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終戦記念展、第十回に!

テーマ:民俗資料
当館が、終戦の日をはさんで「終戦記念展」を開催するようになってから、10年が経ちました。

今でこそ、あちこちで開催されるようになりましたが、当時としては珍しく、一体どのような内容にすべきか、館職員さんが悩んでおられました。当時、町教委にいた関係で、何かと気にしていたことを懐かしく思い出しています。

この十回の歴史の中で、何よりも忘れてはいけないことは、西邑さん所蔵文書類の発掘です。当館の終戦記念展がなければ、恐らく全国的にみて貴重なあの文書は陽の目を見ることは無かったはずです。

今回のテーマは「戦地と家族の絆」~故郷・家族への想い~です。塹壕の中で書かれた家族への手紙、戦地から妻への手紙、出征する夫への手紙などを中心に、百五十点を上回る貴重な品々が展示されています。また、当館が小学生の社会科学習を軸に子どもたちにも関心を持たれており、展示は子どもたちにもわかりやすくを、心掛けているといいます。

私的なことで申し訳ありませんが、職員さんも人が悪い、私に内緒で今回のポスターに、私の両親の写真を使われました。

新婚五か月で出征した父からの、10通ほどの手紙、現代の私でも書けない、我が愛妻へ、愛しき妻へ、懐かしき妻へ、愛しき我が妻へなどといった宛名になっています。

このやり取りの中で、私がお腹の中に出来たことをほのめかしている部分が数カ所あります。私は、父の戦死後、誕生することになりますが・・・・・。

図版 「第十回 終戦記念展」パンフレット 開催期間7月28日~9月2日



「身代わり地蔵」の誕生

テーマ:民俗資料
以前、4月3日の「波久奴神社春祭御輿かつぎ」について、記事にしました。
その記事は、祭りの日の朝のアップで、楽しげな紹介でしたが・・・・・。

補足記事として、「大雨」どころか、台風並みの春の嵐、暴風雨、40メートルの風、すごいことになって来ました。」と、書きましたように、前代未聞の大嵐の中での催行となりました。

自町から神社までの行列や、式典、記念撮影頃までは、大丈夫だったのですが、その後、ポツリポツリと降り出しました。午前の部の最後くらいから、本格的な降りになり、風も強くなってきました。5、6軒は出ていた露店も、早々に店じまいをして帰った業者もありました。

午後の参宮行列、強風で高張提灯を持つ人(我が家の息子もその一人ですが)が吹き飛ばされそうになり、立てずに歩くだけということになりました。

午後の御神輿巡行スケジュールも短縮し、子ども御輿も回数を減らしての巡行となりました。午後の式典も神鉾・御幣が倒れたりゴザがめくれたり、大変な状況の中で執行されました。

強風で、境内の樹木や竹は大きくうねり、折れた木の枝や木の葉が、拾っても拾っても落ちてきたり、雨が強くなり水も川のように流れるというすごい中、なんとか、餅撒き行事までこぎ着けました。

例年なら、すぐにも家に帰るはずですが、今年はビデオ撮影・編集を依頼されていて、早朝から祭典の一部始終を密着取材せざるをえないという不幸な?ことになりました。

編集の際、倒れんばかりに揺れ動く樹木や竹林、竹垣の映像を見ていると、何ごともなく終了したことが奇跡のように感じれられるくらいです。

もし、誰か落下物で怪我でもしたくらいなら、警察沙汰になって責任を問われること必定といった状況でした。木の枝が子どもたちの上に落ちたらと考えると自治会長や関係者は、ヒヤヒヤものだったと思います。

事件は、起こっていたのです

同神社の裏参道入口にあるお地蔵さん(以前、「村のはずれのお地蔵さんは♪」で、毛糸の帽子をかぶったお地蔵さんを紹介しました)の横に、地蔵堂もあります。その、地蔵堂が、今までどんな強い台風が来てもビクともしてなかったのに、なんと、吹き飛んで地蔵さんも転がり落ちていたのです。

県下で暴風警報も出ていた中、子どもたちに何の事故も起こらなかったのは、このお地蔵さんが身代わりになってくださったからだと、確信しました。

写真は、数年前の地蔵盆の日の地蔵堂風景です。























得体の知れないモノ

テーマ:民俗資料
当館展示物の中で、唯一展示説明のプレートの付いていないモノがあります。

改装オープン時から、気になる存在でした。

写真の通り、見かけは「チョコレート色」の「卵状」のモノが、「大小6 個」転がっているという展示品です。

前回紹介の「伝お市所持の扇子」でさえ、見過ごしたと言われる方がおられましたので、気づかれずに通り過ぎられる方の方が多いのではないかと思います。

当初、私たちもなんだか分からず、「もし、質問しゃーったら、どうしょ!」と、言っていた時もありました。

資料館のお近くの家の蔵にしまわれていたモノで、丁寧な「漆塗り」仕上げの木製品です。それぞれ、中空で・・・・・と、申し上げると、鋭い方は、反応していただけます。

日本製の「マトリォーシカ」だと、考えられます。

でも、この言い方は間違いで、逆に日本の箱根細工の入れ子人形(こけし・だるま・七福神)が、ロシアに伝わったという説が有力だそうです。

江戸時代のハイ・ソサイティーのお嬢さん方の遊びの一種だそうで、ただ、戦国の姫たちの遊びにまで遡れるのか、長浜城歴史博物館の学芸員さんも躊躇され、展示はするがプレートがないという微妙な結果になっているのではないかと思われます。いや、プレートを作るのは、当館の仕事でしたか???

