カピさんとの思い出
テーマ:ブログ
2014/12/28 12:36
昨日もお知らせしたようにカピさんがお亡くなりになられました。
本当にあんなに強かったカピさんが亡くなられるなんて信じられない気持ちです。何回か書いておりますが、カピさんと私は高校の柔道部の先輩と後輩です。
幼いころから、いじめられっこで強くなりたいと思っていた私は、高校に入ると柔道部の門をたたきました。当時の虎高の旧体(虎高ができた時からある建物で旧体育館という意味です。今はありません。)で剣道部、卓球部と一緒に練習していた柔道部。そこで最初に受け身から指導して頂いたのは当時2年生の、油甚さんと同級生で今は市役所のえらいさんのO先輩でした。
そのうち入ってこられた3年生のカピさん。怖い感じで、弱虫の私はびくびくしていました。
当時の虎高の柔道部はインターハイに行くほどではありませんが、県ではベスト8でトップクラスの比叡山、彦根東、伊香、彦根工業にもう少しというところでした。春は伊香と1回戦予選リーグで当たり、1-2の惜敗。最後の大将戦でカピさんが勝てば代表戦でしたが、相手もさるもの引き分けに持ち込まれて負けました。夏は彦根工業と接戦の末、敗れました。そこそこ強い柔道部でしたが、3年生が引退後、2年生も退部で一気に弱体化。近年は部員が集まらず廃部になっています。
カピさんは練習では厳しく、それでも時には優しく笑わせてくれ、本当にいい練習でした。柔道では首を絞める絞め技があるのですが、それが決まった後で続けたりすると気絶(落ちる)することがあります。私が初めて落とされたのも恐らく、カピさんでした。まいったしても離してくれませんので、いつの間にか気を失っていました。少し前に油甚さんと同級生のTさんがしょっちゅう落とされていましたので恐怖でしたが、その時が来たようでした。
私は、いじめられっこで運痴(運動音痴)なので、進歩は他の同級生よりも遅かったです。それでも一度、1年生がたるんでいる中で「ぱんやは進歩が遅いけど一番一生懸命や。」と言ってくださったのを覚えております。
その後カピさんは卒業後警察学校に入り警察官になられました。そして私が高校3年生になって春の大会の前でした。ひょいとカピさんが来られました。たるみきった柔道部にあきれておられたと思いますが、にっこりしながら練習に参加してくださいました。そして私と練習したのですが、私が次々と投げるので「カピさん、もっと投げてください。」と私は言いました。そのあとで、みんなに言葉をいただき、たるんでいることには何も言われず「頑張れよ。このぱんやなんてのは一番弱かったけど一番強くなってるよ。」と言われました。
それ以来、カピさんとは会うこともなく、カピさんと同級生のS先輩とは何度か練習もしましたが、カピさんとは一度も練習をすることなく今に至ります。
それがオフ会でお会いしたとき、最初柔道部の先輩と言われて、最初に浮かんだのはFさん(カピさんの本名のイニシャル)でしたが、やはり面影は変わっていますので「まさか~。」と思いました。
先輩というものはよく覚えていますが、後輩はよほど印象が強くないと覚えていません。カピさんもそうでした。恐らく十分には思い出しておられないというか記憶にも残されなかったでしょうね。
みのりさんが「今年は悲しい別れが多くて・・・。」とコメントしてくださっていますが、私もそうです。本当に驚くような悲しい別れが多い年でした。それでも、何時かは人間は別れなければなりません。悲しんでいるだけではなく、カピさんが書いていただいているように「生きていることに感謝して。」精いっぱい前向きに生き抜いていくようにがんばっていきたいと思います。
カピさん、ありがとう。安らかに眠ってください。
本当にあんなに強かったカピさんが亡くなられるなんて信じられない気持ちです。何回か書いておりますが、カピさんと私は高校の柔道部の先輩と後輩です。
幼いころから、いじめられっこで強くなりたいと思っていた私は、高校に入ると柔道部の門をたたきました。当時の虎高の旧体(虎高ができた時からある建物で旧体育館という意味です。今はありません。)で剣道部、卓球部と一緒に練習していた柔道部。そこで最初に受け身から指導して頂いたのは当時2年生の、油甚さんと同級生で今は市役所のえらいさんのO先輩でした。
そのうち入ってこられた3年生のカピさん。怖い感じで、弱虫の私はびくびくしていました。
当時の虎高の柔道部はインターハイに行くほどではありませんが、県ではベスト8でトップクラスの比叡山、彦根東、伊香、彦根工業にもう少しというところでした。春は伊香と1回戦予選リーグで当たり、1-2の惜敗。最後の大将戦でカピさんが勝てば代表戦でしたが、相手もさるもの引き分けに持ち込まれて負けました。夏は彦根工業と接戦の末、敗れました。そこそこ強い柔道部でしたが、3年生が引退後、2年生も退部で一気に弱体化。近年は部員が集まらず廃部になっています。
カピさんは練習では厳しく、それでも時には優しく笑わせてくれ、本当にいい練習でした。柔道では首を絞める絞め技があるのですが、それが決まった後で続けたりすると気絶(落ちる)することがあります。私が初めて落とされたのも恐らく、カピさんでした。まいったしても離してくれませんので、いつの間にか気を失っていました。少し前に油甚さんと同級生のTさんがしょっちゅう落とされていましたので恐怖でしたが、その時が来たようでした。
私は、いじめられっこで運痴(運動音痴)なので、進歩は他の同級生よりも遅かったです。それでも一度、1年生がたるんでいる中で「ぱんやは進歩が遅いけど一番一生懸命や。」と言ってくださったのを覚えております。
その後カピさんは卒業後警察学校に入り警察官になられました。そして私が高校3年生になって春の大会の前でした。ひょいとカピさんが来られました。たるみきった柔道部にあきれておられたと思いますが、にっこりしながら練習に参加してくださいました。そして私と練習したのですが、私が次々と投げるので「カピさん、もっと投げてください。」と私は言いました。そのあとで、みんなに言葉をいただき、たるんでいることには何も言われず「頑張れよ。このぱんやなんてのは一番弱かったけど一番強くなってるよ。」と言われました。
それ以来、カピさんとは会うこともなく、カピさんと同級生のS先輩とは何度か練習もしましたが、カピさんとは一度も練習をすることなく今に至ります。
それがオフ会でお会いしたとき、最初柔道部の先輩と言われて、最初に浮かんだのはFさん(カピさんの本名のイニシャル)でしたが、やはり面影は変わっていますので「まさか~。」と思いました。
先輩というものはよく覚えていますが、後輩はよほど印象が強くないと覚えていません。カピさんもそうでした。恐らく十分には思い出しておられないというか記憶にも残されなかったでしょうね。
みのりさんが「今年は悲しい別れが多くて・・・。」とコメントしてくださっていますが、私もそうです。本当に驚くような悲しい別れが多い年でした。それでも、何時かは人間は別れなければなりません。悲しんでいるだけではなく、カピさんが書いていただいているように「生きていることに感謝して。」精いっぱい前向きに生き抜いていくようにがんばっていきたいと思います。
カピさん、ありがとう。安らかに眠ってください。