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心やわらかく

テーマ:神仏のおかげ
鯛は鯛、鰯は鰯の群れで泳ぐように、
人は同じような人柄、品性の者が集まると言われます。
心のあり方でが人柄や品性に現れてしまいます。

何か困ったことにあったときは、相手を責めるのではなく、神様が自分の心にある自我や高慢心を気づかせてくださっていると考えると、いいそうです。

明日からは、新しい月が始まります。
心新たに、仕事に、ボランティアに、いろいろなことに励みたいと思います。

感謝
船浅 藤居昌幹

ことばは言霊

テーマ:ブログ
9月ももう終わり、今年もはや10月を迎えようとしています。7月初旬より暑さが厳しくなりはじめ、記録的な暑さだった夏も、暑さ寒さも彼岸までの言葉通り、すっかり秋の気配です。

昨日、中山氏の失言のことをブログに書きましたが、一言足りなかったので、私は中山氏のおっしゃっていることは最ものことと思っています。ただ、大臣としての立場がございますので、やはり口は慎まれる必要があったかと。今日の日経も景況判断はよくありません。願うは、政治に遅滞無く、必要な政策は与野党が真剣に協議して、国民が安心して平和に暮らせる社会の実現を図って欲しいものです。

口は災いのもとといいます。ひと言一言がが大切です。
「ことば」は「言霊」とも言うそうです。
魂を込めて、思いやりを込めた一言一言を話していかなければと、反省し誓う次第です。

感謝
船浅社長 藤居昌幹

君民共生国

テーマ:いい国づくり
一昨日夜より一段と涼しくなりました。いやもう、着る物を考えないと、寒いくらい。そろそろ夏の疲れがでるころ、健康に気をつけたいと思います。

さて、私は中山氏の発言が失言だとは思えません。油屋さんがおっしゃるように、中山氏の発言は単なる失言ではなく、むしろマスコミの論調が如何なものかと感じます。

今の日本は、民主主義の履き違えが蔓延しており、人間の利己心の肥大による自由勝手主義になってしまっているというのは、少し言いすぎでしょうか?成田の問題にしても、学校教育にしても、物事の本質から間違っていると思います。

そもそも、大東亜戦争敗戦後の連合国の占領政策により、それまでのいいものまでを否定した国づくりとなってしまった。アメリカは、この戦争の勝利によって、日本に民主主義を植えつけたと言いたいわけである。確かに、明治22年に発布された大日本帝国憲法は、日本が立憲君主制の近代国家として世界に知らせたのあり、主権が天皇陛下にあることから、その部分を捕らえればアメリカの言い分の通りであろう。

明治維新は、慶応3年の王政復古の大号令に始まり、慶応4年(明治元年)に五箇条のご誓文が発布され、明治22年に大日本帝国憲法を発布、さらに明治23年に教育勅語が下されました。ここに書いたように、明治維新は、初代天皇の神武天皇の建国の理想に基づいて新たな国づくりを始めた、大改革でした。

神武天皇の挙げられた建国の理想とは、
① 自分一人で人民を権力支配するのではなく、御祖先に学び、先祖代々の教えを受け継いで、極めて道徳的な国家をつくろう。
   ―と宣言をされ

② 今まで各地の豪族たちが勝手に勢力を張り、争ってきたが、これから国内を一つの国にまとめ、その中心としてこの大和に都を据え、そして願いとするところは、この日本列島全体を大きな一つの家のようにまとめたい。 
   ―と仰せられている。

神武天皇は、御祖先たちがそうであられたように、自分も道徳によってこの国をまとめ、そして日本全体を大きな家のようにしたい、信頼と献身によって成り立つ国にしたい、という理想を宣言しておられます。

そして王政復古の大号令 慶応3年12月
① 日本が出直すためには、神武天皇の始めに帰るほかないということです。
② 皆で公のことを考えながら議論を尽くして、新しい国家をつくっていこう。
   ―という方向が示されている。

① 神武天皇の建国宣言、日本国家建設の理想に立脚して、建国に尽くされた御先祖に思いを致し、その理想を受け継いで、どうしたら国家を一つの家族のようにまとめていけるか、ということを根本に据えられたのです。
② 神武天皇が示された精神に立ち返り、自分のことだけにとらわれず、国家全体を大きな家のようにするために、皆で力を合わせ、公に思いを致して国づくりをしよう。
これが真意です。

要するに、
① 明治維新は過去を否定する革命ではなくて、原点に立ち返って新しく出直すことでした。
② 更に、天皇は、国民を常に「大御宝」(おおみたから」と見られ、民の利益を優先するのが聖人の道とされました。これこそ民主主義の原点ではないか。
③ 天皇から見れば、日本は「民主国」であり、国民から見れば、「君主国」、全体から見れば、「君民共生国」と言えます。西欧流の政治学では説明のできない国柄です。
④ このような「君民一如」の謙虚な心を広め、その後、国内がまとまり、世界が家族のように結ばれれば、喜ばしいことだと思います。