♪今日は嬉しいお祭り日♪

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朝が早く、前日にアップしますので、正確には「明日」です・・・・・。

何度となく登場した、「波久奴神社」ですが、ここは「田根荘(たんのしょう)」14か字の郷社です。祭神に物部守屋を祀るという異色のお宮さんです。

その例大祭「御神輿舁ぎ」は、玉くじに当たった町が舁ぎ手となって、毎年4月3日に執行されます。この祭りは、大きな御神輿が出ることで知られ、ほし店も並び丁度春休み中でもあり近郷近在から子ども連れの客で賑わうことで有名でした。

とりわけ、江戸中期の明和五年(1768)に造られたこの神輿は、350貫(訳1.3㌧)~400貫(1.5㌧)と巨大で重く、50人の舁ぎ手でぎりぎり、その人数集めに一苦労といったところです。

近くの神社でも、若者人口の減少で、台車に乗せたり、数年に一度合同でとかに改まってきています。ここでも、検討されたのですが、今少し頑張ってみようと、小さな町を大きい町に合わせ10年に1度の出仕ということになりました。

その玉くじ(年末抽選)が当たり、今年、当町と隣町とが「かきばん」となりました。

高張り提灯4名、旗持2名、本御輿を先導する子どもたち8名、先導2名、本御輿48名、舵取り8名、子ども御輿を先導する子どもたち11名、子ども御輿10名、付添5名、その他もろもろ、町内挙げての大イベントです。

自町から大鉦を叩いて参拝し、午前1回、午後5回、境内を所狭し舁ぎ廻ります。(重くて重くて、こんな表現は間違いです)
数年前までは、神様を慰める意味で、「船遊山」(=御輿を右左へ交互に揺さぶる)、「天井舁き」(=両手を差し上げて舁ぐ)、「地舁ぎ」(=腰をかがめて、地面すれすれに舁ぐ)などの、見せ場をつくっての巡行でしたが、現在は危険のため中止されています。

「もちまき」も午後の巡行の間に行われ、豪華景品?が出ます。午後の巡行は、2時頃からおよそ1時間程度です。ぜひお越しいただきたいのですが、なんと、なんと、その後は晴天が続くのに当日の天気予報は「雨」、覚悟してお越しくださいますようご案内申し上げます。

「雨」どころか、台風並みの春の嵐、暴風雨、40メートルの風、すごいことになって来ました。

図版 波久奴神社春季大祭「御神輿舁ぎ」御輿巡行経路図


「ふるさと田根誌」の紹介

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村落景観情報」は、項目の羅列と極めて簡潔な説明文しかなく、地域の歴史や暮らしの記録としては、限界があります。

そこで、田根郷土史研究会では、景観情報編集を中断し、当時福永圓澄氏の指導を受けられる環境の下、「ふるさと田根誌」を発刊されました。平成15年のことです。

B5版、273ページという労作で、後世に誇るべき一大偉業であったと、私は関わっていなかったので、遠慮せず称えておきたいと思います。

もはや、販売は終了し、学区民以外の方は図書館などでしか、目に触れていただくことはありませんので、何らかの参考にしていただくために目次の紹介をしておきます。

第1章 田根の古代史 田根荘の古代・古代遺跡の分布・北野古墳群・孝徳宮古墳・大人塚古墳・古寺瓦焼登窯
第2章 各集落誌 14集落の地名・由来・変遷・社寺・伝承・史跡
第3章 社寺誌 各集落の神社の祭神・仏閣の縁起、伝承
第4章 自然環境 野田隕石の落下・西池・銘木
第5章 交通 昔の道・谷坂隧道
第6章 生産・産業・観光 谷口林業・養蚕・孤篷庵、浅井能楽資料館、五先賢の館、須賀谷温泉、西池
第7章 暮らしの民俗 妊娠、婚姻、葬儀、古代信仰、方言、歌謡、遊び
第8章 郷土の先人 小堀遠州・相応和尚・海北友松・片桐且元・小野湖山
第9章 郷土の伝承・故事  腰掛岩・ヤタガラス・三成遺品・藤五郎伝説・乞食坂・寝牛の大岩

皆さんの地域でも、今のうちに、まとめるなり、老人の話を聞き取るなどの工夫をされたらいかがでしょう。

家族で、のんびり火鉢を囲んで昔話を聞いた子ども時代の情景は、一切見られなくなりました。
今の時期に、記録に留めることの必要性を強く感じています。

「一人の老人の死は、一つの図書館が無くなったのと同じである」という、アフリカの言葉を思い浮かべながら・・・・・。

申し訳ありません。この冊子は、まだ残部があり、五先賢の館で販売しておられるそうです。1部、1,000円です。
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プロフィール

SirMurai

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浅井歴史民俗資料館を応援しています。歴史好き、建築好き、世界遺産好きです。
HP「江たち浅井三姉妹とお市物語」へもどうぞ。

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