浅井長政寄進の刀と太刀、小谷城脇門の扉、血痕付きの雑兵の帷子等本物を展示、3D 的な映像シアターで姉川合戦を再現、江誕生・落城・脱出場面をジオラマで表現するなど、日本宝くじ協会の資金提供を受け、全面的改装のなった「浅井歴史民俗資料館」へお越しください。
秀吉の母と妻を脱出させたご褒美
テーマ:戦国時代
2011/12/11 07:30
本能寺の変の際、秀吉の居城だった長浜城には、妻の「ねね」と母の「なか」が住んでいました。もちろん、秀吉は中国攻めの真っ最中でした。
明智光秀の配下となった、後に初の旦那となる京極高次たちが長浜城に攻めてくる気配となりました。
その時、「ねね」と「なか」を、長浜城から脱出させることに功績があったのが、美濃国の土豪広瀬兵庫助でした。
写真は、その功績を称えて高山(現長浜市高山町)・甲津原(現米原市甲津原)・杉野(現長浜市木之本町杉野)の三カ所で合計五百石を宛がったことを示す現在展示中の文書です。
大吉寺に匿ったという話もあり、上草野谷から、七曲峠を越え甲津原から伊吹山麓をつたって、美濃国広瀬(現岐阜県揖斐川町)へ案内したと考えられています。
この逃避行に関する様々な伝承が、曲谷や甲津原に伝わっているといいます。
この文書にある、土地が全て、それぞれの地域の最奥部であることは偶然なのでしょうか。旧地名でいえば、高山は上草野村の、甲津原は東草野村の、そして杉野は杉野村の最も奥の地名なのです。
面積も、420石+35石+45石=500石と、きっちり合わせていて、・・・・・何となく微妙です。
また、この文書は、秀吉と、2番目の「秀勝」との連署である点、於次秀勝が長浜での行政に関わっていたことを示す貴重なものといえます。
明智光秀の配下となった、後に初の旦那となる京極高次たちが長浜城に攻めてくる気配となりました。
その時、「ねね」と「なか」を、長浜城から脱出させることに功績があったのが、美濃国の土豪広瀬兵庫助でした。
写真は、その功績を称えて高山(現長浜市高山町)・甲津原(現米原市甲津原)・杉野(現長浜市木之本町杉野)の三カ所で合計五百石を宛がったことを示す現在展示中の文書です。
大吉寺に匿ったという話もあり、上草野谷から、七曲峠を越え甲津原から伊吹山麓をつたって、美濃国広瀬(現岐阜県揖斐川町)へ案内したと考えられています。
この逃避行に関する様々な伝承が、曲谷や甲津原に伝わっているといいます。
この文書にある、土地が全て、それぞれの地域の最奥部であることは偶然なのでしょうか。旧地名でいえば、高山は上草野村の、甲津原は東草野村の、そして杉野は杉野村の最も奥の地名なのです。
面積も、420石+35石+45石=500石と、きっちり合わせていて、・・・・・何となく微妙です。
また、この文書は、秀吉と、2番目の「秀勝」との連署である点、於次秀勝が長浜での行政に関わっていたことを示す貴重なものといえます。
コメント
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中ちゃん2011/12/11 08:33おはようございます♪うちの、祖母は、曲谷の人で、歴史に縁があった場所に住んでいたんだな〜と、ビックリしています。なんか、山奥やし、不便やなぁ〜って、子供の頃思っていましたが、そんな事ないですね…。嬉しくなってきました♪
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2011/12/11 08:37筆ばかりの時代
字が、綺麗ですね
いつも思います。
子供のころから筆しか持たないからでしょうね
今のような、上手、下手無いように思います。
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2011/12/11 09:46反戦の意味をこめて500石(半千)。なわけないな。
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2011/12/11 14:46SirMuraiさんも、将来の為に何か紙に書きものでもされたらいかがでかす?
この時代を象徴するようなことでも・・・
私はオフ会の幹事の様子でも書きますわ・・笑 -
2011/12/11 14:47杉野や金居原にはほとんど田んぼないですね 中之郷や田部に耕作に出ていかれているそうな
そのかわり炭は多かったでしょうけどね -
2011/12/11 20:51中ちゃんへ
農業、林業だけの時代であれば、どこも変わらず、大切な土地柄だったと思われます。また、敗者となった人々も、逃れ住む土地であったかも知れません。
Minoriさんへ
書ける人もそんなにいず、いつも、上手い人が専門的に書いていたのかなとも思います。紙なんて自由に手に入らない時代、練習することも、落書きすることも出来ない時代ですから・・・・。筆しか持たないから・・・それも事実でしょうね。
油甚さんへ
そんな、無茶な!
マルセンちゃんへ
コメが無理な場合は、何か他のもので換算したと思いますが・・・。ここの場合は、適当に山の奥を振り当てたような感じが・・・。
くんさんへ
パソコン印刷でも、活字印刷でも、寿命があるようで、墨にはかないません。でも、私は筆で書くような力は持ち合わせていません。
えべっさんへ
薪炭でコメ代わり、ということもあったとは思いますが、この場合、それに当たるかどうかは分かりません。 -
2011/12/11 21:12太閤倹地の石高は、いまでいう土地の固定資産税みたいなものです。
何かの収穫があれば、それに対する課税です。
例えば、漁業収入があれば、それを米の収入に換算して石高とします。
米がとれるかとれないかは、関係ないんです。
収入を換算しているだけです。
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2011/12/11 22:44小右衛門さんへ
有り難うございます。うっすら、そんな記憶があり、適当に書きましたが、補強していただき感謝です。
おそらく、他にも各所に、お気になる点があることと思います。よろしく、ご指摘ください。 -
2014/02/26 19:44広瀬兵庫助の12代の末裔です。
読者登録させていただきました。よろしくお願いいたします。
真宗大谷派(東本願寺)・真敬寺(岐阜県垂井町)は、父の実家です。