レトロ写真館9(オシロ&自作機)
テーマ:電気・電子・光学
2011/05/03 20:34
この調子だと後5回くらい続いちゃうんだけど、疲れてきたので打ち切り(笑)
写真はちゃんと撮ったしね。
働き始めて初任給貰ったその足で店に行き、パソコンを18ヶ月のローンで購入したのは1981年の4月。
更に仕事をするのが嫌だったので…基、しっかり勉強しようと(笑)、通信制の高校を卒業した82年から夜学に通い始めた。
本当は電力志向でぞうさんの母校にしたかったんだけど、薄給にあそこの授業料は払えなかったので、別の所の短大の電子工学科。
そんな訳で金が無く、パソコンのローンが終わった11月からまた1年のローン組んで買ったのが下のオシロスコープ…当時会社で使ってたのよりハイスペック。
自営の方にも「個人経営のレベルでも普通それは買わない。本気で趣味で買うの?」と言われた。
お店のオジさんも「君、ホンマにこれ自分で買うんやな?」と何回も念押しされた。
自分でも判ってたけど、ここまで来ると既に常軌を逸してビョーキの世界(笑)
実は「わざわざ夜学にまで来るヤツは、3度の飯より電気が好きに違いない」と期待をしたんだけど、駄目だったね。
「1浪したけど駄目で2浪出来ないから来ました…」ってのが殆ど。
定員40人といいながら入学時は240人くらいだった(笑)
騙された気がしたけど、卒業したのは60人余りだったので、あれはきっと卒業の定員だったんだろうか。。。
でも中には何人かそんなのが居たのと、やはり年の離れた方たちは自力で苦労して来られていて、勉強する姿勢も真剣味も全然違った厳しさがあり参考になった。
なので当時のお友達は年の離れた方が多く、技術的にも色々教えて貰ったし、オシロも手に入って自作の生産性は大幅に向上(笑)
下はその頃オペアンプの実験用に作った83年製の電源装置。
回路は大したこと無い3端子レギュレータで可変式。
裏側はかがみ☆あきらだ…早くに亡くなられたのは残念だったね。
これは次に作ろうと思っていたトランシーバーの電源も兼ねた仕様で、コネクタひとつで連結可能。
当時既に猫耳が普遍化していた証拠も付いてる(笑)
上に乗っているのは84年製で7MHzのA1(電信)トランシーバー、出力1W。
最遠交信記録は会社の4エレトライバンダーを使用して大阪から新潟。
…というか、これ1局だけ(笑)
ミズホの送信機キットに同じくミズホのVFOユニット、これに雑誌にあったダイレクトコンバージョン受信機を適当にくっつけて箱に納めたもの。
実家に戻って来てから93年に作ったのが下。
50MHzのA3(AM)送受信機…トランシーブ操作が出来ないのでね。
50.49MHzのスポット送信で出力50mW。
最遠交信記録は自宅から南浜(笑)…距離にして5kmは無いね。
これも交信はこの1局だけ。
そもそもが作ることに意義があって、通信自体に意味は無いのである。
手段が目的と化している典型(笑)
後はまあ色々とあるけれど、現物残っているのも少ない。
この後は纏まった自作は出来てなくて、大作と言えば今住んでいる家の屋内配線程度だけど、これは工数掛けただけだから面白くなかった。
今回撮った写真は手元のHDDとDVD、mixiとコブログに隔離保管してお仕舞い。
写真はちゃんと撮ったしね。
働き始めて初任給貰ったその足で店に行き、パソコンを18ヶ月のローンで購入したのは1981年の4月。
更に仕事をするのが嫌だったので…基、しっかり勉強しようと(笑)、通信制の高校を卒業した82年から夜学に通い始めた。
本当は電力志向でぞうさんの母校にしたかったんだけど、薄給にあそこの授業料は払えなかったので、別の所の短大の電子工学科。
そんな訳で金が無く、パソコンのローンが終わった11月からまた1年のローン組んで買ったのが下のオシロスコープ…当時会社で使ってたのよりハイスペック。
自営の方にも「個人経営のレベルでも普通それは買わない。本気で趣味で買うの?」と言われた。
お店のオジさんも「君、ホンマにこれ自分で買うんやな?」と何回も念押しされた。
自分でも判ってたけど、ここまで来ると既に常軌を逸してビョーキの世界(笑)
