彼らは無事か?

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 意外だったんだけど、アメリカネタがウケたみたいですね。
ウケるなら1ヶ月でも書き続けたいんだけど、まあそれほど大したことしてませんわ(笑)

 赴任では無くて出張ベースなので短期ですね。
アメリカだとフライトだけでも半日掛かりなので、そう簡単には戻してくれない(笑)
2週間の予定を組んで帰りはオープンチケット、大抵は延びて3週間というパターン。
東南アジアだと1週間程度で、何れも道中の無駄を省くために土曜日に出て日曜日に戻るというのが普通。
末期になってくるとその時間も惜しくてGWや盆休み、シルバーウィークを使って日本が休みの間に海外で仕事をして、休み明けに何事も無いかのように出社するような状態。

 海外関係の仕事をしたのは都合15年くらいでしょうか。
この間にアメリカと中国はそれぞれ片手では足りひんやろ?後はタイ。
何だかんだで年1回くらい海外出張していた勘定。
これはこの仕事をしていたにしては驚異的に少ない数字。
私が上司なら「仕事しとるんか!ゴルァ!」と怒鳴りたくなりますね(笑)
なのでメキシコと北京は再三のラブコールを蹴って、結局行かず仕舞い。

 要は物臭で腰が重いんですね。
海外行きたい人や行く人は他にも居たので、この人たちに頼んで誤魔化してた。
でまあタイの時にも、同期が北京に1週間行くと言うので経由してと頼んだ訳。
流石長い付き合い、胡散臭さを瞬時に嗅ぎ取り、「お前、それを俺だけにやらせるんか?」と睨むので、仕方なく現地集合。。。

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 東南アジアは嫌なのよ…案の定税関でトラブルに巻き込まれたんだけど、袖の下払う気は無いよ!
んでもってホテルで落ち合った同期はもうカンカン!
何でも北京は金が掛からんやろうと¥1万円を両替したら、1週間で¥1,000円しか使わなかったとか。
(ホテル代別)
北京は見かけ上お堅いから現地ガイドがいないと、初めての外国人が単独でお楽しみはできないんです。。。
そのまま海鮮料理の店に行ってミニ同期会、スナックとカラオケ通い…お前ら、何しに来たん?

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 遊びは日本時間(笑)で仕事は現地時間(時差2時間)だから、睡眠不足もエエとこ。
これで8日間…当時だからまだ頑張れたけど、50目前の今じゃとても無理ね(笑)
初日に工場の食堂で昼飯食べて帰ってきたら、別件で来ていた日本人が「どうでした?どうでした??」とニヤニヤして聞く…一体何や?
なんでも「初めてタイに来た日本人は現地の飯が食えない」とか。
「私、会社でもっと不味い飯食わされてたので、それにくらべりゃ上等ですわ」と言ったら目を丸くしてた(笑)
私序でに購買で買い食いしてましたわ。。。

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 当時でもタイは成長著しく、結構な都会。

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 OLのお姉さんだって、垢抜けた格好してるぜ。
このお行儀(足癖)の悪さが微笑ましいけど(笑)

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 何とか乗り切って最後に同期と打ち上げした時の1枚。
睡眠不足でヘロヘロだったにしては清々しい顔してる(笑)

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 行った所はナワナコンの工業団地。
この前水没して今は復旧に取り掛かっているところか?
当時一緒に仕事をした彼(彼女)達、無事に元気でやっているんだろうかと思うと心配になるんですよ。

これ持って行こか。。。

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 前回の続き、連載3回目(笑)
何でこんな話になったかと言うとACアダプターの話があって、えべっさんの紙袋の話があって。。。
「アメリカに滞在していたの?」と言うコメントがあったので、テープライターを経由してここに繋げようかと…もう無理矢理やね(笑)

 80年代後半は今からは考えられないけど、Japan as No.1!の時代。
バブルを享受したじゃこちんは勿論、ここの諸兄の大半はご存じ…10年若いと氷河期の頃か。。。
この当時はキャリアも更にアップしてて、フルオートメーションの生産設備の自動制御回路の設計とそれを動かすシーケンスプログラムの作成、それからオーバーフローした分を外注さんに出す為の制御部の仕様作りと出来栄えのチェックが主な仕事。
その他にはマイクロコンピュータを使った画像認識のお手伝いや、それを基にした産業用ロボットのフィードバック制御と言う所。

 でまあ、「これをアメリカに持って行くので一緒に行って来い」となった訳。
「金が無いから宿泊手当無しね。」と言われ、ツーベッドルームのコンドミニアムを借りて貰っての自炊生活を1か月。
馴染みのスーパーはSafeWayで、週に何回かは通ってた。

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 当時20代だったので怖いものなし、米なんて食べるの忘れてた(笑)
とは言え行ったメンバーの中では若輩者で、周りは怖ぁ~い班長さんや職長さん…私なんてパシリですわ(笑)
この工場は昼前に”チンチン~♪”とベルを鳴らしてケータリングのトラックが来る。

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 これを聞くと「○○、行って来ぉ~い!」と言われてそこまで走り、スチロールトレイの裏に小汚い字で書かれたメニューと値段を必死で憶えてまた戻る。
「クラブサラダサンドウィッチ$2.50、ファイブスピードブリット$3.00…」とか。
それで御用聞きをしてまた買いに走るっ…てなことをやってた。
その分オフでは結構可愛がって貰い、色々面倒見て貰ったっけ。
鴈首揃えて食べてる写真がこれ(笑)

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 この時に初めて「日本食しか食べられない」という人に出会った。
人間何でも食べられないと困るなぁ…とこの時実感したけど、後々の海外出張でも身に滲みて感じた。
この頃はまだ全体に余裕のある時代で、何せシリコンバレーの真っ只中…つまりは西海岸の陽気なところで休日はあちこちウロウロ。
ヨセミテ公園の断崖絶壁1,600m(だっけか?)の際まで行ったらガイドが真っ青な顔で「止めて下さぁ~い!」叫んでた(笑)

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 足はカルトレイン(乗車駅はサニーベルだ)とか路面電車で、ロクに話せもしないのに何所まででも行った。
人間も陽気で遊園地に行ったら婆ちゃんが割引券くれて助かったり(勿論言葉は通じていない)、楽しい時代。

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 アメリカの方はこれで終わりかと思いきやご縁があって、この後10年程何回も行くことになった。
でも実際には既にアメリカで(はおろか日本でも)物を作る時代ではなくなっていて、東南アジアの時代。
特に90年代後半からは猫も杓子も上海上海。
御多分に漏れず、私もこの後はタイや珠海に上海と、東南アジアを転戦することになる訳ですね。
この頃になると段々と日本にも活力が無くなってきて、バブル時代の様には行かないから「3連休以上は海外出張の好機!」という世知辛さ。
(休みが明けたら当たり前のように出社するのさ…)
おまけに仕事も部品の買い付けや取引先の開拓という、訳の分からないことだらけで苦戦の連続。
実は海外出張は嫌いでなるべく避けてたんだけど、もう行くことも無いかと思うとメキシコと北京は行っておきたかったなぁ、と思う…後悔先に立たず。
既に会社も金で買われて名前も無くなってるので、昔の出来事やね…と言うことで連載終了。

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CLAY

電気の全てがライフワーク!だが寄る年波か、マイコンの半田付けをする気力が無くなった。
ので、現在は若い頃できなかったアウトドアに傾倒中。
湖北の山々を愛犬チェリー(柴犬)とウロつく日々。

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