雨森芳洲庵

テーマ:父とお出かけ

以前から芳洲庵の前は通ることはありましたが、中に入って見学することはありませんでした。

しかも方向音痴の私は、何回行ってもすんなりたどり着けず、父に道案内を頼んでついて来て貰うことに。

 

 

 

 

 

そうそう、この大きな水車が目印。

 

 

 

 

 

雨森芳洲庵

東アジア交流ハウスとなっております。

この建物は、芳洲の出身地に芳洲の生涯をたどり、思想や業績を顕彰するとともに、東アジアとの交流と友好をめざす拠点として建てられたとあります。

雨森芳洲は江戸時代中期の儒学者で、朝鮮との外交に活躍された方ということはみなさんご存知のとおりです。

 

 

 

 

立派なケヤキがお出迎え。

このケヤキ、高月町10選に入る巨大ケヤキだそうです。

 

 

 

 

入り口は趣のあるたたずまい。

 

 

 

 

玄関に入りますと雨森芳洲さんの自画像がお出迎え。

 

 

 

 

国際交流の基本は『互いに欺かず、争わず、真実を以って交わる』と誠信の交わりを説いた国際人・雨森芳洲と書かれています。

 

 

 

 

 

雨森芳洲庵の中は、朝鮮通信使に関する資料の展示室と、雨森芳洲の坐像が床の間に飾られた和室があり、日本最初の朝鮮語学習書とされる「交隣須知(こうりんすち)」などの芳洲の著書や資料が豊富に展示してあります。

 

 

 

 

 

盧泰愚大統領が来日され、昭和天皇との晩餐会で、雨森芳洲のことを話され、一段と注目されるようになったのだとか。

 

 

 

 

父がこの詩がいいので写真を撮ってくれと言います。

自分の歳と重ね合わせたのでしょうか。

 

 

司馬遼太郎氏も訪れていらっしゃいます。

 

 

 

 

和室の芳洲の坐像の横の壁には、司馬遼太郎氏の笑顔の写真もありました。

ここで私たちに、館員の人がおいしい熱いお茶を振舞ってくださいました。

 

 

 

 

司馬遼太郎氏は『街道を行く 第13巻 壱岐・対馬の道』の中で雨森芳洲のことを詳しく述べていらっしゃいます。

この初版が出たのは1975年(昭和50年)だから、高月町のこの芳洲庵ができる9年前に書かれているそうです。

 

 

 

 

 

その当時のお料理が再現されています。

それに見入る父。

 

この雨森芳洲さんについて、詳しくはこちらを。

 

 

高月の町は川沿いに綺麗に花が植えられ鯉も泳いでいます。

 

 

 

 

町の皆さんが綺麗な川の流れる街づくりに取り組んでおられることがよくわかります。

 

 

 

 

小さな水車もかわいいですね。

 

木之本からほんの10分。

私の場合道を迷うので15分。

 

今度は一人で来てみよう。

 

迷って20分かかったりして。。。

 

 

 

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ゆうこりん

滋賀県の木之本で酒造業をいとなんでおります山路酒造の女将です。
私も、杜氏と一緒に酒造りに励んでおります。

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