長浜梅梅展「フォトコンテスト」開催中
長浜盆梅展の会場にお菓子を配達に行きますと、こんなチラシが置いてありました。
去年から始められたこのフォトコンテスト、今年で二回目。
盆梅展の会場である慶雲館の二階には、前回の入賞作品がずらりと並べられていました。どれも素敵な写真で、梅のいい香りまでもが漂ってきそうな…。
写真の腕に覚えのあるブロガーさんの方々、挑戦されてみてはいかがでしょうか? このチラシの上の方を見てみますと、
なんと、金賞の賞金10万円とあるではありませんか!
皆様、一度会場に足をお運び下さい。素晴らしい梅達に圧倒されますよ。
そして、ゆっくりお抹茶でも飲みながら、被写体とアングルの考察でもなさってみてはいかがでしょうか。
雪の町家(川嵜氏作品展第三弾)
近所にお住いの川嵜健次氏の作品展第三弾です。
今回の絵は日本画で、冬の情景を描かれたもの。古い町家から灯りがもれ、人影もうっすらと見えて、家の中から家族の団らんの声が漏れ聞こえてきそうな、そんな情緒ある一枚の絵。しんしんと降る雪が、明日の朝には辺りを真っ白にして、子供たちの顔を輝かせるのでは…。そんな想像を膨らませてくれる温かい絵です。
実はこの絵、川嵜さんが二十歳すぎの頃に描かれた絵だそうです。まだお若い方が、こんな情緒ある絵を描かれるなんて…。すごい。
当店のウィンドーに展示してありますので、お通りの際は是非ご覧になって下さい。
昔の新聞
これは、ご近所にお住いのお客様から以前に頂いた、古い新聞広告のコピーです。
上の方に『滋賀民報』とあります。発行日は昭和2年5月22日。(昨日のブログに載せました古い広告のコピーも、同じく昭和2年。先代の生まれた年なので、なんだか感慨深いです。)
時代を感じさせるこの新聞。右上にレトロな車の絵がありますね。病院の広告が目立ちます。いろいろな診療科がありますが、右下に「皮梅科性病科専門』とあり、時代を映しています。
そして、右端に、
「藤本屋」の広告が。
「がらたて」「水無月」、初夏ならではのお菓子です。
「太閤まんじゅう」は人形焼の様な生地にあんこの入っていた物だとか。。「しんこ」は、ういろうのちょっと堅めの生地でねじりん棒みたいな形をしていたそうです。うちの母上が嫁いできた時、まだ作っていたらしいです。
先々々代が始めたこのお店、大事に守っていかなければと改めて思います。
昔の広告
これは、ご近所で同業の「清水ボーロ」さんの奥様に、以前にカラーコピーをして頂いたものです。
清水ボーロさんに残っていたものだそうで、随分と古い広告。裏を見ると、昭和弐年と書いてあります。今も頑張っていらっしゃる商店の名があちこちに。
そして、この左上に、
「藤本屋」の文字が。
先々代の時代です。(先代はちょうどこれが発行された昭和2年に生まれていますから。)
この頃の藤本屋はどんな店構えだったのだろう。長浜の町はどんなだったのだろう。人々はどんな暮らしをしていたのだろう。自分の生まれる前の時代に思いを馳せてみます。
絵や写真では見たことのある昭和初期の長浜の町。けれど、こういった古い広告を目にすると、商人の息吹が伝わってくるような…。
あと、右からカタカナで「カフエー」と書いてあるあたりがレトロでいいですね。きっと当時としてはモダンで素敵な喫茶店だったのでしょうね。
開知まんじゅう
「開知まんじゅう」
黒糖を使った黒のこしあんと、抹茶のあんこの二種類のお饅頭。香ばしく焼き上げた卵の風味たっぷりのお饅頭です。
当店の商品の中では比較的大ぶりで、よく長浜で言うところの「場がある」もの。なのでよくお客様は、
「これは場があるさかいに、法事のお供えにええなあ。」と買って行って下さいます。
もちろんお茶うけにも。
この間お正月に見えた大阪のマダムが、何かの用事で一週間後にもう一度長浜にお越しになり、「こないだの、ええっと…あ、これこれ、これ美味しかったわあ。」とお友達の分まで買って行って下さいました。ありがたいことです。
ところで何故『開知』と名前が付いているかと言いますと、当店の建っています場所に、明治の初め『開知学校』と呼ばれる県下で初の小学校が建っていたからなのです。それにこじつけて、こう命名いたしました。
こちらが当時の開知学校の木造校舎。長浜小学校100周年記念に頂いた記念誌の中にあった写真です。こういったモダンな建物だったのですねえ。一番高い所は櫓(やぐら)になっていたのですが、そこには時を告げる大きな太鼓が備え付けられていたそうです。その太鼓、今も長浜小学校に大切に保管されているとのこと。
そして、個包装の袋には、こんな絵をつけています。
『身を修め、知を開き、才芸に長ずる…』とされた明治の学制布告文から、この『開知学校』の名が付けられたそうです。
たかがお饅頭、されどお饅頭。是非一度ご賞味下さいませ。