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常識の変化

テーマ:よしなし事
 きょうの日食、この滋賀県の北部では、ときおり雲の切れ目からチラッと見える程度でしたね。
 それでも、ちょっと暗くなった時には子供のころ見た日食を思い出しました。

 もちろん、皆既ではなく部分ですが、ガラスをロウソクのススで黒くしたもので観測しました。
 たぶん学校の先生も、そういう方法を教えていたと思います。
 でも、いまはそれは禁止ですよね。

 いま言われているようなことが原因で禁止なら、当時も禁止されていたはずなのに、どうしてなんでしょうね?
 やはり、それ以外にもっと良い方法がわかっていなかったからでしょうか。
 日食観測用サングラスなどもありませんでしたし…。
 
 こんなふうに、昔はそれが最良の方法というか、常識として教えられていたものが、まるっきり反対になってしまったものって、ほかにもありますね。
 例えば、今の時期カンカン照りのグランドでスポーツをするとき、昔は水を飲むとばてるぞとか、水を飲みたいのは根性が足らんからだ、とか言われました。
 いまから見たら、何と無謀なということになりますが、昔はそれが「常識」だったんですね。

 もうひとつ太陽関係ですが、真夏に真っ黒に日焼けすると、冬に風邪をひかない、などといわれました。
 マスコミでも、そういったことを奨励するかのようなコマーシャルとか、話題がたくさんありましたね。
 水泳が好きだったこともあって、20歳くらいまではホントに真っ黒になっていましたが、今はそれもダメなんですよね。
 日焼けは皮膚がんの原因の一つになったり、熱中症の危険もあります。
 幼稚園児などの帽子の後ろには、日差しをさえぎるプロテクターがついているようになりました。

 そういえば、つい最近まで、あれだけ宣伝されていたマイナスイオンも、どうも眉唾ものらしいということがわかって、やっとマスコミには登場しなくなりました。
 本来マスコミは、そういった常識を疑う立場でなければならないのに、コマーシャルが絡むと、どうも腰が重いですね。
 
 そうそう、ハチに刺されたろき、アンモニア水をつける、というのも昔は常識でしたが、いまは違いますよね。
 でも、いまだに「オシッコをかける」という人もいたりしますから、驚いてしまいます。 

サーフィン

テーマ:花と音楽
 きょう7月20日は海の日だそうで、連休で海に行ってきたという方もいるかもしれませんね。
 そんなことにはまったく関係なく、きょうも仕事をしてきました。

 ところで、海というとサーフィン・・・というような文章を見かけますが、なかなかサーフィンというのは身近ではないですよね。
 え?夏になると、毎週末に?

 そんな人はごく少数でしょう?
実際には、マスコミで話題になっているほど一般的ではありませんね。
 琵琶湖では、もちろんサーフィンは無理で、せいぜいウインド・サーフィン(ボード・セーリング?)でしょう。

 サーフィンというと、その昔こんな曲がヒットしました。

 Surfin' USA The Beach Boys
surfin'usa

 いまの団塊の世代の人たちが高校生のころ、こういったサーフィンをテーマにしたサウンドが流行りました。
 もちろんビートルズやベンチャーズが主流でしたが、このビーチ・ボーイズも、とくにアメリカンポップスファンには人気がありました。
 ではもう1曲・・・。

 Surfer Girl The Beach Boys
surfergirl
 なにをかくそう、私めもサーフィンしたことがあるんです。
70年代になってから、一度だけですが・・・。

 伊豆の何とかいう海岸で、夜勤明けに友人の車に便乗して出かけました。
 で、その友人のボードを借り、いざ練習・・・。

 でも、全然・・・ダメ・・・でした。
その日に限って波が全然なかったのです。

 あのとき、もし「ビッグ・ウェンズデイ」のような波が来ていれば、今頃は・・・。


 ♪ エンジンフードで卵が焼けるほど飛ばしてビーチに行ったかもしれないし、ゴッデスでボードを直していたかもしれません。
 







 いや、この世にいないかもしれませんね。(^^;

故障

テーマ:よしなし事
 みなさん昨夜のゆかた祭り、お楽しみになったようですね。
きのう昼ごろまでは「行ってみようかな」という気でいたのですが、思わぬ事態が立て続けに発生…。
 水漏れ冷蔵庫
 冷蔵庫の下が洪水に・・・。(^^;
なんだこりゃ?
 調べてみたら露になった水分を蒸発させるトレイがカラカラ・・・ということは、蒸発用トレイに水が落ちずに、どこかから漏れて床に落ちているようです。
 この冷蔵庫も、もう10年です・・・いや、まだ10年?・・・寿命かもしれません。

