チリの喜び、日本でもあったのです
チリの鉱山事故で奇跡の生還。本当に世界じゅうのひとが喜びに湧いたのではないでしょうか(北朝鮮などは知らされないでしょうけれど)。
これを見ていまして、私の中学時代だと思うのですが道徳の教科書でこれによく似たことが昔日本でもあった事が載っていたのを覚えています。
今回のチリの落盤事故で33人のリーダー格だったウルスアさんのようにリーダーの大切さが言われておりますが同じような事が日本の丹那トンネル(静岡県・東海道本線)の工事でもありました。
丹那トンネルが完成する1934年(昭和9年)まで東海道線は富士山の辺りで御殿場方面へ迂回していました(今の御殿場線)。当時の汽車では勾配も急なこの辺りは東海道本線の難所でした。トンネル開通と同時に距離は12キロほど短縮されただけですが到達時間と運送経費が大幅に節減されたと言われます。
計画では1918年(大正7年)着工、7年後の1925(大正14年)完成予定で着工されましたが、非常に難しい工事で犠牲者を67名も出し16年後の1934年完成しました。予算も当初770万円の予定が2600万円かかったそうです。
その事故の中で1920年(大正9年)に発生した崩落事故が今回の話しです。同年4月1日、事故が発生し42名が巻き込まれました。奥にいた17名は幸いにも生き埋めにならなくてすみましたが閉じ込められてしまいました。1週間後の4月8日に助けられました。この事実道徳の教科書では次のような内容であったと覚えています。
落盤事故直後、生き埋めにならず助かった人達は、カンテラというんですか灯りをつけてひとまず落ち着きました。リーダーの何と言う人か忘れましたがみんなに「絶対助けに来てくれる。それまで頑張ろう。」と言ったそうです。
しかし、途中でカンテラも切れて真っ暗になります。そんななか、「みんなで歌を歌おう。」と言って元気付けます。
ところが日数が経つにつれ外気と遮断されていますから空気がにごってきて息苦しくなってきます。そうなってくるとその中から「こんな苦しい想いをするのなら、ひとおもいに死のう。」「そうだそうだ。」と言う者が出始めました。
そこで先程のリーダーの人が「この意気地なし、最後まであきらめるな。」と言って皆を元気付けました。
そうして4月8日に救助隊が到着しました。救助隊も奇跡的に生きていた事に驚いたそうです。こうして17名の人達は目隠しをして救助されたそうです。
道徳の教科書に載っていたこの史実。何かよく似た事で思い出しました。本当に上に立つ人の大切さを思いますし、この素晴らしい事実は世界の人を一番感動させた事なのかも知れません。