しみんかいかん:
長浜市民会館
閉鎖が決まっているんですね。
老朽化が著しく、耐震診断でも基準を満たしていないらしく、耐震補強には約13億円の経費が必要なうえ、客席に支柱を建てるような補強は非現実的なもの。よって43年の歴史に幕を閉じることとなったようです。
チャリンコで降りると気持ちよかったなぁ。
滋賀夕刊さんの時評に、市民として気になる記事を発見。 →市民会館の閉鎖に思う(見聞録)←
一部抜粋して紹介させて頂きます。
市民会館は昭和40年に開館。鉄筋コンクリート造6階建てで、約1000人収容の大ホールをはじめ、食堂、集会堂、資料室、会議室、和室、結婚式場などを備え、総工費2億6464万円は当時としては大事業だった。
開館までの経緯として、戦後、長らく、市民会館の建設は市民の願いで、当時の市議会は「趣旨採択」した。その後も、自治会や各種団体から早期建設を望む声が高まり、最初の請願採択から13年後の昭和39年に、ようやく着工となった。
最初の請願が出てから、着工までに13年もの月日を要したが、その背景には、長浜市の財政破たんがあった。
戦後、長浜市では駅前道路の拡張、市庁舎の建築、小中学校校舎の新築、保育所や消防署の建設など、大きな財政支出の伴う事業を一挙に実施していた。このため、あっけなく財政破たんし、昭和31年3月、国から「財政再建団体」の指定を受けるという深刻な事態に。
つまり36年度に指定解除されるまで、財政再建に追われ、市民会館どころではなかった訳だ。そこで建設にあたっては、市民と市当局が一体となって建設協力会を設立。浄財を募ったところ、市内外から4847万円が集まったと記録に残っている。これは総工費の2割にあたり、当時の市民の熱意と期待の高さがうかがえる。
成人式は昨日のように思い出します。若かったなぁ(当たり前ですが・・・)。
びっくりしたのは長浜市が以前、①「財政再建団体」の指定を受けていたことと、②市民が懇願し会館建設に漕ぎ付けたこと。
①・・・明日は我が身でなく、昨日が我が身だったんですね(苦笑)。
②・・・今とは税金の使われ方が違い過ぎません?
総工費の2割が寄付であったという市民会館、長浜 町衆の心意気みたいなものを感じます。市民それぞれの想い出がたっぷりと、この市民会館には詰まっているのではないでしょうか。
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