ふれあい懇談会:
今年は、1948に国連で「世界人権宣言」が採択されてから60年目の節目の年にあたります。この間には、国内においても国や県をはじめとして、様々な人権に関する取り組みが行なわれております。
長浜市でも2006年に「人権尊重都市宣言」を行い、「人権が尊重する町づくり」が制定されております。そのような行政の推進もあり、各町内では人権について学ぶ機会として「ふれあい懇談会」が行なわれているのではないでしょうか。
今年は、人権推進委員とういものも拝命しましたので、昨日、町内でふれあい懇談会の開催の運びとなりました。恥ずかしながら人権推進委員をしなかったら「人権尊重都市宣言」なんてのも知りませんでしたが・・・(笑)。
今回は大人も子供も学べるように紙芝居や大型絵本などでお話をしてくださいます、「お話の部屋」さんによる講演会の開催です。
人権研修といいますと何やら難しく、構えて考えがちになってしまいます。今回の「お話の部屋 」さんはとても優しく、絵や身体の表現を通して大人や子供に話しかけてくださいました。眠たくなるような講義とは違い、みなさん勉強になったのではないでしょうか。
このようなボランティア活動をされている方々には頭が下がります。ほんと感謝です。
また、町内の皆様お疲れ様でございました・・・。
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ポスティング:
昨日の日中は暑かったですねー。
先日の折りたたみ自転車はゲット出来なかったものの、リロが当てた自転車がございます。
※当選の様子 → プレカット工場の旅 : 前編 ←
さて、こんな具合でピクニックに!なんて行きたい所ですが、本日はお仕事。
ポスティングに出かけます。(要はビラ配り)
広告宣伝の媒体として、新聞折込(チラシ広告)という紙面媒体は、とても重要な役割を果たしてくれます。しかし近年では新聞を購読しない、割と若い世帯が増加の傾向があるといいます。土地建物を販売する場合、賃貸マンションやアパートにご入居の方をターゲットとするわけですが、そのような新聞未購読のお客様にチラシが届かないのが現状でございます。
そこで有効なのが、賃貸マンションやアパートのポストに直接投函するこのポスティング作業。地道な作業ですがとても有効的な手段の一つです。
階段の往復作業はけっこうきついっす。
運動不足ぎみの私にとっては、いい運動にもなりますのでメタボ対策に抜群です。
一石二鳥とはまさにこのこと。
あなたのポストにこのチラシが投函されていますれば、幸運の黄色いチラシだと思ってご覧ください(笑)。
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自転車のゆくえ:
先日のゴルフコンペの結果!
いやー、景品の目玉の折りたたみ自転車、ダメでしたー。 自転車の記事です→ 自転車操業 ←
初心者の方々もいらっしゃったので順位のど真ん中に自転車景品を設定。
なんと私の順位は、ど真ん中の次でございました(笑)。
残念。
このところ日中は、暑い日ざしが帰ってきたようです。
ちょっと汗ばむ陽気です。
敦賀湾を望む、敦賀国際ゴルフコース。
スコアーはまずまず。
課題も見えてきましたので、もう少し練習をします!
