塁も踏めなかった試合でした(つまり春夏合わせて1回しか1塁に立てなかったと言うこと)。
ちなみにその年の群馬は選抜は前橋と桐生の両方が選出されていました。また共に進学校です。
高3の夏に比叡山が北高に勝って甲子園へ。その年の比叡山は「甲子園で勝利するのが目的」ということで胴上げなしでした。
そして甲子園へ1回戦北北海道代表の釧路工業。最初0-2でどうも難しいなと思っていたら5回か6回に5点を入れて逆転。面白いように点が入り初勝利。2回戦で三重の相可に勝ち3回戦で宿敵・群馬代表の前橋工業と当たりました。
比叡山は気迫に満ちた試合で勝利でベスト8へ。嬉しかったですね。
残念ながら準々決勝は香川と牛島のいる大阪の浪商に0-10の大敗でした。この試合何でも比叡山の選手が試合前日の夜、ス振りをしていると浪商の選手が通りかかり「お前ら明日、勝つつもりでいてるんけ(笑)、やめとけやめとけ、わしらこれからゲームセンターへ行くは。」と言われたそうです。香川や牛島なら、わかりますな。
この頃の滋賀県は翌年、瀬田工業がベスト4、その次は近江が1回戦勝利、その次に比叡山がベスト8と力をつけてきました。1年あけて、長浜が湖北勢唯一の勝利。
しかし、まだくじ運次第のところがあったようです。
ちなみに、北大津の監督は滋賀勢初勝利の比叡山のメンバーの一人です。
65年目の終戦記念日
本日は終戦記念日。戦没者慰霊式にも体験者の参列者は少なくなりつつあります。本日の毎日新聞のコラム(余禄)を見ると明治維新から戦前に松岡洋右が「連盟よさらば。」の言葉を残した国際連盟脱退までの期間がちょうど65年だそうです。まさしく、日本が世界から孤立する方向へ向かってしまった、この歴史の教訓から私達は間違った方向に進まないように取り組んでいく必要があるのだと思います。
私事ですが、父が5年前の8月8日。ちょうど戦後60年の頃に亡くなりました。父が終戦を迎えたのは旧制虎姫中学(現・虎姫高校)4年生の時。父は学校へ勉強に行くのではなく、植林(今の米原市甲津原付近)や干拓(今のエクシブ周辺の入江内湖)に行くのが殆どだったそうで、もちろん英語は敵国語で禁止。だから、あまり英語はわかりませんでした。
卒業後は家業(今の本家K)に入り、江戸時代から続く商売の中でパンを始めたのでした。当時は統制経済で粉や卵が手に入りません。それで、製粉を始め、鶏も飼っていたそうです。よく懐かしげに話してくれました。
父の誕生日は9月2日ですが、昭和20年のその日は戦艦ミズーリの上で重光外相が降伏文書に調印した日でした。おそらく、「よしやるぞ!」と燃えていたんだと思います。その結果、兄弟で唯一、大学へは行かずに家業を継いでいました。
その後、実家から独立し、当社は現在にいたっております。
よく、人が亡くなる日は何かその人らしい日であるようなきがします。曳山祭りや十日戎の頃に亡くなると「まつりが好きな人やったでな~。」なんていいます。
父は長い歴史の家業の中で起業家であった気がします。それも、戦後の混乱期の中で立ち上がってきた。それで60年目の終戦記念日の頃に亡くなるというのはある意味綺麗な死に方でした。
毎年、終戦の日の前1週間は父の姿に重ねて、日本を再建して来た人に負けないように今年1年を振り返っている気がします。
そうすると成長のない自分にもっと発破をかけないといけないなと思います。