すべては、あの日から始まった!

テーマ:あったかい家
今日は阪神淡路大震災の発生からちょうど14年目です。
犠牲者の方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

あの日、平成7年1月17日。私が午前5時46分に震度5の揺れを感じたのは滋賀県長浜市。妻と寝室で、まだ床にいる時でした。私が生まれてからもっとも大きな揺れの地震で、その時は長浜市が震源だと思っていました。

朝の支度をして、午前7時のテレビニュースを見てみると、震源地は兵庫県の阪神淡路地区。震度は当時最高震度の7。そして、テレビに映る光景は想像をはるかに超えるものでした。

火災が発生しているのに、消防活動が出来ず、家というか町が炎上するのを茫然と見ているしかなかった町。
鉄筋コンクリートの建物の中間階が破壊され、建物が縦にひしゃげた病院。
横倒しに倒壊してしまった高速道路。

など、言葉を失っていたことを思い出します。
当時私は34歳。震災発生後の19日に現地へ入り、救援活動の手伝いを始めたことも思い出します。

そうです。あの日からすべてが始まりました。
建築基準法が改正する方向になり、耐震基準の見直し・強化が始まり、建物の品質をよくする動きが始まったのです。

私の家づくりに対する考え方も、あの日を境に、
「住む人の生命と財産を守る家づくり」
が、より明確になりました。以来、新潟の佐藤さんなどとの出会いもあり、皆さんのご指導のお陰で今日の私があり、わが社があります。

あの日を忘れない。

あの日から始まった。地震に強い家。家族の健康づくりに貢献できる家への新たな取り組み。
防湿防蟻耐震対策基礎+木造軸組み工法+断熱・気密工法でしっかりと取り組かなければと、祈りを込めて誓います。
感謝

船浅  藤居昌幹

コメント

  1. 2012/01/17 23:20
    私は青年会議所で1か月後にボランティアで水木小学校に行きました。何か、この世とは違う別世界に入り込んだ気がしました。大相撲で震災の日に生まれた力士が今日試合をしたそうです。とにかく、近所の絆を強くしていきたいですね。
  2. 2012/01/18 08:56
    そうでした。震災から5日目くらいの深夜に灘区の方へ物資を運びに行ったとき、電気の無い真っ暗な町の中に、被災された方が焚火をたいて暖をとっておられた姿が、脳裏に焼き付いています。おっしゃる通りこの世とは違う別世界でした。絆を強く・・・そう思います。

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