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合戦賤ヶ岳:七本槍
全国のYEGの方々をお迎えするのが滋賀でも大津、草津、守山、八日市、彦根、そして長浜の6単会です。
長浜の地に客人をお迎えするとあって、長浜を散策して頂くと同時に何がしらのおもてなしをするべく私の委員会も動いております。当委員会にはKジリ時計のK氏が所属し知恵袋となっていただいております。
先日の下打ち合わせ時に「長浜といえば秀吉なしには語れぬ」とのことで「賤ヶ岳合戦の7本槍」の歌舞伎を見せようと盛り上がりました。
ここで少し歴史のお勉強です。 =歴史に、うとい私といっしょにおさらいです。=
【賤ヶ岳の合戦】
山崎の戦いで明智光秀を討った羽柴秀吉は、織田家中で大きな発言権を握っていくが、これに反感を募らせる武将も多く、その旗頭は柴田勝家であった。秀吉は勝家の攻撃の機会を狙っていた。勝家は天正11年(1583年)4月、北近江に出陣した。同月20日、大岩山砦の秀吉方中川清秀が柴田方の佐久間盛政に討たれた。大垣でこの報を受けた秀吉は、好機到来とばかり、木之本へ急行させ(これが有名な「美濃返し」・・・52kmを5時間で駆け抜けた)、意気あがる盛政を賤ヶ岳で襲った。盛政は敗れ、勝家軍も総くずれとなって北ノ庄城へ逃げ帰った。勝家が自刀したのは、その三日後である。この賤ヶ岳の勝利で、秀吉は名実ともに天下人への道を独走していった。
【賤ヶ岳七本槍】
この戦いで秀吉の武勲者として、史上に名をとどめた「賤ヶ岳の七本槍」とよばれる七人衆がいた。大岩山にとどまっていた佐久間盛政の部隊が退却を開始したのを知り、秀吉の旗下七人衆が、どっと斬りこみ一番槍の功をたてたのである。福島正則を隊長として、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、糟野武則の若武者たちであった。
この辺りの歴史はほんとうに面白いですね。しかも舞台がこの湖北。
我々が演技するのが「賤ヶ岳七本槍」に決定すれば、曳山博物館前で一般の方でもご覧いただけるかも。
委員長やK氏の熱が上がってきており、いいものが出来そうな予感です。
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しみんかいかん:
長浜市民会館
閉鎖が決まっているんですね。
老朽化が著しく、耐震診断でも基準を満たしていないらしく、耐震補強には約13億円の経費が必要なうえ、客席に支柱を建てるような補強は非現実的なもの。よって43年の歴史に幕を閉じることとなったようです。
チャリンコで降りると気持ちよかったなぁ。
滋賀夕刊さんの時評に、市民として気になる記事を発見。 →市民会館の閉鎖に思う(見聞録)←
一部抜粋して紹介させて頂きます。
市民会館は昭和40年に開館。鉄筋コンクリート造6階建てで、約1000人収容の大ホールをはじめ、食堂、集会堂、資料室、会議室、和室、結婚式場などを備え、総工費2億6464万円は当時としては大事業だった。
開館までの経緯として、戦後、長らく、市民会館の建設は市民の願いで、当時の市議会は「趣旨採択」した。その後も、自治会や各種団体から早期建設を望む声が高まり、最初の請願採択から13年後の昭和39年に、ようやく着工となった。
最初の請願が出てから、着工までに13年もの月日を要したが、その背景には、長浜市の財政破たんがあった。
戦後、長浜市では駅前道路の拡張、市庁舎の建築、小中学校校舎の新築、保育所や消防署の建設など、大きな財政支出の伴う事業を一挙に実施していた。このため、あっけなく財政破たんし、昭和31年3月、国から「財政再建団体」の指定を受けるという深刻な事態に。
つまり36年度に指定解除されるまで、財政再建に追われ、市民会館どころではなかった訳だ。そこで建設にあたっては、市民と市当局が一体となって建設協力会を設立。浄財を募ったところ、市内外から4847万円が集まったと記録に残っている。これは総工費の2割にあたり、当時の市民の熱意と期待の高さがうかがえる。
成人式は昨日のように思い出します。若かったなぁ(当たり前ですが・・・)。
びっくりしたのは長浜市が以前、①「財政再建団体」の指定を受けていたことと、②市民が懇願し会館建設に漕ぎ付けたこと。
①・・・明日は我が身でなく、昨日が我が身だったんですね(苦笑)。
②・・・今とは税金の使われ方が違い過ぎません?
総工費の2割が寄付であったという市民会館、長浜 町衆の心意気みたいなものを感じます。市民それぞれの想い出がたっぷりと、この市民会館には詰まっているのではないでしょうか。
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