答え合わせ
テーマ:京都のこと
2009/03/24 00:32
先日の京福電鉄の駅名の読み方です。
四条大宮 しじょうおおみや
西院 さい
三条口 さんじょうぐち
山ノ内 やまのうち
嵐電天神川 らんでんてんじんがわ
蚕の社 かいこのやしろ
太秦広隆寺 うずまさこうりゅうじ
帷子ノ辻 かたびらのつじ
有栖川 ありすがわ
車折神社 くるまざきじんじゃ
鹿王院 ろくおういん
嵐電嵯峨 らんでんさが
嵐山 あらしやま
2番目の西院は、京福電鉄ではさいですが、阪急電鉄の駅名はさいいんです。
四条大宮 しじょうおおみや
西院 さい
三条口 さんじょうぐち
山ノ内 やまのうち
嵐電天神川 らんでんてんじんがわ
蚕の社 かいこのやしろ
太秦広隆寺 うずまさこうりゅうじ
帷子ノ辻 かたびらのつじ
有栖川 ありすがわ
車折神社 くるまざきじんじゃ
鹿王院 ろくおういん
嵐電嵯峨 らんでんさが
嵐山 あらしやま
2番目の西院は、京福電鉄ではさいですが、阪急電鉄の駅名はさいいんです。
三朝温泉
テーマ:日記
2009/03/23 23:10
鳥取県の三朝(みささ)温泉に行ってきました。
例によって、引っ張っていきたいと思います(笑)
場所柄、カニ料理でした。
もう季節的には終わってるような気がしないでもないですが。
例によって、引っ張っていきたいと思います(笑)
場所柄、カニ料理でした。
もう季節的には終わってるような気がしないでもないですが。
地元では当たり前
テーマ:京都のこと
2009/03/22 08:54
MashiToshiさんが難読地名を書いておられましたが、その京都 京福電鉄版 ということでお贈りします。
京福電鉄は、京都市内の四条大宮から嵐山を繋いでいて、一部は路面電車となっています。
車両は昔の京都の市電の車両などを使っていたり、最近ではレトロ調の車両もあります。
さて、四条大宮から嵐山まで、特に赤字のところ 全部読めますか?
四条大宮 ⇔ 西院 ⇔ 三条口 ⇔ 山ノ内 ⇔
嵐電天神川 ⇔ 蚕の社 ⇔ 太秦広隆寺 ⇔ 帷子ノ辻 ⇔
有栖川 ⇔ 車折神社 ⇔ 鹿王院 ⇔ 嵐電嵯峨 ⇔ 嵐山
ちなみに私のPCでは、ほぼ一発変換できました。
京福電鉄は、京都市内の四条大宮から嵐山を繋いでいて、一部は路面電車となっています。
車両は昔の京都の市電の車両などを使っていたり、最近ではレトロ調の車両もあります。
さて、四条大宮から嵐山まで、特に赤字のところ 全部読めますか?
四条大宮 ⇔ 西院 ⇔ 三条口 ⇔ 山ノ内 ⇔
嵐電天神川 ⇔ 蚕の社 ⇔ 太秦広隆寺 ⇔ 帷子ノ辻 ⇔
有栖川 ⇔ 車折神社 ⇔ 鹿王院 ⇔ 嵐電嵯峨 ⇔ 嵐山
ちなみに私のPCでは、ほぼ一発変換できました。
電車
テーマ:日記
2009/03/21 09:06
私は 鉄道オタク(通称:鉄ヲタ、鉄男)などと呼ばれている人の足元にも及びませんが、電車を見るのも、電車に乗るのも好きです。
1、2歳の頃、電車を見に 祖父が自転車で踏切まで連れて行ってくれていたからかもしれません。
いや、でも、幼稚園の頃は、電車でどこかへ出かける時に 音の大きさに驚いて、乗りたくないと泣いていたこともあったらしいのですが・・・
でも、その後、電車を降りた後に、今まで乗ってきた電車を指さして、「これに乗りたい!」といったこともあったようです。
小学校の頃は、十里町あたりの 車通りが少なく 線路がよく見渡せるところまで行ったものです。
8号線の陸橋をくぐって行き来するのを見るのが好きでした。
今はどうか知りませんが、当時は学校の渡り廊下からも線路が見えていましたので、休み時間などは眺めたりしていました。
大学時代、新幹線の高架が見える講義室があり、たまたまそこで講義を受けていた時に 初めて黄色い新幹線を目にしました。
当時は それが何か知らなかったので、「うゎっ! なんや、あの黄色の新幹線は!?」と、驚くとともに感動していました。
実家から会社に通っていた頃には、米原駅まで車で行っていましたが、朝6時20分ごろ、宇賀野を過ぎた辺りから、新幹線の試験車両と思しき 5両編成ぐらいの車両が走っているのを何度か目撃したことがあります。
当時はまだ300系が一番新しかったのですが、その試験車両は今の700系のカモノハシのような形だったと思います。
京都の梅小路蒸気機関車館は、皆さんご存知だと思います。
そこでもいいのですが、その横にある梅小路公園からも、在来線と新幹線の線路が一望できます。
花粉がおさまったら、天気のいい日に そこでボーっと眺めてたいです。
1、2歳の頃、電車を見に 祖父が自転車で踏切まで連れて行ってくれていたからかもしれません。
いや、でも、幼稚園の頃は、電車でどこかへ出かける時に 音の大きさに驚いて、乗りたくないと泣いていたこともあったらしいのですが・・・
でも、その後、電車を降りた後に、今まで乗ってきた電車を指さして、「これに乗りたい!」といったこともあったようです。
小学校の頃は、十里町あたりの 車通りが少なく 線路がよく見渡せるところまで行ったものです。
8号線の陸橋をくぐって行き来するのを見るのが好きでした。
今はどうか知りませんが、当時は学校の渡り廊下からも線路が見えていましたので、休み時間などは眺めたりしていました。
大学時代、新幹線の高架が見える講義室があり、たまたまそこで講義を受けていた時に 初めて黄色い新幹線を目にしました。
当時は それが何か知らなかったので、「うゎっ! なんや、あの黄色の新幹線は!?」と、驚くとともに感動していました。
実家から会社に通っていた頃には、米原駅まで車で行っていましたが、朝6時20分ごろ、宇賀野を過ぎた辺りから、新幹線の試験車両と思しき 5両編成ぐらいの車両が走っているのを何度か目撃したことがあります。
当時はまだ300系が一番新しかったのですが、その試験車両は今の700系のカモノハシのような形だったと思います。
京都の梅小路蒸気機関車館は、皆さんご存知だと思います。
そこでもいいのですが、その横にある梅小路公園からも、在来線と新幹線の線路が一望できます。
花粉がおさまったら、天気のいい日に そこでボーっと眺めてたいです。
お彼岸
テーマ:日記
2009/03/20 08:30
お彼岸ですねぇ。
お墓参りも行かないと。
ちなみに父方のお墓はありません。
父曰く、
「死んでからまでも 面倒をみてもらわなくてもいいように」
だそうです。
彼岸・・・・・・
『彼岸』と『悲願』で油甚さんあたりが吟じてくれそうですな(笑)
お墓参りも行かないと。
ちなみに父方のお墓はありません。
父曰く、
「死んでからまでも 面倒をみてもらわなくてもいいように」
だそうです。
彼岸・・・・・・
『彼岸』と『悲願』で油甚さんあたりが吟じてくれそうですな(笑)