時を大切に
テーマ:ブログ
2008/11/30 21:33
11月も今日で終わり、いよいよ明日からは師走です。
1年、12ヶ月は本当に早く過ぎると、年を重ねるごとにつくづく思う。
そう言えば、小学生4年生の頃、祖父がこんなことを私に言ったことがある。
「同じ一年でも、おまえ10歳にだから、おまえの一年は10分の1や。
わしは、もう65歳やから、わしの一年は65分の1なんや。
時間を大切にして生きていけよ!」・・・と・
明日を憂う無かれ、昨日を悔やむなかれ、という言葉がある。
今日という日を最大限に努力せよとの意です。
限られた時間を、世間のお役に立つために一生懸命生きることに尽くしたい。
人は欲に駆られると、大切なことを忘れてしまうことがある。
9月の米国を端に発した「金融危機」も、バブルという人の欲が作り出した後の結果に過ぎない。
昨今の状況は、マスコミや大企業の発する情報が、必要以上に不安を増幅しているような気がしてならない。
確かに、影響は無くはないだろうが、一人ひとりが元気を出すことで、
周りが明るくなり、いい方向へと転換していくという考えは楽観過ぎるかもしれないが、
日々の心づかいの積み重ねが、人生を形づくっている事実に目を向けると、
案外そういうことなのかと思うのですが・・・
明日から12月、いい一年として締めくくれるように、一日一日を大切にしてきます。
感謝
船浅 藤居昌幹
1年、12ヶ月は本当に早く過ぎると、年を重ねるごとにつくづく思う。
そう言えば、小学生4年生の頃、祖父がこんなことを私に言ったことがある。
「同じ一年でも、おまえ10歳にだから、おまえの一年は10分の1や。
わしは、もう65歳やから、わしの一年は65分の1なんや。
時間を大切にして生きていけよ!」・・・と・
明日を憂う無かれ、昨日を悔やむなかれ、という言葉がある。
今日という日を最大限に努力せよとの意です。
限られた時間を、世間のお役に立つために一生懸命生きることに尽くしたい。
人は欲に駆られると、大切なことを忘れてしまうことがある。
9月の米国を端に発した「金融危機」も、バブルという人の欲が作り出した後の結果に過ぎない。
昨今の状況は、マスコミや大企業の発する情報が、必要以上に不安を増幅しているような気がしてならない。
確かに、影響は無くはないだろうが、一人ひとりが元気を出すことで、
周りが明るくなり、いい方向へと転換していくという考えは楽観過ぎるかもしれないが、
日々の心づかいの積み重ねが、人生を形づくっている事実に目を向けると、
案外そういうことなのかと思うのですが・・・
明日から12月、いい一年として締めくくれるように、一日一日を大切にしてきます。
感謝
船浅 藤居昌幹
心の貧乏をしないように
テーマ:神仏のおかげ
2008/11/28 19:30
国内外を問わず、よくこれだけ起きるな!と思うほど、事件・事故・出来事が起きるものですね。
インドでの同時テロ、タイでの空港閉鎖、日本では元厚生労働事務次官宅襲撃など・・・。
これらの出来事に共通すると思われるのは、そもそも人の心の不満から始まっていることだと思います。
というか、人間社会で起きる「事件」と言われるものは、おおよそ不満が原因でしょう。
私たちは欲がなくして生きていけません。
問題は、その欲がいい方向にベクトルが向いているのか否かではないでしょうか。
不平や不満は、いろいろな原因によって心の内面から出てくるもので
多くは、自分の思い通りにならないことから、毎日の心づかいの積み重ねの結果だと思います。
以前、ドトールコーヒーの鳥羽博道さんのお話でこんなことおっしゃってました。
― 今、しみじみ感じることに、父から教えられた「金の貧乏をしても心の貧乏はするな」ということがあります。商品づくりにおいて第一に思うことは、お客様にいかに喜ばれるかということです。心の貧乏をしている人は、お客様のことより先に、利益やコストを考える傾向が強いのではないでしょうか。
また、子供のころ家の床の間に「至誠通天」という書が飾ってありました。誠は天に通じるということです。この二つの言葉は父からもらった宝物であり、私の生きる指針となっています。―
人様に喜んでいただけた結果として、自分の心も内面から充実してくる、何か感動のようなものがあると思うのです。そのような積み重ねを行っていくと、自ずと感謝の心が湧くようになってきて、不平や不満の心はどこかへ消えていくような気がします。
上に立つ人は特に、下で支える人も、みんながお互いに喜んでいただくことを考えて行えば、
毎日、世間を賑わしているようなことは、少しづつでも減っていくでしょう。
心の貧乏をしないように!
神仏に通じる心に近づくように!
