上生菓子「七夕」
明日で6月も終わりですね。7月に入ると夏中さんや浴衣まつりなどが行われ、街中もますますにぎやかになります。
さて、7月のお菓子です。
上生菓子「七夕」
黒のこしあんを色づけした煉りきりあんで包み、寒天を細く切って乗せています。黄色い寒天で織姫とひこ星を表しています。
子供の頃、よく短冊に願い事を書いて笹の葉につるしましたね。何を書いたのか全く記憶にありませんが、今なら絶対「商売繁盛!」と極太マジックで書きますね。(ロマンチックの欠片もありませんが…)
さて、皆さんならなんて書きますか?
星に願いを! 7月7日にはきれいな星が見られますように。
「くず桜」 はじめました
夏の涼味「くず桜」
夏の和菓子の定番「くず桜」です。葛饅頭を桜葉に巻いたものです。桜の葉のほのかな香りが、葛菓子をやわらかに包み、美味しさを一層引き立ててくれます。
葛の透明感を室町時代の人は水晶に見立て、葛饅頭のことを「水晶包子」と呼んでいたことがあるそうです。
形も水晶玉のように真ん丸ですからね。
でも、なぜかこの「水晶包子」という名前が流行らず、というか定着せず、いつしか普通の「葛饅頭」になったということです。
「水晶包子」…、ちょっと中華料理を思い浮かべそうですね。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にこんな場面があります。主人公のジョバンニと友人のカムパネルラがようやく銀河にたどりついた場面でのこと。
「まもなくあの汽車から見えたきれいな銀河にきました。カムパネルラはその綺麗な砂を一つまみ、手のひらにひろげ、指できしきしさせながら夢のように言っているのでした。『この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。』 河原の小石はみんな透き通って、たしかに水晶や黄玉やまたくしゃくしゃの皺曲を表したのや、また稜から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。」
ジョバンニとカムパネルラが見た果てしない銀河は、水晶やほかの様々な光り輝く鉱物で出来ていたという夢のような光景が広がる場面です。
いつの時代も水晶のように透明で濁りのない光り輝くものへの憧れがあったのでしょうね。
「くず桜」、冷蔵庫で少し冷やしてからお召し上がり下さい。キラキラ感も一層引き立ちますよ。
ただし長く冷やし過ぎると白濁してしまいますので、水晶の輝きのあるうちにお口の中に入れてしまって下さいね。
上生菓子「石清水」
上生菓子「石清水(いわしみず)」
粒あんの中に求肥餅を入れ、周りを寒天でコーティングし、上に氷餅をかけています。緑色のは煉りきりあんで石にむす苔を表しています。
氷餅の白くかかった下に、一本寒天の細長いのを流していて、水の流れを表しています。
横から見るとこんな感じです。おわかりいただけるでしょうか?
冷やして食べていただくと、中のお餅までひんやりしてとてもおいしいです。
上生菓子を二種類セットにしてお手みやげなどにもいかがですか?こんな風に。
ご予約お待ちいたしております。
ワールドカップ
昨日のギリシャ戦は、なんとも惜しく残念でしたね。
今日はイケる! と思えただけに…。
ところで、このワールドカップで、日本代表と違ったところで話題になっているのが、日本人のお掃除隊。
ゴミを拾うのが話題になるのが、また不思議でもあるところですが。
そこで思ったのですが…。
当店には、店内でお菓子を食べて頂けるようにテーブルを置き、お茶をお出ししています。夏は冷茶を、それ以外の季節には暖かい煎茶を。今風に言えば、イートインスペース、です。
そこで食べて行って下さるのは、多くが若いお客様。カップルだったり男友達数人とだったり、おしゃれなお嬢様たちだったり。で、そのほとんどの方が店を出る時に、湯呑みと銘々皿をおのおの重ねて置いてくださっていたり、あるいは湯呑みは湯呑み、皿は皿、と重ねてあったり、または、がらたての葉っぱなど出るゴミがまとめてあったりと、なんらかの形であとでこちらが片付けやすいような状態にしてあるのです。そして、気持ちの良いことに、『ごちそうさま』や『美味しかったです』などの言葉が添えられる。いつもこのことに感心していたのです。中には奥の仕事場までお盆ごと持ってきて下さる若者もいました。これにはびっくりしましたが。
きっとあたりまえのように習慣付けられてきた、日本人の癖(?)なのでしょう。もちろん全員が、というわけではないでしょうが。
ワールドカップで世界の人々の注目を集めたこの行為。改めて日本人の几帳面さを再発見!
さあ、あとのない日本代表。こちらは几帳面にとは対局に、大胆に、アグレッシブに、ドーンと行ってほしいものですね。期待しましょう! 望みはまだあります。
石田三成と真田信行
先日、娘の友達が知人の女性を伴って買い物にきてくれました。
お二人ともとても歴史好きな方で、なんでもその知人の女性は、石田三成好きが高じて、わざわざ長野から長浜に足を運んで下さったようです。
私も、司馬遼太郎さんのファンなこともあり、いろいろとお話をさせてもらい、とても楽しいひと時をすごさせてもらいました。
その時に、とてもおもしろいエピソードを教えてもらいました。
長野出身の武将で有名な真田幸村。そしてその兄信行もまたとても頭の良い武将で有名だったとのこと。けれど、この兄弟、訳あって関ケ原では東軍と西軍に分かれて戦ったのですね。
その後徳川幕府の中で、兄信行は幸村と兄弟ということもあって、スパイの容疑をかけられたそうで、いつも見張られていたということらしいのです。
また、信行は石田三成とも親交があり、文通友達でもあったそうです。その三成からの手紙を、信行は関ケ原の合戦のあとも大事にとっておきました。(普通なら焼いてしまいそうなものですが…) しかし、これを見つかると大変なことになると思い、なんと、徳川家より賜った刀の箱の中にそれを隠しておいたというのです。その箱は代々家宝として真田家に伝わり、それが徳川幕府が倒れたあと見つかったそうで、今現在は真田宝物館というところに大事に保管されてあるそうです。
そもそも石田三成という人物は、徳川幕府の中にあって、あのように横柄なちょっと小賢しいような嫌なイメージがつけられてしまったらしいのですが、本来は義に篤く政治に長けた優れた武将だったのですね。そこのところを長浜市民としてはPRしていきたいものです。
もとい、先のエピソードにもあるように、多くの友人に慕われ若くして亡くなって行った石田三成さんが、今若い女性に大人気なのだとか。いつか大河ドラマの主役に抜擢されないかと多くの女性が期待しているところです。
長浜、米原、彦根の三市で、先月『三成会議』なるものも開かれたとか。そこにはもう、大河誘致への協力体制が整っているのかも? 来年再来年の大河ドラマは決定済みですので、その次の次あたりにでも、こないかなあ、石田三成。