高野山:
和歌山紀行の続編。
橋本から高野山へはバスで一時間ほどさらに山の中に移動です。
標高1000mぐねぐねとかなり登り、上がりきったところには盆地上の街があります。蓮の花びらのように広がったような地形でとても縁起がいい場所だそうです。
よくぞこんな山の中に1200年もの前にお寺を造り上げたものです。もちろん重機など全く無い時代でしょうからすべてが人力。信仰の厚さが伺え知れます。
私も含めた現代人の無宗教さと、これらを切り開きそして守ってきた先人達。
この違いはおおきいなぁ。
ここ高野山は比叡山と並ぶ日本仏教における聖地であり、『紀伊山地の霊場と参詣道』(熊野古道や那智の滝など)として世界遺産に登録されているのはご周知のとおり。
ここから奥の院へと参ります。
行く途中には大小さまざまなお墓があります、その数20万基以上。
いろんなお墓があり、不謹慎ではあるが面白い。
『しろあり』の墓。けっこう立派なお墓である。
こちらは土木建築殉職者のお墓、
企業のお墓も多く有名企業では日産・UCCなど・・・。
そして多くの戦国大名のお墓もあり敵味方関係なく混在する。
上杉、武田、毛利、徳川、織田、明智、豊臣、石田etc・・・長浜ゆかりの武将たちのお墓もありました。
御廟橋、ここから先は撮影禁止。ここ奥の院では3つの川があり三途の川に見立てているのだそうです。この最後の川を渡る先に弘法大師さまが・・・。厳格な感じの空気が漂います。
三途の川で思い出しました。
ちょっと話は変わりますが、私がサラリーマンだったころ独立開業かそのままサラリーマンを続けるか迷ったときに相談した社長の言葉を思い出した。その社長も独立開業し5年ほど経過し着々と事業を展開し輝かしく見えていた。(もちろん現在も大活躍されている)
「tossan、独立とは『三途の川』を渡るのと同じようなもんや」
「川の向うは花畑に思うやろ」
「渡ってきてみぃ、イバラの道やで・・・」
「かっこよう独立、独立ってみんな夢のように言うけど皆渡れへんねん」
「なんでか解るか」
「それはな・・・ 渡ったら帰れへんからや・・・」
「そやから三途の川なんや」
※ガネーシャぽい口調ですが像の神ではありません。 ガネーシャについては→ 読書の秋 ←参照
渡らなくてもいいならサラリーマンをしたほうがいいという指南であったのだろう。
けれど私は渡ってしまいました。 もう帰れまへん。
確かにイバラの道です。でも5年を経過いたしますと「イバラの道」から「バラの道」が見えてきそうなもんですがそんなに簡単ではなさそうな道のりです。
皆様の御慈悲はシークホームへと(笑)
そんな小話はさておきまして、
ここ奥の院の三途の川は戻れますのでご心配なく(笑)
お墓だらけのここ奥の院は、神社のような爽快な感じではなく、お墓に囲まれた神秘的な、いや仏秘的な異空間でございました。
高野山 やっぱり つづく。
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