このように日本の歴史を鑑みれば、日本の民主主義は、アメリカの言うようなお仕着せの民主主義ではなく、自前の民主主義でありましょう。ただ、今日は、民主主義を履き違えているところに問題があります。
本当の民主主義には、責任と義務の先行によってはじめて成り立つものです。


日本の構造改革は、過去の否定して改革を行おうとしているので、うまくいきません。
明治維新のように、原点に立ち返って改革を断行すれば、おのずと光明がみえてくると確信しています。
そうしない限り、新しい日本の夜明けは見えてこないと思います。

感謝
船浅社長 藤居昌幹





人と車

テーマ:いい国づくり
秋の交通安全週間ですね。今日は歩行者の立場から考えてみました。
昨日は交差点の街頭立ち番で一時間、湖岸道路の平方交差点で車の流れを見ながら立っていました。

朝の7時30分から8時30分ですので、通勤で勤務先に急ぐドライバーが多い時間帯です。
百人百様の運転があるものだと、流れる車を見ていて思いました。
1時間のうちに、5台くらい猛スピードで走っていった車があり、立っていると恐怖を感じ、思わず一歩さがってしまいました。

以上は、歩行者になった自分の目線。
では、自分が運転しているときはどうかというと、普段は余裕を持って運転していても、事情があって急いだときのことを振り返ると、反省しきりです。

湖岸道路は、琵琶湖が見えて快適な道路で、車で走るのは楽しみです。
このあたりの湖岸道路は、私が小学校3年生くらいのころに完成した道路ですから、出来てからまだ30数年です。
あまり車は走っていなかったですね。

経済の発展と共に進んだ車社会。
それは、便利で快適な社会です。でも、便利になった分だけ危険が増しています。
ひとつ間違うと事故につながり、命を落とすことも、一生を棒に振ることにもなりかねません。

やはり、いのちを大事にする心が、自分を護り、相手を護ることになるのでしょうか?
親・祖先からつながっているかけがえのない命。それは相手も同じです。
いい国づくりのためにも、思いやりを持った、ゆとりのある運転を心がけねばと思います。

感謝
船浅社長 藤居昌幹

同胞を救えるか

テーマ:ブログ
今日政府が、拉致問題担当の首相補佐官に中山恭子前拉致問題担当相を起用することを決めました。明日26日の閣議で正式決定されます。
中山氏は2006年9月、安倍内閣で拉致問題担当の首相補佐官に就任。被害者家族らの信頼が厚く、今年8月の福田改造内閣では、拉致問題担当相に起用されているので、引き続きということになった。
これは、拉致被害者家族会の方々にとって、この上ない朗報であろう。何しろ拉致被害者全員の帰国実現に向けて、粘り強く取り組んでいかなければならないのだから・・・。
それには、政府だけでなく、国民挙げての世論の盛り上がりが必要で、日本国民が一枚岩になることだろう。


北朝鮮による日本人拉致問題とは
 1970年代から1980年代にかけ、日本において不自然な形で行方不明となる者が出ていた。警察による捜査や、亡命北朝鮮工作員の証言などから北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であることが明らかになった。1991年以来、日本政府は北朝鮮に対し、拉致問題を提起して来たが、北朝鮮側は否定し続けて来た。
 2002年9月、小泉純一郎首相らが訪朝し、日朝首脳会談を行った際に、北朝鮮の最高指導者(当時は国防委員長、現朝鮮労働党総書記)、金正日が一部の特殊機関の者たちが日本人を拉致した事実を認め、口頭で謝罪した。これにより、5人の拉致被害者が日本に一時帰国し、間もなく、本人の意思で日本に残ることとなった。
 2004年5月22日、小泉首相の2度目の平壌訪問により、先に帰国していた拉致被害者の夫や子供たちが日本に帰国を果たした。 日本政府が認定した拉致被害者は19人のうちの残り12名について死亡や入境せずとし、「拉致問題は解決済み」ととする北朝鮮の説明に納得しない政府は「拉致問題の解決なしに国交正常化はありえない」との方針により、解決を目指して交渉を続けている。
― ということですが、

みなさん、自分の家族がこのような不自然な形で行方不明となり、その立場だったら如何なものでしょうか?
いたたまれないですよね。

それにしても、日本政府の及び腰な姿勢、主権国家としての気概が感じられないのは私だけでしょうか?
9月4日のブログで書かせていただきましたが、国家とは、連続性がその成り立ちの要であり、生命の連続性、世代の継承ということが基本であり、国家が成り立つ重要な要素を五つ挙げさせていただきました。その第一が、国防であり、国防とは、国家・生命の連続性を保障することであるのです。
生命の連続性と保障するとは、国民の生命・安全・財産を守るということです。にも関わらず、(事案発生から30数年経っても)いまだ拉致問題が解決に至らないのは、日本の国家としての在り方を問いかけてもいいのではと思います。私たちが、同胞の拉致被害者を救えないのは、同胞の生命と安全を守れないということです。

