喜びのお便り
テーマ:よしなし事
2011/09/30 23:22
ラジオを聴いていると、ときどき「喜びのお便り」などを紹介する、生コマーシャルが流れることがあります。
『実際に使ったかたからこんなお便りが届いています。
「〇〇で困っていたとき、XX を知り、さっそく使ってみました。すぐに効果を実感しました!」
ほかにも、「何でもっと早く使わなかったんだろう」といったメールも届きました。』
というようなやつですが、この「お便り」って、本当に一般のかたから届いたものでしょうか?
ちょっと気になりますね。
というのも、いま例の原発問題の「やらせ」が問題になっているのですが、もしこの生コマーシャルが「やらせ」だったら・・・やっぱりまずいんじゃないでしょうか?
生コマーシャルではなく、番組の本体つまり中身で、届いた「お便り」が番組的にあまり面白くない場合、構成作家などが「お便り」を書いたりすることは、まあ大目に見ましょう。
それがないと番組が成り立ちませんから・・・。
昔のラジオの深夜放送は、すべて聴取者から届いた「お便り」で放送していました。
それだけたくさんの人が聴いていたのですが、いまはそんなにいるとは思えません。
でも、コマーシャルの場合は、それで聴取者にモノを買わせるわけで、いいかえれば騙してモノを買わせることになるのではないか・・・。
そんな気がしています。
トラックで走り回っていると、どうしてもラジオを聴く機会が多いのですが、最近そういった生コマーシャルの多いこと多いこと・・・。
とくにラジオショッピングや、いわゆる健康食品というかサプリメント系の生コマーシャルは、ほとんどがそれです。
もちろん、そういった生コマーシャルで放送される「お便り」が、すべて本当に聴取者から届いたものなら、何の問題もありませんが・・・。
(^^;
それにしても、放送が例の原発関係のやらせ問題をとりあげるのが少なすぎるような・・・。
『実際に使ったかたからこんなお便りが届いています。
「〇〇で困っていたとき、XX を知り、さっそく使ってみました。すぐに効果を実感しました!」
ほかにも、「何でもっと早く使わなかったんだろう」といったメールも届きました。』
というようなやつですが、この「お便り」って、本当に一般のかたから届いたものでしょうか?
ちょっと気になりますね。
というのも、いま例の原発問題の「やらせ」が問題になっているのですが、もしこの生コマーシャルが「やらせ」だったら・・・やっぱりまずいんじゃないでしょうか?
生コマーシャルではなく、番組の本体つまり中身で、届いた「お便り」が番組的にあまり面白くない場合、構成作家などが「お便り」を書いたりすることは、まあ大目に見ましょう。
それがないと番組が成り立ちませんから・・・。
昔のラジオの深夜放送は、すべて聴取者から届いた「お便り」で放送していました。
それだけたくさんの人が聴いていたのですが、いまはそんなにいるとは思えません。
でも、コマーシャルの場合は、それで聴取者にモノを買わせるわけで、いいかえれば騙してモノを買わせることになるのではないか・・・。
そんな気がしています。
トラックで走り回っていると、どうしてもラジオを聴く機会が多いのですが、最近そういった生コマーシャルの多いこと多いこと・・・。
とくにラジオショッピングや、いわゆる健康食品というかサプリメント系の生コマーシャルは、ほとんどがそれです。
もちろん、そういった生コマーシャルで放送される「お便り」が、すべて本当に聴取者から届いたものなら、何の問題もありませんが・・・。
(^^;
それにしても、放送が例の原発関係のやらせ問題をとりあげるのが少なすぎるような・・・。
漢字
テーマ:よしなし事
2011/09/29 23:58
最近どうも記憶が・・・。(^^;
ついに来ちゃったか、という感じですが、きょうも領収書を書いていて、一瞬「株」という字が思い出せない、ということがありました。
お支払いいただいて、さて領収書・・・〇〇〇かぶしき・・・かぶ・・・あれ?
木ヘンだったっけ、あれ・・・お客さんに見られていると、よけい出てきません。
ふと横を見ると、会社のカレンダーがありました。
木でええやん・・・ホッ。(^^;
いやあ、焦りました。
憂鬱とか、猥褻とか(^^;そういう難しい漢字なら書けなくても別に恥ずかしくないのですが、「株」ですから・・・。
それに、比較的よく書いている漢字なのに、なぜ出てこなかったんでしょう?
