サヨナラコールド負け

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 本日、高校野球滋賀大会の2回戦、比叡山対伊吹の試合が彦根球場で行われました。先日、神無月さんから戴いた券をもって見に行ってまいりました。

 

 昨年秋より、何回か登場しているバタコの甥が伊吹高校野球部で最後の大会の初戦を迎えました。今日は本人の両親はもちろん、バタコの弟夫婦も大阪から駆けつけました。義弟は補欠ながら伊香高校で甲西に決勝で敗れた元高校球児です。だから、思うところがあるんでしょうね

 

 

 先ほど高校野球ハイライトを見ていましたが、伊吹が1回に先制。そして2点目のタイムリーが甥でした。

 その後エースが完全に比叡山打線に合わされていましたので中継ぎ登板。徐々に点差をつけられつつも6回に1点を返します。しかしこの回は自滅的なアウトが相次いで点差を縮められなかったため、あとで残念なコールドの伏線をひいてしまいました。

 

 3-7で7回裏、比叡山の攻撃。伊吹の誰もがコールド負けの危機を忘れていたと思います。1点をとられて、そのあと長打で2点が入り、万事休す。「しまった、コールド負けだ。」完全に力負けしてしまった試合ですが、最後まで試合がやれるそんな気がした試合でした。

 

 試合終了後、球場の外で選手らを待ちました。最後の挨拶。主将のO君は本当に素晴らしい挨拶をしました。マイクがないので聞き取れないのが多かったのですが「強豪に正面から思い切りぶつかり、自分たちの力を出し、伊吹の野球をやれた。この素晴らしい仲間と野球がやれ幸せでした。悔いはありません。」というようなことが聞き取れました。他にも色々と言っていたのですが、すがすがしい表情で語っていたのが感動的でした。

 

 あとで、バタコの甥からもメールが来て「本日は暑い中ありがとうございました。精いっぱい戦ったので悔いはありません。」という内容でした。

 

 終了後、トイレに行ったとき、引き上げる比叡山の応援団とすれ違うのですが、軽く何ともなかった表情でいたので悔しい気がしました。テレビのハイライトでも比叡山の選手は「伊吹もなかなかやるな。これからも気をつけて試合せんと。」というようなインタビューで力の差は予想以上だったのかもしれませんね。

 

 伊吹高校野球部のの3年生の夏は終わりました。O主将の話にあるように彼らは素晴らしい経験、そして高校生活を送ったと思います。次の新しい進路でもこの経験は必ず役に立つと思います。

 

 ありがとう。おじバカもこれでいったん卒業です(笑)。

虎姫高校の高校野球

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 昨年はロンドン五輪の最中だったか、忘れていましたが、今年の高校野球の滋賀大会は注目しております。昨年新聞で酷評された湖北勢。今年は、わが母校も1回戦勝利しました。しかし、本日は守山北と対戦。強いですね(虎高が弱いのか?)6回サヨナラコールド負け(5回経過後で10点差以上、7回以降7点差)しました。

 

 長浜北高も本日、守山をコールドで下した水口に1回戦、あわや勝利でしたから、まあ、善戦しているのでしょうか?

 

 

 さて、わが母校。硬式に転向したのが私が高校に入る2年前。夏の大会の初試合はその年の選抜に出た能登川。序盤は接戦もてコールド負けだったのを覚えています。なぜかというとそのころはびわ湖放送で1回戦からやっていたので見たからです

 

 2年目はどこが相手か忘れましたが、レベルの低い試合ながら接戦で敗れました。

 そして私が入学した年。1回戦で今回と同じ愛知だったと思いますが、コールド勝ち。2回戦で春の大会2位だった瀬田工業に0-14でコールド負けだった記憶があります。ブラスバンドで応援に行っていた同級生が「面白くない試合だった。」と言っていました。その時はラジオで中継していましたね。

 

 

 2年生のときは力をつけていてベスト8には行けるのではと新聞などでは言っていました。しかしその2回戦。膳所に敗れます。その間違って(失礼)勝ってしまった膳所は甲子園まで進み。第60回記念大会でこれより1県1代表制となった夏の大会で群馬の桐生に0-18、5回を除き毎回失点で2塁も踏めない1安打(それも内野安打エラーでもおかしくない)で敗れました。

 

 私が3年の時。その年は比叡山が夏の甲子園滋賀県勢初勝利を挙げますが懐かしいですね。

 その年は滋賀県で高校総体があったため、滋賀大会も7月に入るとすぐありました。1回戦は日曜日、高島戦。急造応援団で彦根球場に応援に行きました。名物竹ぼうき軍団という応援方法で、竹ぼうきの意味は「1、きれいな試合をしよう。2、クリーンヒットをかっ飛ばそう。3、試合終了後の掃除道具。」

でした。早朝に応援道具を積んで虎姫を出て、彦根球場までの徒歩で行く途中の神社やお寺で必勝祈願をするというもの(ほんまアホですな・笑)

 

 実は昼食のパンを頼んでくれたのですが、親父が「今日のはおごったろ。」と笑いながら言ってくれたことが思い出されます。

 

 試合は2-3で負けていた9回の表、私たちの応援の凄さに、遠くで応援団も少なかった高島の選手は浮足立ったのか虎姫が5点を入れ勝ちました。

 

 2回戦は前年優勝の膳所。今でも記録に残っている最多残塁の記録を残す息づまるゲーム。ラジオは皇子山の試合で途中に流れる彦根球場の結果を聞きながら、勝った瞬間、学校内が盛り上がりました。これで虎姫は創部以来初のベスト8でした。

 しかしこの試合、学校があるのに彦根球場に行く生徒が多くいて先生が球場前で止めに行かれるということがありました。「出場辞退になったらどうする。」ということでした。

 

 準々決勝は能登川に最後引き離され敗れました。この試合も学校があり見に行けませんでした。

 

 その後は2回ベスト8に行ったのかな。3年生のときに名将・西岡先生が来られ、翌年もベスト8、3年目は甲子園のつもりだったのですが1回戦で負けてしまいました。

 平成に入ったころ、もう一度ベスト8に入ったかな。

 

 私の同級生U君が監督で春の大会で一度3位になったことがあります。夏は1回戦敗退でした。その年は近江が全国で準優勝した年です。

 

 虎姫高校野球部は「1に勉強、2に野球、そしてそれらを貫く人間愛。」だったと思いますが、爽やかな部分だけでなく、泥臭い、力強い野球を取り入れて、生きているうちに?・(笑)甲子園に連れて行ってほしいですね。

 

 

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