実は「わざわざ夜学にまで来るヤツは、3度の飯より電気が好きに違いない」と期待をしたんだけど、駄目だったね。
「1浪したけど駄目で2浪出来ないから来ました…」ってのが殆ど。
定員40人といいながら入学時は240人くらいだった(笑)
騙された気がしたけど、卒業したのは60人余りだったので、あれはきっと卒業の定員だったんだろうか。。。
でも中には何人かそんなのが居たのと、やはり年の離れた方たちは自力で苦労して来られていて、勉強する姿勢も真剣味も全然違った厳しさがあり参考になった。
なので当時のお友達は年の離れた方が多く、技術的にも色々教えて貰ったし、オシロも手に入って自作の生産性は大幅に向上(笑)
下はその頃オペアンプの実験用に作った83年製の電源装置。
回路は大したこと無い3端子レギュレータで可変式。
裏側はかがみ☆あきらだ…早くに亡くなられたのは残念だったね。
これは次に作ろうと思っていたトランシーバーの電源も兼ねた仕様で、コネクタひとつで連結可能。
当時既に猫耳が普遍化していた証拠も付いてる(笑)
上に乗っているのは84年製で7MHzのA1(電信)トランシーバー、出力1W。
最遠交信記録は会社の4エレトライバンダーを使用して大阪から新潟。
…というか、これ1局だけ(笑)
ミズホの送信機キットに同じくミズホのVFOユニット、これに雑誌にあったダイレクトコンバージョン受信機を適当にくっつけて箱に納めたもの。
実家に戻って来てから93年に作ったのが下。
50MHzのA3(AM)送受信機…トランシーブ操作が出来ないのでね。
50.49MHzのスポット送信で出力50mW。
最遠交信記録は自宅から南浜(笑)…距離にして5kmは無いね。
これも交信はこの1局だけ。
そもそもが作ることに意義があって、通信自体に意味は無いのである。
手段が目的と化している典型(笑)
後はまあ色々とあるけれど、現物残っているのも少ない。
この後は纏まった自作は出来てなくて、大作と言えば今住んでいる家の屋内配線程度だけど、これは工数掛けただけだから面白くなかった。
今回撮った写真は手元のHDDとDVD、mixiとコブログに隔離保管してお仕舞い。
レトロ写真館8(計算尺)
テーマ:電気・電子・光学
2011/05/03 00:52
簡単に言うとアナログ計算機で、剰余と対数、三角関数、自乗、3乗と根、立方根の計算ができる。
これも真空管と時を同じくして姿を消して行った物のひとつ。
早い話が半導体の進歩に伴い代替されて行った訳で、こう言うのは多い。
1976年にCASIOの関数電卓fx-102が¥12,500という個人で買える価格で出ているので、ここからそれこそ「あっ!」と言う間に計算尺が消えたことになる。
だって、1978年か1979年には私もSHARPのピタゴラスという関数電卓を買ったから…最上位機種で確か¥2万はしていなかった筈。
この時点で、会社で計算尺を使っている人は殆ど居なかった。
計算尺はヘンミの独壇場だけど、今は違うのも作ってるね。
http://www.hemmi-inc.co.jp/
機械加工や機械製図に欠かせない物で、こう言うのを揃える為に会社からは仕事しない修行の身なれど、同年齢の普通の高校生よりはかなり多い額のお小遣いを頂戴していた。
まあ殆どは関係無い趣味の電子工作に費やしたが(笑)、たまにはロッドリング等の製図機器やこういった関数電卓を買ったりしてた。
住む所と飯の心配しなくて良かったので買えた訳で、当時としては結構な金額だったと思う。
日本橋のお店のオジさんは「このガキがこれ買うんかい!」ってな感じだったもん(笑)
とは言え師事していた師匠方とは世代が違うから、あちらの頭はまだ計算尺で、「まだ使えるから勉強しとけ!」…自分だって使ってないのに(笑)
実はまあ例によって父親には教えて貰っていたので、剰余くらいは使えたんだけどね…小学生の頃だから初等数学は無しね(笑)
大体工場の現場で必要な関数なんて、機械屋さんは三角関数で電気屋さんは対数程度、後は自乗と平方根、三乗と立方根があれば大抵事足りる。
計算尺にはこれが全て揃ってるので、重宝したと思うよ。
当時は金属加工を教えて貰っていて、図面見て別の所を削っている間に角度の計算!
