レトロ写真館1(カメラ)
テーマ:電気・電子・光学
2011/04/26 22:59
X3も帰ってきて、少なくとも単焦点はピントズレも直ってる感じ。
これを機会にそろそろ古い物達の写真も残さなきゃ…物とデータのどちらが長く残るかは不明だけど(笑)
小学3年生頃か…既にスタート35の時代ではなかったので、少年誌の通販記事見てだと思うけど、カメラが欲しくなって父親に頼んだら「ほれ!」とこれをくれた。
お前、絶対子供用に買うの惜しくてお下がり渡したやろ…と言う処(笑)
第一工業製のゼノビアフレックスⅠ型。
国産二眼レフはA~Zまで(実際にはJ、U、Xは無し)と言われたくらい乱立した時代の最後のZを飾る一品。
レンズはNeo-Hesperでf75mmF3.5、シャッター速度はB~1/500の中級機。
価格は¥19,500で当時としてはややお高め…親父、安月給殆ど趣味につぎ込んでたもんね。。。
小学3年生~6年生辺りで使用。
当時はまだカメラの趣味は割と高く付いて、子供の小遣いではそれ程バシャバシャ撮る訳にも行かず、チビチビと。
それでも当時父親が使ってたヤシカのエレクトロ35よりもよく写っている感じがした。
今から思うとそりゃそうだ。
フィルムは中判の6×6ブローニー、焼き付けは引き延ばし無しのベタ、感度は当然100のモノクロームだもんね。
目だって当時は2.0を軽くクリアしてたので、ピントしっかり合わせれば奇麗に写らない筈が無い。
今自分で現像~焼き付けまでやれば面白いかも知れないけど、流石にその余裕は無し。
中学に入った頃は流石にこの古くて大きいカメラ持ってウロつく暇も無くなったし、友達のお姉さん(多分高校生)がお洒落なのを持ってたりで、疎遠になった。
記憶を辿って探すとこれだ、リコーのオートハーフE。
そんな訳で後年丁稚奉公先で貰った小遣いを食うや食わずで溜めて買うAE-1の時代まで、私のカメラ生活はプランクとなるのであった。。。
でもAE-1の現物が既に無いのでカメラの話の続きは無しね(笑)
これを機会にそろそろ古い物達の写真も残さなきゃ…物とデータのどちらが長く残るかは不明だけど(笑)
小学3年生頃か…既にスタート35の時代ではなかったので、少年誌の通販記事見てだと思うけど、カメラが欲しくなって父親に頼んだら「ほれ!」とこれをくれた。
お前、絶対子供用に買うの惜しくてお下がり渡したやろ…と言う処(笑)
第一工業製のゼノビアフレックスⅠ型。
国産二眼レフはA~Zまで(実際にはJ、U、Xは無し)と言われたくらい乱立した時代の最後のZを飾る一品。
レンズはNeo-Hesperでf75mmF3.5、シャッター速度はB~1/500の中級機。
価格は¥19,500で当時としてはややお高め…親父、安月給殆ど趣味につぎ込んでたもんね。。。
小学3年生~6年生辺りで使用。
当時はまだカメラの趣味は割と高く付いて、子供の小遣いではそれ程バシャバシャ撮る訳にも行かず、チビチビと。
それでも当時父親が使ってたヤシカのエレクトロ35よりもよく写っている感じがした。
今から思うとそりゃそうだ。
フィルムは中判の6×6ブローニー、焼き付けは引き延ばし無しのベタ、感度は当然100のモノクロームだもんね。
目だって当時は2.0を軽くクリアしてたので、ピントしっかり合わせれば奇麗に写らない筈が無い。
今自分で現像~焼き付けまでやれば面白いかも知れないけど、流石にその余裕は無し。
中学に入った頃は流石にこの古くて大きいカメラ持ってウロつく暇も無くなったし、友達のお姉さん(多分高校生)がお洒落なのを持ってたりで、疎遠になった。
記憶を辿って探すとこれだ、リコーのオートハーフE。
そんな訳で後年丁稚奉公先で貰った小遣いを食うや食わずで溜めて買うAE-1の時代まで、私のカメラ生活はプランクとなるのであった。。。
でもAE-1の現物が既に無いのでカメラの話の続きは無しね(笑)