無条件降伏の日

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 本日は亡父の誕生日。もし生きていれば85歳です。亡くなって9年が経ちました。亡くなった日は8月8日でしたので満75歳。数え年で77歳で喜寿でした。享年というのは数え年で計算するものだそうで、墓の墓標には享年77としてあります。母がそれの方がかっこいい(?)というのでそうしました。


 父が亡くなった年は平成17年、昭和80年です。つまり戦後60年でした。法事の前にあったサンデーモーニングで日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏をし、アメリカ軍戦艦ミズーリ号の艦上で日本の重光葵外相が降伏文書に調印した日が9月2日であることを言っておりました。


 そのとき、「ああ、親父は当時旧制中学(現・虎姫高校)4年生、ここから、店の復興に頑張ったんだな。」と思うところがありました。父は4人兄弟で唯一、大学を出ておりません。不思議なもので子供が他の伯父(叔父)は長女・長男の順で2人なのに、父は長男・長女・次女の順で3人です。また、他のおじは子供(いとこ)が大学を浪人しているのに父の子は全て現役合格でした。まあ、どうでもいいのですが、親父はその中でよく頑張ったものだと思います。本当に父に申し訳ない思いです。


 父はよく「わしは、兄貴や弟と違って大学出てんやろ。ほんで会社潰したらドカタになるしかなかったんや(工事現場で働くことはつらい仕事だということです)。だから歯を食いしばって頑張ったんや。ホンで勝ったがな!」と言っていたことを思い出します。



 この苦しかった時代を切り抜けてきた日本。戦争での尊い犠牲を礎に築き上げた平和国家日本。どこかのバカが「平和ボケした日本人。」と言いますが、当たり前のことなど何一つ存在しないこの世の中。戦争の仕方も変わっております。再軍備をするのではなく、しっかり歴史を学ぶべきだと思います。


 日本がアジアの人々を苦しめたことは、しっかり学び反省するべきですし、逆に終戦間際のどさくさに紛れて北方領土を不法に占拠し、たくさんの民間人を虐殺し日本女子に暴行したソ連軍の悪行などは、しっかり学ぶべきです。そして戦争は2度としてはいけないということを、誓い、世界に誇れる美しい日本を築いていく誓いをするべきなのでしょうね。

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