まあでも、株に限らず誰でもこういうことってありますよね。
・・・と言い訳しておこう。(^^;
これも、やはりパソコンなどで文章を書く癖がついて、漢字を手で書くことが少なくなったせいでしょうかね。
読めるんだけど書けない、そういう漢字がいっぱいありそうです。
いや、そのうち漢字はほとんどそうなるかもしれません。
(^^;
ついに来ちゃったか、という感じですが、きょうも領収書を書いていて、一瞬「株」という字が思い出せない、ということがありました。
お支払いいただいて、さて領収書・・・〇〇〇かぶしき・・・かぶ・・・あれ?
木ヘンだったっけ、あれ・・・お客さんに見られていると、よけい出てきません。
ふと横を見ると、会社のカレンダーがありました。
木でええやん・・・ホッ。(^^;
いやあ、焦りました。
憂鬱とか、猥褻とか(^^;そういう難しい漢字なら書けなくても別に恥ずかしくないのですが、「株」ですから・・・。
それに、比較的よく書いている漢字なのに、なぜ出てこなかったんでしょう?
まあでも、株に限らず誰でもこういうことってありますよね。
・・・と言い訳しておこう。(^^;
これも、やはりパソコンなどで文章を書く癖がついて、漢字を手で書くことが少なくなったせいでしょうかね。
読めるんだけど書けない、そういう漢字がいっぱいありそうです。
いや、そのうち漢字はほとんどそうなるかもしれません。
(^^;
洋楽
テーマ:よしなし事
2011/09/27 23:10
また音楽ネタですが、すみません、長くなるかもしれません。
団塊の世代を中心に、60年代に中学校から高校を過ごした人は、その多くが邦楽より洋楽、つまり外国のポップスを聴いていました。
それはほとんどがポップスやフォークでしたが、60年代の真ん中あたりからもう一つ強力な音楽が人気になったのです。
それが「ロック」です。
60年代の代表ビートルズは、ロックではありません。
たぶん、日本で言われる「ロック」が出てきたのは1967年あたりでしょう。
ジェファーソン・エアプレーンやドアーズなどに代表されるサイケデリックサウンドというのでしょうか、そういう種類を「ロック」と言ったのです。
それが本格的になったのが70年前後。
やがてハードロックと呼ばれるレッド・ツエッペリン、ディープ・パープルなどのグループが人気になり、かぐや姫などのフォークが人気になっている一方で、そういったロックが若者の間ではどんどん話題になっていました。
そのうち、ロックもどんどん先鋭化して、まるでクラシックのようなプログレッシブ・ロックとか70年代の終わりごろにはパンクロックとか、80年代にはグランジとか、もう訳も分からなくなってしまいました。
ライナー(レコードについている解説)に書かれている文章も、もうめちゃくちゃ難しく、理屈っぽく、何だこりゃ、というものばかり・・・。
ジャケットも、乳牛(^^;だったり、赤ちゃんが泳いでいたり(^^;何なんでしょうね。
当時の若い人はそれを嬉々として読み、居酒屋などで議論していたりしました。
私には全然理解できませんでしたが・・・。
たかがロックじゃねえか、語るもんやない!聴くもんや!なんて強がっていました。
でも中には本当にわかっているのか、なんていうような人も語っていましたよ。
そのころから、もうロックのレコードのライナーは読まなくなりました。
ていうか、ライナーの入っていない輸入盤のほうが多くなったような気がします。
たぶん、コブログメンバーのかたにも、このプログレとか、パンクなどのファンのかたがいらっしゃるはずです。
ハードロックに関しては任せておけ、プログレなら1時間は語れる、とか・・・いや、この種の音楽にはあの頃からいましたね、理論やさんが・・・。(^^;
でも、プログレとかパンクなどのロックを聞いている女の子って、なぜか可愛い子が多かったような・・・。
ともあれ、われわれポスト団塊の世代にとって、洋楽というのは本当に大きな影響を与えましたね。
団塊の世代を中心に、60年代に中学校から高校を過ごした人は、その多くが邦楽より洋楽、つまり外国のポップスを聴いていました。
それはほとんどがポップスやフォークでしたが、60年代の真ん中あたりからもう一つ強力な音楽が人気になったのです。
それが「ロック」です。
60年代の代表ビートルズは、ロックではありません。
たぶん、日本で言われる「ロック」が出てきたのは1967年あたりでしょう。
