レトロ写真館4(真空管ラジオ)
テーマ:電気・電子・光学
2011/04/29 19:43
でまあ、K君達と一緒のクラスになってから電子工作をシコシコやってて、真空管ラジオも幾つか作った。
並3、並4、0-V-1、高1辺り。
実はスーパーヘテロダイン式を作って無い。
何でかと言うと、流石にこの時代ラジオは真空管では無くなってたから。
まだ70年代半ばなので、無線機の終段等のパワーが必要な所や、オーディオのアンプの様に「半導体ノイズの入るのは駄目!」とかの理由で真空管が使われている所は多かった。
でも流石にラジオは…と言うことで、真空管自体よりもIFT等の周辺部品が揃わなくなってた時代。
これは大阪に行っても同様だった。
いつか作ろうと思って揃えていた真空管達も、多分もう日の目を見ることは無いと思う。
日本橋や秋葉原に行けば、今でも真空管は手に入る。
日本製は無理で、お隣の赤旗製だけどね。
なんてのをかなり後になってから友人(夜学時代の友人なので、私よりも5~6歳上)と話していたら「じゃあこれあげるから、バラして部品取りしたら?」
私の友人は大抵こういう不思議な発想する人が多い(笑)
…そない勿体無いことでけまっかいな!あんじょう使わせて貰いまっさ(笑)
並3、並4、0-V-1、高1辺り。
実はスーパーヘテロダイン式を作って無い。
何でかと言うと、流石にこの時代ラジオは真空管では無くなってたから。
まだ70年代半ばなので、無線機の終段等のパワーが必要な所や、オーディオのアンプの様に「半導体ノイズの入るのは駄目!」とかの理由で真空管が使われている所は多かった。
でも流石にラジオは…と言うことで、真空管自体よりもIFT等の周辺部品が揃わなくなってた時代。
これは大阪に行っても同様だった。
いつか作ろうと思って揃えていた真空管達も、多分もう日の目を見ることは無いと思う。
日本橋や秋葉原に行けば、今でも真空管は手に入る。
日本製は無理で、お隣の赤旗製だけどね。
なんてのをかなり後になってから友人(夜学時代の友人なので、私よりも5~6歳上)と話していたら「じゃあこれあげるから、バラして部品取りしたら?」
私の友人は大抵こういう不思議な発想する人が多い(笑)
…そない勿体無いことでけまっかいな!あんじょう使わせて貰いまっさ(笑)
レトロ写真館3(テープライタ)
テーマ:電気・電子・光学
2011/04/29 02:13
物心付いて、ボチッと自分の頭で考えて行動始めた頃からの事を書こうという企画なので、基本後戻りはしない方針。
古い資料が中々出てこないというのもあるんだけど(笑)、通り過ぎてしまったらまあしゃぁないかと…(笑)
その行動パターンからメカメカっとした所に偏重するのは仕方ないけど、それなりに影響受けてる所は寄り道するよ。
ということで、前回出た友人のお姉さんだ。
友人のO君とは小学校からの付き合いで、お姉さんは確か3歳上。
中学に入った頃からお姉さんともボチボチ話をするようになったんだけど、これがまた美人なのよ…おまけに愛想好し!
