二見浦 3
テーマ:ブログ
2008/04/18 08:35
前回のブログタイトル 二見浦2で「つづくかも・・・」と最後に書き添えた理由は、単純に
ネタが尽きたわけでございます。本日、こちらへお起こし頂いた方には、ネタが薄く大変
申し訳なく思います。ゴメンなさい
お越しになったからには、最後までお付き合いのほどを
二見浦で‘なんで’と思った慣習の違いの中の一つに玄関先があります。
正月でも無いのにしめ縄がついてます。
そもそも、しめ縄は神域と外界とを隔てる(結界をつくる)ためのものだそうです。
ちょっと「結界」について気になるのでさらに調べてみますと・・・
生活や作法上注意すべきなんらかの境界を示す事物が、結界と呼称される場合もある。
作法・礼儀・知識のない者は境界を越えたり領域内に迷いこむことができてしまい、領域
や動作を冒す侵入者として扱われ、無作法または無作法者とよぶ
また、日本建築に見られる「襖(ふすま)」「障子」「縁側」などの仕掛けも、同様の意味で
広義の「結界」である。
空間を仕切る意識が希薄な日本においては、日常レベルでもさまざまな場面で「結界」が
設けられる。例えば、「暖簾(のれん)」がそうである。これを下げることで往来と店を柔らか
く仕切り、また時間外には仕舞うことで営業していないことを表示する。このような店の顔
としての暖簾は、上記の役割を超えて、店の歴史的な伝統までも象徴することとなる。
ウィキペディアより引用
重要な玄関先で結界を作るしめ縄、正月だけでは不十分かも・・・ですね。
こちらはしっかりと仕切りとしてがんばっていただきたい『下水マンホールのフタ』
夫婦岩仕様です。
海岸探索の途中(二見館前)に芭蕉の句碑がありました。
『うたがふな潮の花も浦の春』
かたわらの説明碑によると
「二見浦の春はよそと違って、夫婦岩に砕け散る波の花でその到来を知ることができるが、
それを疑うなよと教えたもの」
って意味だそうですが時代背景が解らないので理解不能っす
私なら
『夫婦いっしょなら厳しい荒波(試練)も、散りゆく春の花に見えるでしょう』
えーほんとかよ!って思いたくなるでしょうが疑いたくなるだろうが、疑ってはならない。
『うたがふな潮の花も浦の春』
そしてもう一つ
うちの夫婦岩は小さい岩が夫。大きい岩が嫁、きれいで咲き誇る期間は短く儚かった春の花。
疑わなくてもいい、現実。
と勝手に読みました。
ちと、まずかったかなぁ・・・。
二見浦 ・・・おわり・・・
ネタが尽きたわけでございます。本日、こちらへお起こし頂いた方には、ネタが薄く大変
申し訳なく思います。ゴメンなさい
お越しになったからには、最後までお付き合いのほどを
二見浦で‘なんで’と思った慣習の違いの中の一つに玄関先があります。
正月でも無いのにしめ縄がついてます。
そもそも、しめ縄は神域と外界とを隔てる(結界をつくる)ためのものだそうです。
ちょっと「結界」について気になるのでさらに調べてみますと・・・
生活や作法上注意すべきなんらかの境界を示す事物が、結界と呼称される場合もある。
作法・礼儀・知識のない者は境界を越えたり領域内に迷いこむことができてしまい、領域
や動作を冒す侵入者として扱われ、無作法または無作法者とよぶ
また、日本建築に見られる「襖(ふすま)」「障子」「縁側」などの仕掛けも、同様の意味で
広義の「結界」である。
空間を仕切る意識が希薄な日本においては、日常レベルでもさまざまな場面で「結界」が
設けられる。例えば、「暖簾(のれん)」がそうである。これを下げることで往来と店を柔らか
く仕切り、また時間外には仕舞うことで営業していないことを表示する。このような店の顔
としての暖簾は、上記の役割を超えて、店の歴史的な伝統までも象徴することとなる。
ウィキペディアより引用
重要な玄関先で結界を作るしめ縄、正月だけでは不十分かも・・・ですね。
こちらはしっかりと仕切りとしてがんばっていただきたい『下水マンホールのフタ』
夫婦岩仕様です。
海岸探索の途中(二見館前)に芭蕉の句碑がありました。
『うたがふな潮の花も浦の春』
かたわらの説明碑によると
「二見浦の春はよそと違って、夫婦岩に砕け散る波の花でその到来を知ることができるが、
それを疑うなよと教えたもの」
って意味だそうですが時代背景が解らないので理解不能っす
私なら
『夫婦いっしょなら厳しい荒波(試練)も、散りゆく春の花に見えるでしょう』
えーほんとかよ!って思いたくなるでしょうが疑いたくなるだろうが、疑ってはならない。
『うたがふな潮の花も浦の春』
そしてもう一つ
うちの夫婦岩は小さい岩が夫。大きい岩が嫁、きれいで咲き誇る期間は短く儚かった春の花。
疑わなくてもいい、現実。
と勝手に読みました。
ちと、まずかったかなぁ・・・。
二見浦 ・・・おわり・・・