ジェファーソン・エアプレーンやドアーズなどに代表されるサイケデリックサウンドというのでしょうか、そういう種類を「ロック」と言ったのです。
それが本格的になったのが70年前後。
やがてハードロックと呼ばれるレッド・ツエッペリン、ディープ・パープルなどのグループが人気になり、かぐや姫などのフォークが人気になっている一方で、そういったロックが若者の間ではどんどん話題になっていました。
そのうち、ロックもどんどん先鋭化して、まるでクラシックのようなプログレッシブ・ロックとか70年代の終わりごろにはパンクロックとか、80年代にはグランジとか、もう訳も分からなくなってしまいました。
ライナー(レコードについている解説)に書かれている文章も、もうめちゃくちゃ難しく、理屈っぽく、何だこりゃ、というものばかり・・・。
ジャケットも、乳牛(^^;だったり、赤ちゃんが泳いでいたり(^^;何なんでしょうね。
当時の若い人はそれを嬉々として読み、居酒屋などで議論していたりしました。
私には全然理解できませんでしたが・・・。
たかがロックじゃねえか、語るもんやない!聴くもんや!なんて強がっていました。
でも中には本当にわかっているのか、なんていうような人も語っていましたよ。
そのころから、もうロックのレコードのライナーは読まなくなりました。
ていうか、ライナーの入っていない輸入盤のほうが多くなったような気がします。
たぶん、コブログメンバーのかたにも、このプログレとか、パンクなどのファンのかたがいらっしゃるはずです。
ハードロックに関しては任せておけ、プログレなら1時間は語れる、とか・・・いや、この種の音楽にはあの頃からいましたね、理論やさんが・・・。(^^;
でも、プログレとかパンクなどのロックを聞いている女の子って、なぜか可愛い子が多かったような・・・。
ともあれ、われわれポスト団塊の世代にとって、洋楽というのは本当に大きな影響を与えましたね。
世代と音楽
テーマ:よしなし事
2011/09/26 23:30
BBQの前の日、川崎やへあるライブを見に行きました。
まーぼうさんの熱意というか、好きな音楽を楽しむ雰囲気が伝わってくる、暖かい演奏でした。
あと何人か出演されていたのですが、みなさんも同じで、やっぱりライブっていいですね~。
改めて感じたのですが、やっぱり世代によって聴いてきた音楽、夢中になった音楽というのは同じジャンルでも微妙に違うものですね。
まーぼうさんの世代は、それがちょうど吉田拓郎、かぐや姫などの70年代フォークの時代。
それがもう数年若くなると、ユーミンなどのニューミュージックになり、アイドルポップスになり・・・。
私たち・・・って、コブログにはほかにはいませんが、実はだいぶ上でして・・・。
(^^;
60年代フォークという時代があったのです。
中学校の時、ビートルズとベンチャーズが人気になって、エレキブーム、グループサウンズブームがありました。
それとほぼ同時に、ピーター・ポール&マリーやブラザーズ・フォアなどのアメリカのモダンフォークも大学生を中心に人気だったのです。
それが日本でコピーされて、キャンパスフォークという名前になりました。
「若者たち」ブロードサイド・フォー、「この広い野原いっぱい」森山良子、少しして「ヨッパライの歌」フォーク・クルセダーズ、「友よ」岡林信康といった時代になりました。
ちょうどその時代が私の世代で、「下宿」に同級生が集まると、みんなこれらを歌っていました。
個人的には、このあたりで日本のフォークを卒業してしまいました。(^^;
その後また聴くようになった日本の曲が「ニューミュージック」と呼ばれた音楽でした。
ですから、ちょうど70年前後の「四畳半フォーク」が抜けているのです。
というか、その時代じつはあるラジオ番組の仕事をしておりまして、そういうフォークシンガーなども出入りする現場にいたため、ファンとしては逆にのめり込めなかったのかもしれません。
その仕事に入ったのが、1973年・・・。
シングル発売もされていない「神田川」にリクエストが殺到し始めました。
さらに「岬めぐり」という曲もヒット。
曜日違いで担当ではありませんでしたが、同じ番組から当時を代表するようなヒットが生まれたのです。
その少し後に、ユーミンが登場、その音楽には衝撃を受けました。