今日を大事に生きたいと思います。
感謝
船浅 藤居昌幹
インドでの同時テロ、タイでの空港閉鎖、日本では元厚生労働事務次官宅襲撃など・・・。
これらの出来事に共通すると思われるのは、そもそも人の心の不満から始まっていることだと思います。
というか、人間社会で起きる「事件」と言われるものは、おおよそ不満が原因でしょう。
私たちは欲がなくして生きていけません。
問題は、その欲がいい方向にベクトルが向いているのか否かではないでしょうか。
不平や不満は、いろいろな原因によって心の内面から出てくるもので
多くは、自分の思い通りにならないことから、毎日の心づかいの積み重ねの結果だと思います。
以前、ドトールコーヒーの鳥羽博道さんのお話でこんなことおっしゃってました。
― 今、しみじみ感じることに、父から教えられた「金の貧乏をしても心の貧乏はするな」ということがあります。商品づくりにおいて第一に思うことは、お客様にいかに喜ばれるかということです。心の貧乏をしている人は、お客様のことより先に、利益やコストを考える傾向が強いのではないでしょうか。
また、子供のころ家の床の間に「至誠通天」という書が飾ってありました。誠は天に通じるということです。この二つの言葉は父からもらった宝物であり、私の生きる指針となっています。―
人様に喜んでいただけた結果として、自分の心も内面から充実してくる、何か感動のようなものがあると思うのです。そのような積み重ねを行っていくと、自ずと感謝の心が湧くようになってきて、不平や不満の心はどこかへ消えていくような気がします。
上に立つ人は特に、下で支える人も、みんながお互いに喜んでいただくことを考えて行えば、
毎日、世間を賑わしているようなことは、少しづつでも減っていくでしょう。
心の貧乏をしないように!
神仏に通じる心に近づくように!
今日を大事に生きたいと思います。
感謝
船浅 藤居昌幹
家も心もあったかく
テーマ:ブログ
2008/11/26 23:49
小春日和のあたたかな一日でした。
先週は山が白くなりはっとしましたが、紅葉が美しく映えて気持ちのいい一日でした。
さて、家の温度を少し上げてみては如何でしょうか。
自分の家の中が、外の温度よりも温かかったならば、家の居心地はよくなります。
ここでいう温度とは、人間としてのふれあいの温度のことです。
昨今、小学生からの子供の問題行動が顕著となっています。
その問題行動をつくりだすひとつの原因に、両親の不仲があるとか??
両親が争ったり対話がなければ、家庭の中は自然に冷たくなり、子供にとって居心地が悪くなると思います。
家で親と居る方が温かいと感じるならば・・・
夫婦の中が睦まじく、両親の笑顔、やさしい言葉で語りかけるようであれば、
温かい雰囲気がつくられていくことでしょう。
家も心もあったかく・・・。そうすれば、家庭の中の温度もだんだんと上がって、やがて雰囲気も和やかになると思います。
感謝
船浅 藤居昌幹
先週は山が白くなりはっとしましたが、紅葉が美しく映えて気持ちのいい一日でした。
さて、家の温度を少し上げてみては如何でしょうか。
自分の家の中が、外の温度よりも温かかったならば、家の居心地はよくなります。
ここでいう温度とは、人間としてのふれあいの温度のことです。
昨今、小学生からの子供の問題行動が顕著となっています。
その問題行動をつくりだすひとつの原因に、両親の不仲があるとか??
両親が争ったり対話がなければ、家庭の中は自然に冷たくなり、子供にとって居心地が悪くなると思います。
家で親と居る方が温かいと感じるならば・・・
夫婦の中が睦まじく、両親の笑顔、やさしい言葉で語りかけるようであれば、
温かい雰囲気がつくられていくことでしょう。
家も心もあったかく・・・。そうすれば、家庭の中の温度もだんだんと上がって、やがて雰囲気も和やかになると思います。
感謝
船浅 藤居昌幹
今が一番大事
テーマ:ブログ
2008/11/25 19:37
研修のために群馬県の谷川というところに出かけて参りました。
人間として成長していくのに、これでゴールということは無いので、
日々研鑽、日々勉強であります。
谷川岳という厳しい自然環境の山岳地帯で、まわりは物音ひとつしない静けさです。
するのは水の音と、木立の音、鳥のさえずりくらいでしょうか。
その自然から癒される環境に、人として生きる活力を得たようで、鋭気を養って来ました。
今日からまた、今を大事に、一歩一歩です。
感謝
船浅社長 藤居昌幹
お米づくりに感謝
テーマ:神仏のおかげ
2008/11/22 18:30
明日は勤労感謝の日です。国民の祝祭日にあたり、国旗を掲揚しましょう!