石野真子をグッと痩せて更に美人にした感じ…当時はもろストライクゾーンだったなぁ。。。
その上ドジッ子と言うのはmixiのコメントに書いた通りで、他にも運んで来てくれたコーヒーを盆毎ブチまけたりとかは日常茶飯事(笑)
んでもって、同級生のM君のお姉さんがそのまた1歳上で、よく遊びに来てた。
この年齢で3歳4歳上だとやることもかなり違う。
ご両親は夫婦で教師してて裕福な家庭だったのか、お洒落なカメラも持ってたけど当時気になったのはこれ、ダイモちび。
お姉さんが確か「¥980だったよ♪」とか言ってた。
今だと「テープライターと言えばテプラでしょ?」というところだけど、当時はこれが当たり前。
実は物自体は知ってて小学生の頃、電電公社の木之本局で「それ一体幾らするんや?」という超豪華な総金属製テープライタを見たことがある。
「名前は?」と聞かれて応えると、パチパチとフルキーボード打って作って貰った。
それがなんと!作りはチープ且つ雑にしても、取り敢えず個人で同じことができるのは新鮮な驚きだった。
この頃から価格が急激に落ちてきたので、何かの広告見て「これだ!」と買いに行った品。
残念ながらDymoではなくUniなんだけど、作りは上等。
しかも円盤が3枚付きで、ローマ字だけでなくひらがなとカタカナも自由自在の優れ物。
父親は物を買うと必ずマジックで購入年月日を書く癖があったのでこれが写り、このテープライタで購入年月日と価格を打つのが習性となった(笑)のが、今でも記録の残っている理由。
実は最初の仕事は生産設備の製造だったんだけど、始めた当初は機器の銘板を”1文字¥70!”とかで業者に頼んでた。
よく間違えては先輩社員から罵声が飛んできたもんだ…変更も多かったしね。
それも何年かしてテプラが出てからはすっかりこちらになった。
オリジナルはラミネート式で文字の上にクリアテープとなってて、過酷な使用にも耐えたっけ。
個人使用も暫くはオアシスのパチもん使ってたけど、文字がすぐに掠れるのでちゃんとしたのを買った。
でもあのダイモテープの味は中々良かった気がするんだよね。
古い資料が中々出てこないというのもあるんだけど(笑)、通り過ぎてしまったらまあしゃぁないかと…(笑)
その行動パターンからメカメカっとした所に偏重するのは仕方ないけど、それなりに影響受けてる所は寄り道するよ。
ということで、前回出た友人のお姉さんだ。
友人のO君とは小学校からの付き合いで、お姉さんは確か3歳上。
中学に入った頃からお姉さんともボチボチ話をするようになったんだけど、これがまた美人なのよ…おまけに愛想好し!
石野真子をグッと痩せて更に美人にした感じ…当時はもろストライクゾーンだったなぁ。。。
その上ドジッ子と言うのはmixiのコメントに書いた通りで、他にも運んで来てくれたコーヒーを盆毎ブチまけたりとかは日常茶飯事(笑)
んでもって、同級生のM君のお姉さんがそのまた1歳上で、よく遊びに来てた。
この年齢で3歳4歳上だとやることもかなり違う。
ご両親は夫婦で教師してて裕福な家庭だったのか、お洒落なカメラも持ってたけど当時気になったのはこれ、ダイモちび。
お姉さんが確か「¥980だったよ♪」とか言ってた。
今だと「テープライターと言えばテプラでしょ?」というところだけど、当時はこれが当たり前。
実は物自体は知ってて小学生の頃、電電公社の木之本局で「それ一体幾らするんや?」という超豪華な総金属製テープライタを見たことがある。
「名前は?」と聞かれて応えると、パチパチとフルキーボード打って作って貰った。
それがなんと!作りはチープ且つ雑にしても、取り敢えず個人で同じことができるのは新鮮な驚きだった。
この頃から価格が急激に落ちてきたので、何かの広告見て「これだ!」と買いに行った品。
残念ながらDymoではなくUniなんだけど、作りは上等。
しかも円盤が3枚付きで、ローマ字だけでなくひらがなとカタカナも自由自在の優れ物。
父親は物を買うと必ずマジックで購入年月日を書く癖があったのでこれが写り、このテープライタで購入年月日と価格を打つのが習性となった(笑)のが、今でも記録の残っている理由。
実は最初の仕事は生産設備の製造だったんだけど、始めた当初は機器の銘板を”1文字¥70!”とかで業者に頼んでた。
よく間違えては先輩社員から罵声が飛んできたもんだ…変更も多かったしね。
それも何年かしてテプラが出てからはすっかりこちらになった。
オリジナルはラミネート式で文字の上にクリアテープとなってて、過酷な使用にも耐えたっけ。
個人使用も暫くはオアシスのパチもん使ってたけど、文字がすぐに掠れるのでちゃんとしたのを買った。
でもあのダイモテープの味は中々良かった気がするんだよね。