浅井長政寄進の刀と太刀、小谷城脇門の扉、血痕付きの雑兵の帷子等本物を展示、3D 的な映像シアターで姉川合戦を再現、江誕生・落城・脱出場面をジオラマで表現するなど、日本宝くじ協会の資金提供を受け、全面的改装のなった「浅井歴史民俗資料館」へお越しください。

ポツンと神社が・・・

テーマ:淺井三代
虎御前山東麓の大洞村を探していたときのことです。

ふつう、村の氏神さんや郷社は、どこかの集落の中か、近くに鎮座していることが多いのですが、その神社は広い田んぼの中にポツンとありました。

「一体どこの・・・?」疑問に思い近づいてゆきました。「王内儀神社」とありました。不思議な社号ですが、主神が「神功皇后」と聞いて納得しました。銘板には、「この地域はいつも田川の洪水に悩まされ、しかも大きな沼地となっており人々が沼へ引き込まれ、困窮していた。それを見た、神功皇后が哀れに思い救ってくださったので一社を建立した。」と、ありました。

田川」の土手下で、「錦織荘」(難波・錦織・酢・田・大寺・月ヶ瀬・唐l国)の最上流部に、この神社が鎮座していることに興味をもちました。

「田川カルバート」建設の機運がわきおこる地域、錦織荘にとって洪水が鎮まることは最大の願いごとで、その祈りを捧げる地として、村から離れた荘へ川が流れ込む地点に、この神社を建立した悲しいまでも必死な当時の村人の気持ちが伝わってきます。

なお、この神社については、浅井亮政も「誠尽くすなら霊験は忽ち現れ、神威を犯すなら忽ち罰があたり、崇拝すべきである。」と、書き残したという記録があるそうです。

写真 上 田んぼの中に見える「王内儀神社」、背後の土手は「田川」、山は「虎御前山」  下 境内風景








コメント

  1. 2012/12/13 10:02
    鳥居の正面にお社があるものだと思っていたんですが・・・
    珍しくはないんですか?
  2. 2012/12/14 10:20
    亀仙人さんへ
    面白いところを、見ていただきますね。
    たしかに、正面が普通のようですが、道路との関係とかで、こんなケースがあるんでしょうね。
    田根荘でも、1社だけこのように直角になっています。

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