この事案と比較して、かくも明治・大正の日本人には、こんな気概があったのかという史実があります。
それは、ポーランドと大正日本を結ぶ「名もなき日本人たちによる孤児救出の物語」です。

 平成7年に30名ほどの日本の小中学生が夏休みにポーランドのワルシャワに招かれました。実は彼らは、阪神・淡路大震災で大きな痛手を受けた子供たちでした。いったい、なぜポーランドの人々が日本の子供たちをいたわってくれたのか。なぜ両国の間を奔走して日本人の被災児を招待したフィリペック博士(当時、日本のポーランド大使館に勤務)は、こうしたボランティアに取り組んだのか。その背景には、大正時代における知られざる交流の歴史が存在していたのです。
 実は当時、シベリアに孤立したポーランド孤児たちを日本が救い、故国まで送り届けた出来事があったのです。かつての日本人の崇高な行為に対して、フェリペック博士は「ポーランド人として、いつかこの恩を返したい」と考え続けていたとのこと。阪神・淡路大震災がそのきっかけとなったのです。

―もともとポーランドは東ヨーロッパに君臨づる伝統的な王国でしたが、近代になり1975年(寛政7年)にプロセン、ロシア、オーストリア、これら当時の超大国によって国土を三分割にされ、すべての国土を失いました。
 ポーランドの愛国者たちは独立運動を展開しますが、逮捕されて、家族もろとも流刑の地シベリアに次々と送られました。彼らは、祖国を思い、独立を夢見ながら絶望の時を絶えていました。当時10数万人のポーランド人がシベリアに居たそうです。
 それから、130年の歳月が流れ、第一次世界大戦が終結し、1919年(大正八年)にベルサイユ条約によって、ようやくポーランドは独立を回復します。ポーランド人が歓喜に沸いたのは当然で、ようやく祖国に帰れると喜びました。
 ところが、ロシア革命が起きてソ連が誕生し、翌年1920年(大正9年)春に、ソ連がポーランドを侵攻し再び戦争が始まったため、唯一の帰国方法だったシベリア鉄道が危険地帯となり、シベリアにいたポーランド人は帰れない事態となります。こうして、シベリアのポーランド人は再び絶望に陥りました。長い間、肩を寄せ合い、寒さと飢餓と伝染病に耐えて生き抜いてきました。特に親を失った子供たちは悲惨きわまりない状況だったそうです。
 このような中で、子供たちを助けたいとウラジオストック在住のポーランド人が孤児救済に取り組み、世界に向かって救援を要請しますが、失敗に喫します。

 このとき、「よし、手を貸そう」と名乗り出た国が世界で唯一存在しました。それは大正時代の日本でした。具体的には、日本赤十字社とシベリアに出兵していた陸軍兵士が活躍します。彼らの行動は機敏で、酷寒の地シベリアに入り悪戦苦闘して孤児を救出し、ウラジオストックから東京と大阪に船便で次々に送りました。
 最初の救出は、救出決定からわずか二週間の時点で、56名の孤児を東京の慈善団体の宿舎まで届け、以後3年近くにおよんで、合計765名の孤児たちを救出したのです。
 その後、健康を回復した子供から順次、8回に分けて祖国ポーランドに送り届けました。横浜港から出港する際、幼い孤児たちは泣いて乗船するのを嫌がったそうです。親身にしてくれた大正日本人は、孤児たちにとって父となり母となり、それほどまでに孤児たちを慈しんだのです。
 このとき孤児たちは、泣きながらも見送る日本人に感謝の気持ちを表した。滞在中に覚えたであろう、日本国歌「君が代」を斉唱したのだそうです。―

このようなことがあり、それは100年という歳月を超えても、なお今も息づいているお話です。

私がこの物語をご紹介したのは、今の平成日本人(私)との違いに愕然としているからです。
大正時代、日本陸軍兵士がソビエト領内で流刑されていたポーランド人を救済する活動を展開しました。
昭和後半から平成時代、今の政府・日本国自衛隊は北朝鮮領内に拉致されている日本人(同胞)に手も足も出ない状態です。
時代代背景も違い、単純に比較することはできませんが、今も拉致されて北朝鮮国内に居る同胞のことを思うと、日本政府には毅然とした態度で北朝鮮と交渉していただきたいし、私たち国民もそれを後押しする世論の盛り上がりが必要ではないかと思うのです。

私のできる事は、ブルーリボンを胸につけることや、こうしてお話をすることぐらいですが、それでも同胞の奪還に向けて世論を喚起していきたいと思います。

感謝
船浅社長 藤居昌幹











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