住み心地体感ハウス
本社社屋
さて、勤労感謝の日はもともと「新嘗祭」の日です。
皇居の宮中では、天皇陛下が今年収穫された新しい穀物を神様にお供えして、農作物の恵みに感謝をし、天皇陛下自らも、新穀を初めていただかれるお祭りが行われます。
昔は、その年の新米は新嘗祭が終わるまで誰も食べない習慣でしたが、今日では、9月頃より新米の旗が翻り、
そうした神様に対する畏敬の念が少しづつ薄らいで行っていますね。
今年は、地方によっては水害などもありましたので、手放しでは喜べませんが、それでも概ねお米が収穫できましたので、有難いと思います。
併せて、お米作りに従事していただいている、農業を営んでおられる方々に、この場をお借りして、心から感謝申し上げたいと思います。ありがとうございます。
感謝
船浅社長 藤居昌幹
≪勤労感謝の日≫≪新嘗祭≫
勤労感謝の日は戦後国民の祝日が定められた際(1948)に「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨で定められました。アメリカのLabor Day に相当するものと思われますが(*1)、アメリカのLabor
Dayは9月の第1月曜です。しかしこの11月23日は明らかに新嘗祭を意識して定められたものということで、論者の間にも意見の相違はないものと思われます。
新嘗祭(にいなめさい)は古くからの国家の重要な行事であり「瑞穂の国」の祭祀を司る最高責任者である大王(おおきみ,天皇)が国民を代表して、農作物の恵みに感謝する式典でした。「新嘗」とはその年収穫された新しい穀物のことをいいます。
律令制度のもとでは、季秋(9月)11日に神嘗祭(かんなめのまつり),仲冬(11月)の最初の卯の日に相嘗祭(あいなめのまつり),2番目の卯の日に新嘗祭(にいなめのまつり)を行うことになっていました。この新嘗祭のうち、天皇が即位してから最初に行うものを特に大嘗祭(おおなめのまつり)といい、これが実質的にその天皇の即位を天下に知らしめる大規模な祭典となっていました。
現在は新暦に移行したため、伊勢神宮では10月の15~25日に神嘗祭、11月23日に新嘗祭を実施しています。宮中では10月17日が神嘗祭,11月23日が新嘗祭です。昔はその年の新米は新嘗祭が終わるまでは誰も食べないのが習慣でした。陰暦の11月の第二卯日というと太陽暦で見ればこれはちょうど冬至頃に相当します。
日本には昔からいろいろなダブルスタンダードがあるのですが、基本的に公式の暦は中国風に立春から始めるということになってはいても、実はここに農業民族最大の祭典である新嘗祭をほぼ冬至に行うということで本当は1年を冬至から始めていたわけです。新嘗祭はつまり本当は新年の祭りであり、だからこそ、大規模な式典が行われ、天皇にとっても重要な儀式であったわけです。
新嘗祭がいつ頃から行われていたのかは必ずしもはっきりしないのですが、日本書紀で皇極天皇元年(642)の11月16日に新嘗祭の記述があるのが文献に出てくる最初です。この日は西暦では642年12月12日(グレゴリウス暦642年12月15日)で干支は丁卯にあたり、既にこの時代には新嘗祭は11月の第二卯日というのが、確立していたのでしょう。
昔は新嘗祭の前日(つまり大晦日)には鎮魂祭(たましずめのまつり)が行われ、
翌日に群臣が小忌衣を着て集まって豊明節会(とよあかりのせちえ)が行われ、
各氏族の自慢の姫たちによる五節舞(ごせちのまい)が舞われました。むろんその中で大王が目を留めた姫はそのまま入内する意味も兼ねていたようです。なお「五節舞」という名前は、その舞の見事さに天の貴人たちが見物に降りてきて、その様がまた慶ばしいこので、その天女たちを大王が五度見上げた、ということから名前が付いています。通常の新嘗祭では舞姫は4人、大嘗祭の時だけは5人で、いづれも卯日をはさんで2日前の丑日から翌日の辰日まで、4日間(つまり大晦日~正月三日)行われました。
この新嘗祭関連の民俗行事としては、やはり年迎え的な行事が残っています。能登半島の「あえのこと」などは、まさに「あえ(饗)」は嘗の意味でしょう。東日本各地には「油しめ」といって、餅をつきテンプラを食べて髪に油を付けるという行事があります。
(*1)「勤労感謝の日」ならLabor Dayに相当しますが「新嘗祭」なら むしろThanks Giving Dayに相当するのかも知れません。これは11月の第四木曜です。日程的にも日本の現在の新暦による新嘗祭と重なります。 ただ本来はThanks Giving Dayは新嘗祭より神嘗祭の方なのかも知れません。
