ドカベン逝去

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 本日の朝、いつもより遅く起きたのですが、先に起きていたバタコが「ドカベン、亡くなったんやてな。」という言葉にびっくり。ドカベンとは水島信二さんの高校野球漫画ですが、明訓高校のキャッチャーで4番打者が山田太郎で、それにそっくりなのが、今回亡くなった香川信行元プロ野球選手でした。この明訓高校はこの夏にも出場した新潟の新潟明訓高校が名前のモデルです。


 今回思ったのは香川選手は私と同学年の選手だったのである意味、ショックを受けました。滋賀県が弱く、比叡山高校が選抜で完全試合を食らった時に、2年生ながら「ドカベンそっくり。」として注目をされていたのが浪商高校(現大体大付属浪商)の香川でした。その年はあっさり負けましたが、翌年の選抜に出てきまして、牛島(のちの横浜監督)香川のバッテリーで快進撃。この年春夏連覇を遂げる和歌山県の箕島高校に決勝で敗れました。夏は大阪大会でPLに勝利して出場。この年の大阪大会決勝はNHKで全国放送されまして、電気使用量がピークに達したと言われました。そして香川は「選抜の再現をやろうや。」と箕島の選手に言ったそうです。


 そして、この年夏の大会滋賀県勢初勝利の比叡山と準々決勝で対戦。10-0と叩きのめします。聞くところによると試合前日に宿舎の前で素振りをしていた比叡山の選手の前を通った浪商の選手たちが「お前ら明日ワシらに勝つつもりでいるんけ、やめとけやめとけ、わしらこれからゲームセンター行くんや。」と言ったそうです。


 比叡山に完勝した浪商でしたが準決勝で徳島の池田に敗れました。この時の香川の力を落とした涙の姿はよく覚えています。



 そうこうしてドラフト会議があり、牛島は中日に1位指名、香川は南海に2位指名でした。そして12月だったかな、私は母校の推薦入試を受けるために宿舎に同級生と泊まっていました。テレビをつけると牛島と香川の入団会見でした。私は同級生に「えらい違いやな、こいつらは入ってくれと言われて入団、こちらは大学に入れてくれと入試を受けるんやでな。」といったことを覚えています。この時は残念ながら2人とも不合格で、私は2月に一般入試で母校に合格しました。別に憧れていたわけではありませんが、再度受けなおしてリベンジでした。



 こうして香川はプロ野球に入りましたが、あの体ではプロでは難しかったようです。プロ入り初打席で当時の近鉄の井本から本塁打ですから打撃は非凡なものでしたが、あれでは守りなどは高校ではできてもプロでは無理でした。よく考えたら平和な時代で香川は減量の為に入院していましたね。


 そのあとはいろいろな事業をやって破産したこともあったらしいですね。


 余りにも若すぎる死に、同級生?の私もさびしいですね。

 私の学年は本当に薄い学年で1つ上の偉大なる先輩くんさんや油甚さんのような濃い学年と違って、スポーツなどではそんなにめぼしい成績を上げていません。その中で数少ない有名選手の一人の香川。残念です。ご冥福をお祈りいたします。

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