これを誤差承知の計算尺でやるか、アメリカンプラグマティズムに三角関数表を使って隙間をKKD(勘、コツ、度胸)で埋めるかは個人の好み。
これが電卓一発で答えが出るならもう楽勝…の筈は無い。
加工精度(自分のウデ)がそれに付いて行けてないぞ(笑)
写真、上が私の使ってたので真ん中が父親の遺品、一番下は3級の検定を受けたら優秀だったとかで、合格証書にくっ付いてきた。
長さ15cm程度の胸ポケットに入るサイズで、1975年以前の技術屋はこれを作業服の胸ポケットに入れて現場を闊歩してたんだろうね。
これは今でも机の引き出しに入ってて、時々ノルタルジックに浸ってるのである。
これも真空管と時を同じくして姿を消して行った物のひとつ。
早い話が半導体の進歩に伴い代替されて行った訳で、こう言うのは多い。
1976年にCASIOの関数電卓fx-102が¥12,500という個人で買える価格で出ているので、ここからそれこそ「あっ!」と言う間に計算尺が消えたことになる。
だって、1978年か1979年には私もSHARPのピタゴラスという関数電卓を買ったから…最上位機種で確か¥2万はしていなかった筈。
この時点で、会社で計算尺を使っている人は殆ど居なかった。
計算尺はヘンミの独壇場だけど、今は違うのも作ってるね。
http://www.hemmi-inc.co.jp/
機械加工や機械製図に欠かせない物で、こう言うのを揃える為に会社からは仕事しない修行の身なれど、同年齢の普通の高校生よりはかなり多い額のお小遣いを頂戴していた。
まあ殆どは関係無い趣味の電子工作に費やしたが(笑)、たまにはロッドリング等の製図機器やこういった関数電卓を買ったりしてた。
住む所と飯の心配しなくて良かったので買えた訳で、当時としては結構な金額だったと思う。
日本橋のお店のオジさんは「このガキがこれ買うんかい!」ってな感じだったもん(笑)
とは言え師事していた師匠方とは世代が違うから、あちらの頭はまだ計算尺で、「まだ使えるから勉強しとけ!」…自分だって使ってないのに(笑)
実はまあ例によって父親には教えて貰っていたので、剰余くらいは使えたんだけどね…小学生の頃だから初等数学は無しね(笑)
大体工場の現場で必要な関数なんて、機械屋さんは三角関数で電気屋さんは対数程度、後は自乗と平方根、三乗と立方根があれば大抵事足りる。
計算尺にはこれが全て揃ってるので、重宝したと思うよ。
当時は金属加工を教えて貰っていて、図面見て別の所を削っている間に角度の計算!
これを誤差承知の計算尺でやるか、アメリカンプラグマティズムに三角関数表を使って隙間をKKD(勘、コツ、度胸)で埋めるかは個人の好み。
これが電卓一発で答えが出るならもう楽勝…の筈は無い。
加工精度(自分のウデ)がそれに付いて行けてないぞ(笑)
写真、上が私の使ってたので真ん中が父親の遺品、一番下は3級の検定を受けたら優秀だったとかで、合格証書にくっ付いてきた。
長さ15cm程度の胸ポケットに入るサイズで、1975年以前の技術屋はこれを作業服の胸ポケットに入れて現場を闊歩してたんだろうね。
これは今でも机の引き出しに入ってて、時々ノルタルジックに浸ってるのである。