住み心地体感ハウス
本社社屋
さて、勤労感謝の日はもともと「新嘗祭」の日です。
皇居の宮中では、天皇陛下が今年収穫された新しい穀物を神様にお供えして、農作物の恵みに感謝をし、天皇陛下自らも、新穀を初めていただかれるお祭りが行われます。
昔は、その年の新米は新嘗祭が終わるまで誰も食べない習慣でしたが、今日では、9月頃より新米の旗が翻り、
そうした神様に対する畏敬の念が少しづつ薄らいで行っていますね。
今年は、地方によっては水害などもありましたので、手放しでは喜べませんが、それでも概ねお米が収穫できましたので、有難いと思います。
併せて、お米作りに従事していただいている、農業を営んでおられる方々に、この場をお借りして、心から感謝申し上げたいと思います。ありがとうございます。
感謝
船浅社長 藤居昌幹
≪勤労感謝の日≫≪新嘗祭≫
勤労感謝の日は戦後国民の祝日が定められた際(1948)に「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨で定められました。アメリカのLabor Day に相当するものと思われますが(*1)、アメリカのLabor
Dayは9月の第1月曜です。しかしこの11月23日は明らかに新嘗祭を意識して定められたものということで、論者の間にも意見の相違はないものと思われます。
新嘗祭(にいなめさい)は古くからの国家の重要な行事であり「瑞穂の国」の祭祀を司る最高責任者である大王(おおきみ,天皇)が国民を代表して、農作物の恵みに感謝する式典でした。「新嘗」とはその年収穫された新しい穀物のことをいいます。
律令制度のもとでは、季秋(9月)11日に神嘗祭(かんなめのまつり),仲冬(11月)の最初の卯の日に相嘗祭(あいなめのまつり),2番目の卯の日に新嘗祭(にいなめのまつり)を行うことになっていました。この新嘗祭のうち、天皇が即位してから最初に行うものを特に大嘗祭(おおなめのまつり)といい、これが実質的にその天皇の即位を天下に知らしめる大規模な祭典となっていました。
現在は新暦に移行したため、伊勢神宮では10月の15~25日に神嘗祭、11月23日に新嘗祭を実施しています。宮中では10月17日が神嘗祭,11月23日が新嘗祭です。昔はその年の新米は新嘗祭が終わるまでは誰も食べないのが習慣でした。陰暦の11月の第二卯日というと太陽暦で見ればこれはちょうど冬至頃に相当します。
日本には昔からいろいろなダブルスタンダードがあるのですが、基本的に公式の暦は中国風に立春から始めるということになってはいても、実はここに農業民族最大の祭典である新嘗祭をほぼ冬至に行うということで本当は1年を冬至から始めていたわけです。新嘗祭はつまり本当は新年の祭りであり、だからこそ、大規模な式典が行われ、天皇にとっても重要な儀式であったわけです。
新嘗祭がいつ頃から行われていたのかは必ずしもはっきりしないのですが、日本書紀で皇極天皇元年(642)の11月16日に新嘗祭の記述があるのが文献に出てくる最初です。この日は西暦では642年12月12日(グレゴリウス暦642年12月15日)で干支は丁卯にあたり、既にこの時代には新嘗祭は11月の第二卯日というのが、確立していたのでしょう。
昔は新嘗祭の前日(つまり大晦日)には鎮魂祭(たましずめのまつり)が行われ、
翌日に群臣が小忌衣を着て集まって豊明節会(とよあかりのせちえ)が行われ、
各氏族の自慢の姫たちによる五節舞(ごせちのまい)が舞われました。むろんその中で大王が目を留めた姫はそのまま入内する意味も兼ねていたようです。なお「五節舞」という名前は、その舞の見事さに天の貴人たちが見物に降りてきて、その様がまた慶ばしいこので、その天女たちを大王が五度見上げた、ということから名前が付いています。通常の新嘗祭では舞姫は4人、大嘗祭の時だけは5人で、いづれも卯日をはさんで2日前の丑日から翌日の辰日まで、4日間(つまり大晦日~正月三日)行われました。
この新嘗祭関連の民俗行事としては、やはり年迎え的な行事が残っています。能登半島の「あえのこと」などは、まさに「あえ(饗)」は嘗の意味でしょう。東日本各地には「油しめ」といって、餅をつきテンプラを食べて髪に油を付けるという行事があります。
(*1)「勤労感謝の日」ならLabor Dayに相当しますが「新嘗祭」なら むしろThanks Giving Dayに相当するのかも知れません。これは11月の第四木曜です。日程的にも日本の現在の新暦による新嘗祭と重なります。 ただ本来はThanks Giving Dayは新嘗祭より神嘗祭の方なのかも知れません。