すべては、あの日から始まった!
テーマ:あったかい家
2012/01/17 18:46
今日は阪神淡路大震災の発生からちょうど14年目です。
犠牲者の方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
あの日、平成7年1月17日。私が午前5時46分に震度5の揺れを感じたのは滋賀県長浜市。妻と寝室で、まだ床にいる時でした。私が生まれてからもっとも大きな揺れの地震で、その時は長浜市が震源だと思っていました。
朝の支度をして、午前7時のテレビニュースを見てみると、震源地は兵庫県の阪神淡路地区。震度は当時最高震度の7。そして、テレビに映る光景は想像をはるかに超えるものでした。
火災が発生しているのに、消防活動が出来ず、家というか町が炎上するのを茫然と見ているしかなかった町。
鉄筋コンクリートの建物の中間階が破壊され、建物が縦にひしゃげた病院。
横倒しに倒壊してしまった高速道路。
など、言葉を失っていたことを思い出します。
当時私は34歳。震災発生後の19日に現地へ入り、救援活動の手伝いを始めたことも思い出します。
そうです。あの日からすべてが始まりました。
建築基準法が改正する方向になり、耐震基準の見直し・強化が始まり、建物の品質をよくする動きが始まったのです。
私の家づくりに対する考え方も、あの日を境に、
「住む人の生命と財産を守る家づくり」
が、より明確になりました。以来、新潟の佐藤さんなどとの出会いもあり、皆さんのご指導のお陰で今日の私があり、わが社があります。
あの日を忘れない。
あの日から始まった。地震に強い家。家族の健康づくりに貢献できる家への新たな取り組み。
防湿防蟻耐震対策基礎+木造軸組み工法+断熱・気密工法でしっかりと取り組かなければと、祈りを込めて誓います。
感謝
船浅 藤居昌幹
犠牲者の方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
あの日、平成7年1月17日。私が午前5時46分に震度5の揺れを感じたのは滋賀県長浜市。妻と寝室で、まだ床にいる時でした。私が生まれてからもっとも大きな揺れの地震で、その時は長浜市が震源だと思っていました。
朝の支度をして、午前7時のテレビニュースを見てみると、震源地は兵庫県の阪神淡路地区。震度は当時最高震度の7。そして、テレビに映る光景は想像をはるかに超えるものでした。
火災が発生しているのに、消防活動が出来ず、家というか町が炎上するのを茫然と見ているしかなかった町。
鉄筋コンクリートの建物の中間階が破壊され、建物が縦にひしゃげた病院。
横倒しに倒壊してしまった高速道路。
など、言葉を失っていたことを思い出します。
当時私は34歳。震災発生後の19日に現地へ入り、救援活動の手伝いを始めたことも思い出します。
そうです。あの日からすべてが始まりました。
建築基準法が改正する方向になり、耐震基準の見直し・強化が始まり、建物の品質をよくする動きが始まったのです。
私の家づくりに対する考え方も、あの日を境に、
「住む人の生命と財産を守る家づくり」
が、より明確になりました。以来、新潟の佐藤さんなどとの出会いもあり、皆さんのご指導のお陰で今日の私があり、わが社があります。
あの日を忘れない。
あの日から始まった。地震に強い家。家族の健康づくりに貢献できる家への新たな取り組み。
防湿防蟻耐震対策基礎+木造軸組み工法+断熱・気密工法でしっかりと取り組かなければと、祈りを込めて誓います。
感謝
船浅 藤居昌幹