シングルデビューは72年7月、アルバムは73年・・・最初は全然売れませんでしたが、3枚目のアルバム「コバルト・アワー」あたりで、ようやくヒットが生まれ、やがて「ニューミュージックの女王」なんて呼ばれました。
これを聴いて育ったひとがいまや50代・・・。(^^;
光陰矢のごとし・・・ですね。
まーぼうさんの熱意というか、好きな音楽を楽しむ雰囲気が伝わってくる、暖かい演奏でした。
あと何人か出演されていたのですが、みなさんも同じで、やっぱりライブっていいですね~。
改めて感じたのですが、やっぱり世代によって聴いてきた音楽、夢中になった音楽というのは同じジャンルでも微妙に違うものですね。
まーぼうさんの世代は、それがちょうど吉田拓郎、かぐや姫などの70年代フォークの時代。
それがもう数年若くなると、ユーミンなどのニューミュージックになり、アイドルポップスになり・・・。
私たち・・・って、コブログにはほかにはいませんが、実はだいぶ上でして・・・。
(^^;
60年代フォークという時代があったのです。
中学校の時、ビートルズとベンチャーズが人気になって、エレキブーム、グループサウンズブームがありました。
それとほぼ同時に、ピーター・ポール&マリーやブラザーズ・フォアなどのアメリカのモダンフォークも大学生を中心に人気だったのです。
それが日本でコピーされて、キャンパスフォークという名前になりました。
「若者たち」ブロードサイド・フォー、「この広い野原いっぱい」森山良子、少しして「ヨッパライの歌」フォーク・クルセダーズ、「友よ」岡林信康といった時代になりました。
ちょうどその時代が私の世代で、「下宿」に同級生が集まると、みんなこれらを歌っていました。
個人的には、このあたりで日本のフォークを卒業してしまいました。(^^;
その後また聴くようになった日本の曲が「ニューミュージック」と呼ばれた音楽でした。
ですから、ちょうど70年前後の「四畳半フォーク」が抜けているのです。
というか、その時代じつはあるラジオ番組の仕事をしておりまして、そういうフォークシンガーなども出入りする現場にいたため、ファンとしては逆にのめり込めなかったのかもしれません。
その仕事に入ったのが、1973年・・・。
シングル発売もされていない「神田川」にリクエストが殺到し始めました。
さらに「岬めぐり」という曲もヒット。
曜日違いで担当ではありませんでしたが、同じ番組から当時を代表するようなヒットが生まれたのです。
その少し後に、ユーミンが登場、その音楽には衝撃を受けました。
シングルデビューは72年7月、アルバムは73年・・・最初は全然売れませんでしたが、3枚目のアルバム「コバルト・アワー」あたりで、ようやくヒットが生まれ、やがて「ニューミュージックの女王」なんて呼ばれました。
これを聴いて育ったひとがいまや50代・・・。(^^;
光陰矢のごとし・・・ですね。
ありがとうございました。
テーマ:よしなし事
2011/09/25 18:43
夕方7時前だというのに、まだおなかがすきません。(^^;
そんなに食べたかなあ、お昼のBBQ・・・。
伊吹山の麓、山東グリーンパークは、日差しも強くなく、最高のBBQ日和でした。
みなさま、ありがとうございました。
またまたいろんな方とお会いできました。
写真はほとんど撮りませんでしたので、詳しくは他の皆さんのページをご覧ください。
それにしても、みなさんいろんなBBQ用具というか、秘密兵器をお持ちです。
やっぱりいまブームなんでしょうね。
どうも食い意地が張って、終わってからも、「ホルモン」をガムのように噛んでいたら、どなたかに見つかってしまいましたが・・・。(^^;
久しぶりに食べましたが、おいしいですね、あれ。
それはともかく、これからもよろしくお願いします。
そんなに食べたかなあ、お昼のBBQ・・・。
伊吹山の麓、山東グリーンパークは、日差しも強くなく、最高のBBQ日和でした。
みなさま、ありがとうございました。
またまたいろんな方とお会いできました。
写真はほとんど撮りませんでしたので、詳しくは他の皆さんのページをご覧ください。
それにしても、みなさんいろんなBBQ用具というか、秘密兵器をお持ちです。
やっぱりいまブームなんでしょうね。
どうも食い意地が張って、終わってからも、「ホルモン」をガムのように噛んでいたら、どなたかに見つかってしまいましたが・・・。(^^;
久しぶりに食べましたが、おいしいですね、あれ。
それはともかく、これからもよろしくお願いします。