 さらに、洗濯乾燥機が、おととい入れた洗濯物が生乾きのままストップしていました。(TT)
スイッチを入れ直しても、う~んといったまま動きません。

 電気屋さんに来ていただいて、応急処置をしてもらいました。
 乾燥機は、動いたもののガラガラとすごい音!
こちらは回転するほうの軸が、部品が欠けたのか、はずれてしまったのか、ひどい姿に…。
 軸にテープを巻きつけ、とりあえずいま生乾きの洗濯物だけでも、ということで処置していただきました。
 ガラガラガラ・・・カラカラカラ・・・シャカシャカシャカ・・・
 なんとか乾燥。
こちらはもう新品にすることにしました。
 
 そんなこんなで、ゆかた祭りはパス・・・。

 それにしても、電気製品というのは、どうしてつづけて故障するんでしょうね?
 しかも、ちょうど保証期間の過ぎた頃とか、予定があるから、そんなことがあっては困る、というときに故障します。
 今は故障しても大丈夫、というときには絶対故障しませんよね。

 不思議です。(^^;

ジャカランダ

テーマ:この木、何の木
 これはジャカランダという木の鉢植えです。
観葉植物として、それほど珍しくはありません。
ジャカランダ
 ノウゼンカズラ科の植物で、かなり大きな木になり、紫色の花が咲きます。

 ところで、このJacaranda(ジャカランダ)をスペイン語読みにすると、ハカランダになります。
 でも、このハカランダというのは、ジャカランダとは別の種類の木で、昔はプロ用の高級ギターの側面と裏板によくつかわれていました。
 木目の見える部分です。
ギターに使われたハカランダギターの裏板
 このハカランダは、Jacarandaとは違う種類の木で、マメ科の植物です。
 切り口からバラの香りがすることからローズウッドと呼ばれていますが、そのローズウッドのブラジル産のものがハカランダと呼ばれています。
 いま、このハカランダは、高級家具や楽器に使われすぎたため、絶滅の恐れが出てきて、ワシントン条約で国際間の取引ができなくなっています。
 そのため、ハカランダを使ったギターは、いまやものすごい値段になっています。

 それにしても、このギター、1979年に1年間のローンを組んで購入したものですが、そのころから仕事が忙しくなり、ギターが弾けなくなって、その後20年間薄暗い押し入れの中で眠らせてしまいました。
 あ、79年はまだワシントン条約に引っかかっていなかったと思います。
 買った当時は、ほんとにいい音がしていたんですよ。
(^^)

 まさに「宝の持ち腐れ」というやつですね。(^^;

 もうひとつ、このJacarandaという単語が歌詞の中に出てくる曲があります。
 「One Boy」や「内気なジョニー」でおなじみのジョニー・ソマーズが、ブラジルのギタリスト、ローリンド・アルメイダのアレンジで録音したOld Guitaron という曲です。

キントリ

テーマ:花と音楽
 先日の、油甚さんの記事で、サントリーとキリンの統合の話題がありましたが、きょうはその記事からパクらせていただきます。(^^)

 キントリなんていう言葉を目にすると、いまの50代後半から60代前半のかたは、もっと別のものを思い出すのではないでしょうか。

 60年代ですから、40年以上昔の話です。
当時のギャグで、こんなのがありました。

 「キントリといっても蚊取り線香ではありません。ブラフォーといっても4枚の〇〇〇ャーではありません。PPMといっても、濃度ではありません。」

 昔も、学生というのは、バカなことを考えていたんですね。(^^;

 キントリというのは、Kingston Trioというアメリカのフォークグループで、「トム・ドゥーリー」や「花はどこへいったの」などのヒットがあります。
 ブラフォーというのは The Brothers Four というフォークグループで、「グリーン・フィールズ」や「七つの水仙」などのヒットがあります。
 PPMというのはPeter,Paul & Maryというフォークグループの略で、「パフ」や「虹とともに消えた恋」などのヒット曲があります。

 60年代の真ん中あたり、日本ではベンチャーズとビートルズによるエレキブームの真っ最中。
 そんな中にあって、大学生の間では、もちろんエレキも流行っていたのですが、アコースティック・ギターを使うアメリカン・モダン・フォークにも人気がありました。
 ファッションもいわゆるアメリカン・トラッドというのでしょうか、アイビー系で、一般学生にも浸透していました。
 恥ずかしながら、70年前後ですが、そういったフォーク・グループのまねごとをしていたことがあります。
 お金がないため、なかなかちゃんとしたアイビー・ファッションまではできませんでしたが、彼らの歌をコピーしてイベントなどで歌っておりました。(^^ゞ

 同じようなことをやっていたのが、吉田拓郎や南こうせつ、イルカ・・・もうちょっと古くは、マイク真木とか黒澤久雄、小室等・・・といった人たちです。
 彼らが我々と決定的に違ったのは、やはり才能があったことでしょうね。(^^;

 そういえば、三つくらい年下ですが、高月出身で、シグナルというグループで成功した人がいましたね。
 東京にいたころ、某スタジオでお会いしたことがありますが、共通の知り合いがいてびっくりしました。
 浅見さん、その後、堀内孝雄のバックか何かをされていたと思いますが、今はどうされているのでしょう?

 キントリ・・・まさか40年後に、この言葉を目にするとは思いもよりませんでした。(^^) 
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